「佐々木恭人さんですよね!?」
「うん、そうだけど……」

 4月中旬。高校生最後の年だからと散々言われて少し慣れてきた頃。新学期のテスト明け一発目の部活。久しぶりの日光に気怠さを感じ、あくびをしていた瞬間、急に呼び止められた。彼の声はコートの奥の方まで聞こえていたらしく、なんだなんだと準備中だった他の部員が集まってくる。ざわつく周りを気にも留めず、わー、本物だ~と喜んでいる彼。「何お前ら、知り合い?」
 背後からの急な声にぎょっとする。声をかけてきたのは、俺のペアでありこの部の部長の増田だった。

「全く知らない」

咄嗟に嘘をつく。ただ、こっちが一方的に知っているだけかと思っていた。光に照らされて少し茶色に輝くふわふわと緩くかかった天然パーマの髪に、少し見上げるくらいの身長、ぱっちり二重に薄い唇。誰もが口を揃えて彼のことを絶世の美男子と言うだろう。羨ましいな。ただ、こういう形で注目を浴びるのは得意じゃない。そもそも何でこんなイケメンが俺のことを知っているんだ。

「ずっと会いたかったんです!」

 活きの良い新入生に沸き立つコート。俺の心情なんかは度外視されている。収集もつかずほとほと呆れ返ってしまう。

「まあまあ、積もる話はあるだろうけど、一旦その辺にして、」

と、思い思いに喋っていた部員たちの中に増田が割って入る。
皆ちょうど集まってるし、もうミーティング始めるかという増田の一言で、さっきまでの騒がしさは嘘かのように静かになり、淡々と今日の流れが説明されていく。

「そして今日は仮入部の新入生が来てくれています。右から順に自己紹介をお願いします」

 一通り増田が話した後、急に話を振られる新入生。ざっと10人くらいはいるだろうか。新入生たちは久しぶりの先輩という存在にソワソワしながらも、順番に名前とスポーツ歴を述べていく。最後はあの大声新人。余計なこと口走らなければ良いが。

「渡辺悠華です。ソフトテニスは中一から始めました。よろしくお願いします」

 杞憂だった。さっきまでの威勢の良さはどこにいったんだと言いたくなるくらい大人しい自己紹介をする新入生。自分のターンが来たらまた騒ぎ出すんじゃないかと思っていたせいで拍子抜けしてしまい、渡辺のことをジッと見つめてしまっていた。俺の視線に気づいたのか、俺の方にふわっと微笑みかけ、腰あたりで小さく手を振ってくる。本当になんなんだこいつは!

「ありがとうございました!」

 気付けば辺りはオレンジ色に染まっている。早く帰って寝たい……。ボールが入ったカートに体を乗せ、惰性でカートを動かす。

「恭人先輩!」
「ゲッ」
「ゲッってなんですか!」

 最悪ってことだよ。

「今日一緒に帰っても良いですか!?」

 あちこちからヒュ~と茶化す声が聞こえてくる。

「良い訳ないだろ」
「先輩家どっちですか?チャリですか?歩きですか?」

 矢継ぎ早に質問され、戸惑って何も言えなくなる。

「こいつはチャリで西門から帰るよ。他の3年は皆東門の方面だから、渡辺も同じ方面なら一緒に帰ってやって」

 俺を指さしながら勝手に個人情報を垂れ流す増田。

「おい」

 俺の不服そうな態度を察したのか、良いじゃん、減るもんじゃないしとニヤニヤしながら肩を組んでくる。俺の自由時間が15分も減るだろ!

「やったー!俺もそっち方面なんで、急いでチャリ取ってきます!」

 待っててくださいね~と言いながらオレンジの光の中に消えていく。急げよ~、なんて呑気に手を振る増田をキッと睨む。

「お前余計なことこと言うなよ」
「いやー、恭人が誰かに興味を示してるのがなんか面白くて」
「俺がどんだけ淡白なやつに見えてんだよ」
「俺が今まで出会ってきた人間の中で第一位を飾るくらい」

 俺のこと舐めすぎだろこいつ。俺がどれだけ情に厚いかは増田が一番知っているのに。

「ま、お前も待っててやれよな!新入部員は多い方が助かるし」

 ひらひらと手を振りながら他の部員の群れに合流していく増田。あいつ他人事だからって楽しみやがって。俺の慈悲深さに感謝してほしい。自転車の鍵をクルクル指で振り回しながら一人で自転車置き場に向かう。3年生になり、やっと校舎から一番近い自転車置き場を手に入れた。今までは走っても3分はかかる辺鄙な場所だったから、朝礼前に滑り込んでくるやつも多かった。まあ、自転車置き場が近くなったところで滑り込んでくるやつは変わらないけど。指先で遊んでいた鍵を自転車に差し、スタンドを上げる。あいつ、置いて帰るか。一気に逸る心。そうと決まればダッシュだ!面倒くさいものは置いて帰るが一番。

