翔の予想通り、冬馬が立ち止まったのは寺の前だった。山門をくぐり、墓地の方へ移動する。翔は冬馬から花束を預かった。冬馬はバケツに水を汲む。
 木下家と彫られた墓標の前で、冬馬はバケツを地面に下ろす。冬馬の身内が手入れしているのか、それとも寺院の管理が行き届いているのか、墓石は磨かれていて汚れ一つなかった。
 冬馬は柄杓で水を汲み、花入れに水を入れた。翔に向かって手を差し出す。翔は預かっていた花束を渡した。冬馬は受け取った花束を一対の花入れに生けた。そして、地面に膝を付けたまま合掌して目を閉じた。翔も背中を気にしながら膝を付き、合掌する。
 墓標の左側には、若くして亡くなった男女の名が刻まれていた。夫婦なのだろう。
「――俺の……父さんと母さんだよ」
 立ち上がった冬馬が放った言葉に、翔は鈍い反応を示す。
「え……? お父さんとお母さんて……」
 翔も立ち上がると、冬馬は首だけを動かして振り向いた。
「お父さんとお母さんは、本当は、伯父さんと伯母さんなんだ」
 翔の目には、冬馬の声や表情は平生と変わらないように見えた。
「俺はお父さんの、末の弟の子供なんだよ」
 少なからず衝撃を受けている翔を尻目に、冬馬は墓石に向き直った。独白のように滔々と言う。
「俺は生まれた次の日に、橋の上に置き去りにされたんだ――」
『橋の上』という言葉に、背後で翔が息を呑んだ。翔の中で、点と点が繋がっていく――。
「……まさか!?」
 翔は初めて出逢った時のことを思い出しているのだろう。
「――そう。あの橋だよ」
 言い切った冬馬の声は少し震えていた。翔が口を開く。
「……あそこ……ずっと通ってたのか?」
 あの橋は、冬馬がもう一度生まれた場所でもあった。徹に抱き締められ、存在を認められた場所――。
 それを思い出させてくれたのが翔だった――。
「そうだよ……」
 翔を振り向いたその双眸が、今にも溢れ出しそうな涙をたたえていた。たまらずに、翔は冬馬を後ろから抱きすくめる。
「……悪かった……」
 首に回された腕に、冬馬は自らの手を添える。後頭部に翔の唇が、押し当てられているのを感じる。
「翔が謝ることじゃないよ」
 冬馬は本心からそう言った。冬馬が体の向きを変えようとすると、翔は腕の力を緩める。冬馬は目を伏せたまま、翔の右肩に額を押し当てた。
「ありがとう」
 冬馬が顔を上げた拍子に、大粒の涙が頬を伝った。冬馬の想いを汲み取り、翔は冬馬の右手を掬うようにして取った。
「いつでも握るよ」
 慈しむように、翔は両手で冬馬の手を愛撫する。冬馬は泣き笑いの表情を浮かべた。
「――良かった」