思い出したように翔が言った。この部屋には構造上、東側にしか窓がない。大きめの窓があり、奥からベッドが二つと、机が二つ並んでいる。
「……て、見ればわかるか」
 翔は後頭部を掻いた。奥のベッドの上には、クローゼットに収納するために広げていた翔の衣類が散乱していた。机の上には、翔の筆記具と渡された茶封筒が置いてあった。
「……うん……」
 張りのない声で返事をし、冬馬はとぼとぼと空いているベッドに腰を下ろした。
「……そういえば……『北見沢』と『木下』だったね……」
 呆然としたまま、冬馬が呟いた。
「……うっ!」
 隣のベッドに視線を移して、冬馬の心の声が漏れる。ベッドとベッドの間は、一メートル程しか離れていないのだ。これも翔を憂鬱にしている原因だ。これでは隣のベッドが丸見えだ。
 翔はデスクチェアに腰を下ろし、頬杖を付いた。十年近く前、兄がここにいた頃は、二段ベッドだったように記憶している。年月が経てば設備も変わる。その証拠に、以前はなかった冷暖房が完備されていた。温暖化の昨今では有り難いことだが、せめて二段ベッドのままなら、寝顔が見える心配はしなくて良かったのにと、翔は時の経過を恨めしく思った。
「あ!」
 冬馬が明るい声を出した。翔が振り向くと、冬馬は袈裟がけしていたボストンバックを下ろし、窓に駆け寄った。
「翔! 桜が見えるよ!」
 窓枠に肘を付き、冬馬が桜を仰ぎ見る。
「一緒に見ようよ」
 口元を綻ばせてこちらを見る冬馬を見ているだけで、胸がつまるような思いにかられる。
「ね?」
 小首を傾げ、微笑するその綺麗な顔に引き寄せられるように、翔は窓辺に近付いていく。
「綺麗だよ」
 座った状態の冬馬が、立ったままの翔を見上げて言う。
 玄関の丁度真上に位置する211号室からは、桜の花がよく見える。夕日を受けて、桜の花弁が薄紫に染まっていた。
「座って見ようよ」
 冬馬にシャツの裾を引っ張られ、翔もその場に座り込む。
「ね? 綺麗でしょ?」
 冬馬の色白な頬が、目の前にあった。触れ合う程間近に、冬馬の細い体躯がある。良い匂いが翔の鼻腔に届く。その香りは冬馬のものだった。
 翔が初めて冬馬の匂いを感じたのは、冬馬が部屋を訪れた最初の日だった。問題を解くために体を寄せてきた冬馬から良い匂いを感じて、思わず体を震わせてしまった。晴れた日の草原を思わせる、日向の香り――。
「良かった」
 冬馬は桜を見て微笑する。