翔は椅子に腰かけた状態で、机に置いたスクールバックに両肘をつき、ただ一点を見詰めていた。視線の先には、愛しい人の姿があった。
 真新しい濃紺のブレザーを着こなし、第一ボタンまで留めたカッターシャツに、緋色のネクタイが良く映えている。教室の床を這うように箒が動かされるたびに、少し長めの髪が寄り添った、冬馬の白く細いうなじが見え隠れする。我知らず翔は熱い息を吐き出した。
 テニス部員の寺坂(てらさか)吉弥(きちや)が、冬馬が履いたゴミを塵取りで受けながら、胡乱な眼でこちらを見返していた。翔は慌てて視線を下にずらした。
「北見沢」
 険のある声で呼ばれ、翔は顔を上げる。見ると、寺坂が塵取りの中身をゴミ箱に捨てていた。
「机運ぶのくらい手伝えよ。俺、部活行かなきゃならないんだ」
 今日の掃除当番は、冬馬と寺坂の二人だけだった。残りの数人は、教員の都合で急遽招集された委員会に出席している。
 掃除用具入れの前で箒を片付けていた冬馬に、寺坂が塵取りを手渡す。その二人の何気ない動作を見ているだけで、翔の中で小波が立つ。重症だと自分で思いながら、重い腰を上げた。
「二人でやっとくから、部活行っていいよ」
 冬馬が用具入れの戸を閉める。
「え? そう?」
「うん。いいよね?」
 不意に、冬馬が翔に視線を向ける。翔は怯みながらも頷いた。
「じゃあ。お先にー」
 寺坂が机に置いていたスポーツバックを肩にかけながら、改めて冬馬に言う。
「木下。部活見学して行けよ? でないと、俺が城崎にどやされる」
「わかってるよ」
 冬馬が苦笑する。冬馬は四月当初から、同じクラスとなった城崎にテニス部への勧誘を受けていた。ゴールデンウィークが明けた今でも毎日続いているのだから、ものすごい執念だ。最近は城崎も方向性を変え、まずは練習を見学に来てくれと言うようになっていた。
 寺坂は教室を出る前に立ち止まり、念を押した。
「フェンス越しに見るだけでいいから、しばらく立ち止まれよ」
「わかってるって」
 小さく手を上げて、寺坂はいそいそと教室を出て行った。途端に、静寂がやってくる。机を運ぶ音だけが、校舎に響いているように感じられた。「どうやって会話してたっけ」と混乱する。見るともなしに冬馬を見ると、仄かに頬が赤く染まっていた。どきりと、心臓を鷲掴みされたような感覚に陥る。本当に重症だと思いながら、翔は視線を逸らした。

 冬馬と連れ立って一年一組の教室を出た。廊下の向こうから、猛スピードで駆けて来る足音がした。「またか」と、翔はあからさまに不機嫌になる。