あれ以来、冬馬の志望校について、翔は何も聞いてこなかった。だから冬馬も、自分からは何も言わなかった。今日は年内に会える最後の日だ。十二月二十八日、仕事納めのこの日、夜になれば父と兄が帰ってくる。冬馬は父と兄との再会を楽しみにしていた。
 時刻はもう、夕刻と呼んで差し支えない時間だった。普段なら、翔が「そろそろ帰るか?」と訊いてくる時間をとっくに過ぎている。二人はローテーブルを挟んで向かいあったまま、口をきかなかった。
 玄関が開錠される音が、やたらと大きく聞こえた。翔がはっとして顔を上げる。
「ただいまー」
 女性の明るい声がし、荷物を床に置く音がした。
「お姉さんだ」
 呟いて立ち上がり、翔はドアを開けて部屋を出て行く。冬馬は掛け時計で時刻を確認した。午後六時、外はもう暗くなっていた。半開きになったドアの隙間から、二人の会話が聞こえてきた。
「お姉さん。お帰りなさい」
「ただいま。すぐ夕飯の支度するわね」
 靴を揃える際、翔の姉は冬馬のスニーカーに気付いたようだ。
「あら。お友達?」
 冬馬は慌てて廊下に出る。玄関先に立つ女性の姿に、思わず見惚れてしまった。切れ長の目の整った顔立ち。長い髪。細身ですらっとした、スタイルのいい女性だった。
「初めまして。翔の姉の、北見沢利緒()です」
 利緒は嫣然たる笑みを浮かべた。
「――木下冬馬くん」
 黙ったままでいる冬馬の代わりに、翔が紹介した。
「あなたが冬馬くんね。翔から話は聞いてるわ。ありがとう」
 冬馬はたじろぎながら、「どういたしまして」とだけ応えた。
「冬馬、送るよ。もう暗いから」
「え? ああ、うん」
 翔に肩を軽く押されて部屋に戻る。荷物をまとめてコートを着た。
 廊下に出ると、利緒はまだ玄関先にいた。
「お姉さん。俺、送ってくるから」
「ええ。暗いから二人とも気を付けてね」
 玄関扉が閉まる直前、利緒がもう一度冬馬に声をかけた。
「また来てね」
 利緒は小さく手を振っていた。
 夜道を二人で歩きながら、冬馬は利緒の顔を思い浮かべていた。
「――お姉さん、めちゃくちゃ美人だねえー」
 率直な感想だった。
「……まあな……」
 不愉快そうに、翔は返事をした。兄弟の容姿のことを言われるのが嫌なのだろう。冬馬はそう解釈して、これ以上この話題に触れないようにした。
 気まずい雰囲気のまま、二人は並んで歩いた。翔は東の空を仰ぎ、星を見ている。冬馬も東の空を仰いだ。一際輝く星が昇ってくるころだった。あれはおそらく、オリオン座のベテルギウスだろう。やがて、冴えた星空に向かって翔が口を開いた。