死ぬのはちょっと待ってくれ、気が向いたら学校に来てくれ、俺はそれくらいしか言えなかった。


 家に帰ると妹がリビングから走ってきた。そして僕を見るなり眉をひそめた。


「アイスは?」
「あ、忘れた」
「ちょっとー」


 妹は頬をふくらまし踵を返した。


「ごめんごめん」


 部屋に戻り勉強の続きをした。夜になり気温が下がってきた。僕は部屋の窓を閉めた。


 翌日駅に向かう、やっぱりあの子はいない。もう会えないかもしれないな、と思った。


 電車を待っていると壁にもたれハンカチで顔を仰いでいる人がいた。


「大丈夫ですか?」


 声をかけると青白い顔をしていた。どこかで見たことがあると思った。少し考えたあと昨日のことを思い出した。


「大丈夫です、すみません」


 猫を助けた子だ!


「あ、昨日の猫の……」そう言うと彼女は少し恥ずかしそうにうなずいた。「あ、これまだ開けてないからどうぞ」そう言ってペットボトルの水を渡した。


「あ、ほんとに大丈夫なので」


 彼女は顔の前で両手を揺らした。


「猫ちゃん、どうなりましたか?」
「あ、今はうちにいます、けどうちじゃ飼えなくて」


 そう言って困ったように眉を下げた。


「迷い猫とかじゃないですかね? 随分人に懐いていたように見えましたけど」
「SNSで探してますけど今のところは」

 
「マイクロチップとか入ってないかな?」そこまで話しかけて彼女の体調が悪いことを思い出して謝った。「すみません、体調悪いのに」


 そう言うと「もうだいぶよくなりました」と返ってきた。


「これ、ほんとに飲んでください」

 そこでもう一度水を渡した。

「ありがとうございます、それじゃあ」

 そう言って彼女は水を受け取った。


 そして視線を向かいのホームに移した、刹那見つけた、彼女がいた。目が合った。今度は驚いたような顔はしていない。僕は線路を越えて走っていきたい気分だった。だけどそんなことはできない。そうこうしている間に電車がホームに入ってきた。


 僕は電車に隠れた彼女を窓の隙間から見ようとした。


「あの、あのーっ」


 後ろから声をかけられた。さっきの子だ。


「あ、はい」
「猫の飼い主探し、手伝ってもらえませんか?」
「え? あ、もちろん」
「こんなこと頼んですみません、他に頼める人いなくて」
「あ、いいですよ」


 僕はチラチラ向かいのホームを気にしながら電車に乗り込んだ。


「これ」


 そう言って着いてきていた彼女にスマホを出された。捜索の書き込みがしてある。


 電車はゆっくりと加速しだした。風景が置いていかれ僕たちを目的地へと運んでいく。


 僕は諦めてスマホをもう一度見て、自分のアカウントから彼女のアカウントにアクセスした。


「けいたさん?」


 僕のアカウントは単純に「けいた」という名前だ。
 

「あ、うん、えっと、あすみちゃん?」

「はい」


 彼女のアカウントは「asumi」と書いてあった。プロフィール欄にはLJKと書いてあった。ラスト女子高生、つまり高校三年生という意味だ。


「高三? ならタメだ」
「あ、そうなんだ」


 同じ年ってだけで少し壁が取れたような気分になった。


 学校に着くと早速みんなに協力を仰いだ。


「みんなこれ拡散してくれるかな?」


 朝のホームルーム前の雑然とした中、僕の呼び掛けにひとり、またひとりと振り返る。


「猫?」
「そう、飼い主探してるんだ」
「野良じゃないの?」
「だったら里親さん探す」
「まーた慶太の世話好きが始まったか?」


 そんなことを言いながらもみんな自分のアカウントから拡散をしてくれた。ホームルームが始まる頃スマホは先生に回収され、放課後までは僕たちの手から離れる。


 放課後になり返されたスマホを見るとかなりの数の拡散がされていた。友達の友達っていうのはすごい。



 ――この子駅の近くで前からよく見ます。野良ちゃんじゃないかな?


 有力そうなのはこのコメントくらいだった。


 今日は塾だからコンビニでなにか軽くお腹に入れられるものを探す。急に涼しくなってきたからか肉まんが出ていたから買うことにした。おじさんの顔がよぎったけどひとつだけ買った。


 公園に行きベンチに座るとあすみちゃんから連絡が来ていた。マイクロチップは入っていなかったようだ。


 モナカがいなくなってからうちは動物を飼っていない。うちの家族はみんな猫が大好きだけどペットロスがつらすぎて、あの時の気持ちをまた味わうなんてとてもじゃないけど耐えられない、そんな気持ちからもうペットを飼うのはやめた。


「兄ちゃん、今日は涼しいな」
「おじさん、過ごしやすくなってきたね」


 おじさんがどこからかやってきて「お駄賃をやろう」なんでまた百円を差し出した。僕はいらないよと笑う。


 そして肉まんを半分に割っておじさんにあげた。


 おじさんは肉まん代だといってさっき押し返したはずの百円をまた押し付けてきた。


「これじゃ僕の黒字だよ」


 そういうとおじさんは笑っていた。おじさんは空き缶やダンボールなんかを拾って売って生計を立てているらしい。普通に働いた方がよっぽどコスパがいいのにと思う。夏は暑くて冬は寒くてお風呂もトイレもない。だけどおじさんはそれでもこの暮らしの方がいいんだという。社会に適合できないんだと笑う。


「じゃあ僕塾だから行くね」
「おう、頑張れよ、たくさん勉強して偉い人になれよ」


 おじさんは汚れた顔を崩して笑う。身なりをきれいにしたらそれなりになりそうだ、なんて思った。