白い歯を見せて翔が笑った。「まただ」と、冬馬は思う。彼の笑顔を見ているだけで、胸が締め付けられるように痛んだ。冬馬は自らの胸に右手を当てて目を瞑った。動悸が激しい。翔と出逢ってから、自分がおかしくなってしまったように感じられた。
 呼吸を落ち着かせてから、冬馬は前方の翔を見遣る。さすがに最初の単元はすらすらと解けるようだ。翔のシャーペンは止まらずに動いている。気付かれないよう、そっと溜息をついた。
 冬馬は自分の鞄を引き寄せる。勉強道具を持参しているのだ。参考書と筆記用具をローテーブルに置いた時、翔の後ろに冊子のようなものがあることに気が付いた。目を凝らすまでもなく、翔の志望校である帝仁高校のパンフレットだとわかった。
 冬馬はすぐさま立ち上がった。了承を得ることも忘れ、パンフレットを手に元の位置に戻る。表紙は、赤レンガを思わせる赤銅色の古風な校舎の写真だった。裏表紙には、所在地が書かれていた。以外にも、父と兄が借りているマンションから程近いとわかった。 
 この住所だと、冬馬の家からは電車で二時間くらいだろうか。高校生が通う距離としては長過ぎるように思えた。ページを一枚めくると、『寮生活』と銘打って、帝仁寮一号館と二号館が紹介されていた。その情報に、冬馬は少なからずショックを受けた。
 私立帝仁高校は、全寮制の男子校なのだ。これでは翔が帝仁に入学してしまったら、会えなくなってしまうではないか。その事実が、冬馬に重くのしかかってきた。
「なあ」
 前方にいる翔が話し掛けてきた。
「――え? 何?」
 内心のショックを隠しきれないまま、冬馬は聞き返す。シャーペンを置き、冬馬の顔を正面から見て、翔は改まって言った。
「冬馬も……帝仁に行かないか?」
「……え?」
 一瞬、何を言われているのか理解できなかった。
「俺と一緒に、帝仁高校に入らないか?」
 それは、思ってもみない誘いだった。しばらく見詰め合っていたが、やがて年末のこの時期に、突拍子もないことを言っていると気付いたのだろう。翔は頭を掻いて視線を逸らした。
「そのパンフレット、持って帰っていいからさ」
「……でも……必要なんじゃ」
「読んだら、返してくれたらいいから」
 翔は片方の眉だけを上げて笑った。
「だから、考えてみてくれよ」
 目に力を込めて、真剣に翔は言う。
「そりゃあ全寮制だし、お金のこともあるから、すぐには決められないだろうし、家の人と相談もしなきゃならないだろうけど……。でも、考えてみてくれ」
 翔は泣き出しそうな顔をしていた。それは、先程の問題がわからない時の表情とも、明らかに違っていた。
「頼むよ」
 ここで冬馬が拒否してしまったら、おそらく翔は泣いてしまうだろう。そんな気がした。
「――わかったよ」
 冬馬は頷いた。
「……ありがとう……」
 翔は震える声でそう言うと、軽く目をこすってから勉強を再開した。
 冬馬の手の中にパンフレットが残された。全寮制の高校など、今まで考えたこともなかった。大学生になれば進学のために下宿し、家を離れることもあるだろうとは思っていた。けれどもそれは、三年以上先のことだった――。
 冬馬はパンフレットをゆっくりと鞄にしまった。翔の泣き出しそうな顔が、冬馬の脳裏に焼き付いて離れなかった。