ここは水の底――。
 あの時きっと、僕の心も一緒に落ちた。

 木下(きのした)冬馬(とうま)は、初対面の相手から半ば無理やり渡された防寒具をデスクに並べて置いた。デスクの上には、走り書きされたノートの切れ端もあった。入浴を終え、明日の準備を済ませると、時刻は零時に近かった。
 第一印象は、『変わった奴』だった――。
 放課後、いつものように図書室で勉強しようとしていると、元テニス部の連中に声をかけられた。後輩たちがクリスマス会を主催したそうだ。「木下先輩!是非来てください!」と後輩に懇願され、二つ返事で参加することにした。
 カラオケボックスでちびちびとコーラを飲みながら、キャプテンになった後輩の愚痴を聞いていた。
「木下先輩、高校でもテニス続けますよね?」
 テンションが上がった後輩に涙目でそう尋ねられると、冬馬は曖昧に笑うことしかできなかった。
連中と道で分かれたのが九時前だったから、一時間近くあの橋の上にいたことになる。
 暗く沈んだ川面を見詰めていると、どこからか歌声が聞こえてきた。伸びやかで、よく通る声だった。いつまでも聞いていたいような気持ちになった。
 冬馬はしばらくその歌に聴き入りながら、思わず天を仰いでしまった程だ。無論、空は厚い雲に覆われており、星座の輝きなど見えなかった。
 声の主はどんな人なのだろうと、冬馬は歌声のする方に顔を向けた。街灯に照らされたその姿は、まだ少年のようだった。声の主も冬馬に気付いたようで、歌声は止まってしまった。残念に思っていると、人影がゆっくりとこちらに近付いてきた。
 歌声が良かったからだろうか。警戒心が薄れ、冬馬の方から声を掛けてしまった――。
 冬馬は改めてノートの切れ端を手に取った。震える指で走り書きしたのであろう。乱暴な字で、電話番号だけが書いてあった。平気だと強がりながら、あの少年の指は寒さに凍えていたのだ。
 携帯電話に手を伸ばしながら、ふと時計を見上げた。間もなく零時になる。何時になってもいいと少年は言っていたが、構わないだろうか。しばらくコールして応答がないようなら明日にしようと冬馬は思い、電話番号をプッシュする。そういえば、お互いに名前を言っていなかった。
 コール音が鳴り出すと、間もなく応答があった。
『――はい』
 橋の上で聞いたよく通る声が鼓膜を震わせると、胸に沁み入るような泣きたい気持ちになった。