「お待たせしました~!ってアー!!先輩今俺のこと置いて帰ろうとしてましたね!」

 門まであと一歩と歓喜する俺を見つけるやいなや、大声で喋りながら加速する。大声を出しながら走れるのはもはや天才だろ。

「うるせえしてない」

 鬱陶しい後輩を置いて帰る作戦は夢と消え、大人しく降参する。

「嘘ばっかり!ニマニマしてたの見えてるんですからね!」

 近くに来た渡辺はあの辺鄙な場所を往復したとは思えないほどに清涼感を纏っていた。いや、こいつ5分以上走り続けてなおかつ大きい声も撒き散らしていたよな!?体力お化けでもあるんかい。……、どうやったらこいつから逃げ出せるんだ。

「……先輩?」

 思考を巡らせていた俺をしたから覗き込む。八の字の眉はより一層、渡辺の大型犬っぽさが増す。今日は逃げられないと観念した俺は、大型犬を連れてゆっくりと自転車を漕ぎ出す。部活終わりに誰かと並んで帰るのは初めてかもしれない。その初めてがこいつだなんて……、何か複雑だ。

「今日は無理言ってすみません。でも俺、本当に恭人先輩を追っかけてここに来たんで」

 こいつ、無理を言っている自覚合ったんだ~と感心していたのも束の間、

「何!?」
「俺、先輩とテニスしたくてここ選んだんで」

 あまりの衝撃にハンドルがグラグラしてしまう。こいつのバイタリティーはどうなっているんだよ。

「何で俺なの。良いプレイヤーは他にもいたでしょ。俺強くないし」
「俺、初めてしっかり見たのが恭人先輩の試合だったんです。先輩が中3の時の市総体で。うちの先輩たちの試合が全部終わったから、あとは勉強として強い所の試合を見てこいっていうあるあるの流れで、その時にたまたま見たのが恭人先輩の試合」
「ふーん」

 渡辺は自分から聞いたものの、初めて見たのが自分の試合だと言われ、なんとなく照れくさくなる。

「適当に入った部活だったから、勉強とか言われても分かんね~って思ってたんですけど」
「意外だな」

 ついポロっと零れ出た本音。適当に入るにはうってつけの部活か。俺も言われてみれば誘われて入っただけだったし。

「佐々木さんの綺麗なフォームとか、意表を突くコース打ちとか、プレー中の飄々とした顔と点を取った時の柔らかい顔のギャップとか、勝利への執着とか、なんか全部かっこよくてまぶしくて、もしかしたらソフトテニスって面白いのかもって思ったら俄然やる気が出てきて、今です」
「めっちゃファンじゃん」

 想像をはるかに超える好意が気に染まず、おちゃらけた返事をする。

「めっちゃファンですよ!ポジションだって佐々木さんの真似して後衛選んだんですから!左打ちも!」
「わ、分かった」

こんなに熱烈なアピールを受けるのは初めてで、これ以上聞き続けると体調に差し障るかもしれない。本当に厄介なやつが入ってきたものだ。

「だから増田先輩が本当に羨ましくって!1年生の時から、恭人先輩と増田先輩のペアだけ変わってないじゃないですか。それだけ増田先輩が上手くて、なおかつ恭人先輩との相性も良いってことでしょ?それに部長もやってて、信頼に厚いという……。全くもって非の打ちどころがない。そんな人がこの世に存在して良いんですか!?」

 身長もあるし顔も濃くてきりっとしてるしオーラあるし……、とその後もぶつくさ言っている渡辺。こいつ、俺だけしか見えてないって感じだったのに、テニスが上手ければ誰でも良いのか。

「は!つい増田先輩のことも褒めてしまった。恭人先輩、これは秘密にしておいてくださいね」
「ハハッ、何でだよ」
「増田先輩はライバルなので」

 何で同じポジションの俺じゃないんだよ、と喉元まで出かかったがグッと飲み込んだ。飲み込んだ言葉が心に靄となって広がっていく。すぐに返事が出来ず、少し錆びついた自転車の音が住宅街に響く。何か他の話題を、と思うが沈黙に焦る脳からは何も思い浮かんでこない。

「あ、そうだ」

 今日一日ずっと鬱陶しかった大きな声が沈黙を破る。

「俺、ずっと先輩に聞きたかったこと山ほどあるので、明日からも一緒に帰って良いですか?毎日!」
「いや無理」
「ええ!そこは、良いよって言うところじゃないんですか!?」
「今日を通してどうやったらそう思えたんだよ」
「だって先輩いつも一人ぼっちで帰ってるって聞いたし、それだったら俺がいても変わらないですよね!」
「俺は好き好んで一人で帰ってんの。でかいガキの子守りをするつもりはない」
「でかいガキってなんですかお子ちゃま扱いして~」
「でかいクソガキって言うぞ」
「じゃあでかいガキで良いんで一緒に帰ってください~」
「考えとく」

 その後、この3年間の佐々木恭人の好プレー集を見ているがごとく、鮮明に過去の試合の話を聞かされ続けた。

「じゃ、これからよろしくお願いしますね、恭人先輩!」

俺の家に着くと意外にも引き際は良く、電灯が灯り始めた住宅街に颯爽と消えていった。っていうか俺、もしかしなくても家バレしたくね……?