その声がとても甘く聞こえた。
「……自分でやるよ!」
 一拍遅れて冬馬は翔を振り仰いだ。
「いいから。やらせて」
 翔は笑顔でそう言った。
「やりたいんだ――」
 その声が熱を帯びて聞こえたのは、冬馬の気のせいだろうか。観念したように、冬馬はおとなしく座っていた。
 翔は冬馬のパジャマ代わりのジャージが濡れないように、肩にタオルをかけると、ドライヤーのスイッチを入れる。翔は冬馬の横で膝立ちになると、まるでガラス細工にでも触れるように、翔の骨張った長い指が冬馬の髪を梳いていった。
「――翔……」
「うん?」
「誕生日おめでとう」
 頬を赤らめながら、冬馬は言った。
「――え? ありがとう……。あれ? 電話で言ってくれたよな?」
 そう言いながら、翔は嬉しそうだ。
「うん。でも、直接言いたくて……」
 髪の反対側を乾かすために、翔の体が冬馬の間近に迫る。息遣いを感じて、目のやり場に困った。
「そっか。ありがとな」
「――うん」
 翔がドライヤーのスイッチを切り、密着していた体を離した。
「よし。終わり」
「……ありがとう」
 照れ臭くて、目を合わせて礼を言うことができなかった。

 床でいいと言ったのにベッドを使ってくれと、翔に何故か懇願された。翔が普段使っているベッドで眠るなんてと思ったが、そんなことを口にしたら変に思われると思い至り、しぶしぶ承諾したのだった。
 翔のベッドで横になっていると、変に緊張してしまう。翔はこちらに背を向けて横になっていた。翔が点けてくれたデスクのスタンドの明かりで、翔の後ろ頭が見えている。おそらく、翔もまだ起きているのだろう。冬馬は大きく息を吐き出した。「疲れた」と思う。寝返りを打ち、壁側を向く。とても同じ部屋でなんか眠れない。今更ながら入試の前夜に、翔が断ってくれて良かったと思った。この状態では、とても入試には臨めない。そんなことを考えているうちに、いつのまにか眠りに落ちた。

 冬馬は夢を見ていた。
「……寒い……」
 極寒の風に、冬馬の剥き出しの頬や腕が引き裂かれるように痛んだ。冬馬は薄目を空ける。今にも泣き出しそうな曇天を背景に、視界の左側に、天へと続くように黒くて長い、鉄パイプのようなものが伸びていた。川の濁流の音が、耳にこだましている。
 空を覆い尽くすように、年若い男女の顔が冬馬を覗き込んだ。冬馬に何かを言ったようだが、川の音と交って、上手く聞こえない。ありったけの力で手を伸ばすが、彼と彼女は、冬馬の手を握ってはくれなかった。やがて、鉄パイプのようなものに凭れかかり、こちらを見遣る。そして、鉄パイプを乗り上げて、視界から二人は消えた。川面は残酷にも、年若い二人を呑み込んでしまった――。