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「せんぱーい!迎えに来ましたよ~!早く昼ご飯食べましょう」
教室の入り口で大声で俺を呼ぶ渡辺に、今日でこれも最後かと、勝手に決めたその最後に切なさを感じる。
教室を出ると、
「昨日は一緒に帰れずすみません。俺、先輩と帰ることが当たり前になってて、部活を引退した後は約束しないと帰れないことがすっかり抜けてました」
いつもみたいに走って駐輪場に行ったら先輩がいなくて、その時に気づきましたと嘘なきをしながら謝ってくる。こいつの当たり前にもなっていて嬉しい反面、そうなるくらい自分がそれだけ時間を奪っていたことに気づいて気持ち悪くなってくる。
「謝ることじゃねえよ、今までが異常だったんだよ。お前もこれからは友だちと帰れよ」
言ってやった……!話のきっかけを作ったのは俺じゃないけど言ってやったぞ。今日のミッションを達成したことに喜びを感じる。渡辺の気持ちなんて気にせず。
「何でそんなこと言うんですか」
こんな言葉が返ってくるとは思っておらず、へ?と気の抜けた声が出る。何でってそんなの。
「もう俺たち3年も引退したことだしさ、お前もそろそろ友だちと飯食えよ」
友だちは大事だぞ~と、おどけてみせる。渡辺は豆鉄砲を食らった鳩みたいに目を丸くさせ、おまけに口もパクパクさせていた。
「え~、何お前、まだ続ける気だったの?俺ら引退したんだから自由にして良いんだぞ?今まで何だかんだ楽しかったよ。まあ、鬱陶しさの方が大きかったけどな」
渡辺の方を見ず、淡々と告げる。廊下が騒がしすぎてあいつに届いているかは分からないけど。
「俺、先輩に媚びを売るために一緒にいたように見えてたんですか」
渡辺は急に立ち止まり、俺を見据えて言葉を放つ。思いもよらない言葉に立ちすくんでしまい、人々が行きかう廊下で、何故か向き合って立ち尽くす男子高校生二人の絵面が完成した。そんな風に思ったことは一度もない。ただ、こいつが俺への憧れから付きまとってきていたことなんて、3か月ずっと一緒にいたら嫌でも分かる。だからこそ、そんな渡辺が憧れの気持ちから俺に向ける表情や言葉、熱視線、その他全てを勘違いして受け取ってしまいそうになる俺と、決別したいんだ。
「俺、そんなつもりで先輩とずっと一緒にいたわけじゃないんですけど」
口をとがらせて、うつむく姿ですら可愛いと思ってしまう。誰かが言っていた、かっこいいを越えて、可愛いと思い始めたらもう手遅れだという言葉が頭を駆け巡る。手遅れになりたくない。俺はこいつを諦めたい。だけど、どうしてもこいつの言葉に心がはねてしまう。
「俺は先輩といるのが本当に楽しくて、先輩もそう思ってくれているからなんだかんだ一緒にいてくれてるんだって思っていたのに、先輩は俺が媚を売るために一緒にいるって思ってたんだ」
「そうは思ってないよ」
「じゃあ何で!」
廊下に声が響き、近くにいた生徒がこちらを不思議そうに見てくる。ここじゃ目立つからと、渡辺の腕を引っ張り早足でいつもの中庭に向かう。その間もずっと、不満そうに口を尖らせ何かをぶつぶつ言っている。渡辺が納得するような答えを一生懸命探すも見つからず、あっという間に中庭についてしまった。
「腕、痛くない?」
渡辺の腕をずっと握りしめていたことに気づき、声をかけると、小さくはいの二文字だけが返ってくる。渡辺にベンチに座るように促し、先に弁当を広げる。
「さっきも言ったけど、俺もお前といるの結構楽しかったよ」
渡辺が弁当を食べ始めたのを確認して、口火を切った。楽しかったのは本当だ。最初はイヤイヤだったのも本当だけど。部活に関する真剣な話も、家族構成や趣味などのプライベートな話も出来るくらいまで仲良くなった後輩は今までにいなかったし、1人の時間が大好きな俺が、昼も夕方も時間を上げられる相手が出来るなんて思ってもみなかった。
でも逆を言ってしまえば、そんな相手を好きにならないことの方が俺には無理で。だから俺は、渡辺ごと諦めたい。
「じゃあ俺とこれからもいてくれたら良いじゃん」
「だめなんだよ」
何で?と上目遣いをしながら首をかしげる渡辺。
「お前、俺がその顔に弱いって知っててやってるだろ」
「そうですよ。先輩、俺のこと大好きですもんね」
「そうだよ、だからお前と距離を置きたい。というかもう、会いたくない」
最悪の告白に頭がぐらつく。いっそここで爆散して散り散りになって消え去りたい。でもこいつと距離を置くには、こいつに嫌われるのが一番手っ取り早いと思った。こんな最悪な告白になってでもだ。
「どういうこと?」
目を白黒させている。驚くのも無理はない。憧れの先輩だと慕っていた人から、実は恋愛感情を向けられていて、その上もう会いたくないと言われているのだから。自分が同じ立場に置かれたら、今あでの優しさは下心故なのかと裏切られた気持ちになって吐き気がするし、絶縁もしたくなるだろう。だからこの方法を選んだんだけれど。
「俺はお前のこと好きでしたってことだよ。嫌だろ、先輩から実は恋愛感情向けられてましたって。だからもう会うのはここで終わり。今までありがとうな。部活頑張れよ」
二口ほどしか食べていない弁当に蓋をし、袋に突っ込んでベンチから立ち上がる。残りの弁当、どこで食おうかな。
「待ってよ。俺の話を聞かないで逃げる気?」
「逃げるとかじゃなくて、もう話したくないだろ。良かったじゃん、もう俺のところに来なくて良いんだし」
「先輩は何でそんな言い方しかできないんだよ。俺は先輩となら付き合えるよ」
いつもの大きい声はどこへやら。声を絞り出すようにして訴えかけてくる渡辺に、決意が揺らぎそうになる。
「お前、何か勘違いしてるよ」
「してない。俺、先輩のこと好きだよ」
「その好きは憧れをはき違えているだけ。自分で憧れとか言うのもなんだけどさ。お前の好きと俺の好きは違うんだよ」
「俺の好きと先輩の好きが違うなんて先輩にはわかんないよ!俺は先輩と仲良くしていたいし、もし付き合うことでそれが叶うなら、俺は先輩と付き合いたい」
正直言うと、嬉しい。何より、好きだといった今でも仲良くしたいと言ってくれることが本当に嬉しい。それでも俺のわがままでこいつをこっちの世界に引っ張り込みたくない。渡辺は俺を自分のペースに巻き込むことで、色んな新しい発見や気持ちをくれたけど、俺がこいつを巻き込んでもこいつのためになることなんて一つもない。今後、こいつが世間とのギャップで苦しむことになるのは俺が一番分かっている。
「やっぱり分かってないじゃん。そんな気持ちのお前とお情けで付き合えても俺は嬉しくない。ごめん、今までのことは忘れてほしい。じゃあな」
「そんなの許さないよ」
「許さなくていいよ。ごめんな」
座ったままの渡辺を置いて、教室に向かって歩き出す。俺が渡辺を好きにならなければこんなことにはならなかったのかな。俺が勘違いをし続けなければ、ずっと一緒に仲良く先輩と後輩を続けられたのか。自ら手放したはずの後輩との関係を、砂を救い続けるように追い縋る。こんな先輩でごめんな、とつぶやいた声は中庭に聳え立つ、創立記念に植えられた桜の木だけが聞いていた。