家の前まで着くともう食欲をそそる匂いが広がっていた。今夜はカレーかな。


「ただいまー」
「おかえり、手洗って着替えてきなさい」


 わかってるよ、と言いかけてやめた。僕がこうやって温かいご飯が食べられているのは父さんや母さんのおかげだと痛感したから。おじさんにあんなこと言われたから自分の置かれている境遇がいかに恵まれているものだとわかる。


 部屋に入り坂崎のことをぼんやりと考えた。
 そしてスマホを開いてメッセージを送ろうとした。


 ――元気か?
 ――大丈夫か?
 ――今日涼しいな


 しかしどれをとってもしっくりくるものではない。散々迷って最初の候補を採用することにした。



 ――大丈夫か?


 しばらくぼんやりと画面を見ていたが既読はない。スマホを閉じ着替えをする。その時にふとあのモナカに似た女の子のことを思い出す。胸が痛む。払拭するように頭を振った。


 やはり今夜のメニューはカレーだった。


「慶太、勉強の方はどうだ?」

 父さんが聞いてくる。

「ん、まあまあ」

「そろそろ最後の追い込みよね、頑張ってね」



 母さんが発破をかける。
 妹は気まずそうな顔をしている。
 妹はあまり勉強が得意ではない。このままいくと話題が自分の成績のことに及ぶのではないかと内心ひやひやしているんだろう。


「ご馳走さま」


 僕はその話題になる前に席を立った。
 妹も慌てて空いた皿を流しに持っていった。


 部屋に戻りスマホを見る。返事は来ていない。

 参考書とノートを広げ椅子に座る。

 だけど今日は集中力が持たない。

 あの子のことや坂崎のこと、おじさんのことが頭に浮かんだ。


「ちょっとコンビニ行ってくる」


 気分転換に外に出ることにした。こういう時は無理に机にかじりついていてもろくなことにはならない。


「あら、なにが必要なの? お父さん買ってきてあげて」
「いや、気分転換もしたいから」
「そう」

「お兄ちゃんアイス買ってきて」
「こら、遥菜!」
「はは、いいよ、買ってくる、いつものやつでいい?」
「うん、お願いー」


 僕は靴を履いて外に出た。
 秋風が頬を撫でてやっぱりもう夏は終わったんだと確信した。


 未練たらしかった今年の夏だったけど、やっと秋にバトンタッチしたんだ。


 じっとりと肌にまとわりつく風が柔らかな風に変わり気持ちがいい。僕は歩く速度を落としてこんな秋を楽しんだ。


 するとコンビニまでの道でスマホが震えた。
 坂崎からだった。


 ――微妙


 意外だった。坂崎は世話焼きな僕をよく面倒くさがった。だから嘘でも大丈夫だといってその場をしのごうとすると思った。だけどこれは坂崎からのSOSだと思った。スマホの時計を見る。十九時半、まだ大丈夫だ。


 ――近くにいるんだ、出てこないか?


 近くになんかいないけど思い切り走れば十分くらいでは着く。僕は心臓が駆け足になっていくのを感じた。なんで同級生のしかも男にこんなにドキドキしなきゃならないんだと苦笑した。


 ――どこ?

 ――家の前に着いたら連絡する


 コンビニでコーヒーとお茶を買った。正直坂崎の好みは知らない。だからどちらかを選んでもらおうと思った。


 そして全速力で走った。さっきまで気持ちよかったはずの秋風ですら暑く不快に感じるほど走った。俺は何をやってるんだろうと思ったけど、それでも走った。坂崎の気が変わらないうちに家まで行こうと頑張った。

 こんなことじゃ自転車に乗ってくればよかった。


 坂崎の家に着き、息を整え、何食わぬ顔で連絡しをした。


 ――着いたよ


 すると坂崎が出てきた。


 疲れたような顔をしていた。髪は伸びているしあの公園のおじさんほどではないがそれに近いものを感じた。


「どうしたんだよ、最近来ないじゃん」


 コーヒーとお茶を差し出すと坂崎はコーヒーを指さしたからそっちを渡した。


「サンキュ」


 僕はペットボトルの蓋を開けて一気に半分くらい飲み干した。さっきの全速力で喉がカラカラだったからお茶を残してくれてありがたい。



「なんか悩んでることあるのか?」
「比嘉、お前ほんと良いやつだな」
「そうか?」
「俺、学校やめようと思う」



 そうなのかなと思っていた。だからそれほど驚かなかったけどショックではある。


「なんで? もったいないじゃん」
「だよな、俺もそこがひっかかる」


 うちの高校に入るってことはみんなたくさん勉強したということ。辞めてしまえばその努力はなんだったんだろうと思う。


「もう少し頑張ってみれない?」
「俺、死のうとしたんだ」


 胸が切り裂かれたようなそんな痛みを感じた。


「……なんで」
「わかんない」
「なんで死にたくなったの?」
「わかんない、それがわかんないから死にたいんだ」


 まるで意味がわからなかった。死にたいのにその理由がわからないなんてことがあるか?
 物事にはなんだって理由があるもんだって思っていた。感情だって方程式を解くように整理していけばコントロールできると思っていた。


 だけどそこでふとあの女の子のことを思い出した。


 いや、感情のコントロールは数学みたいにはいかないよなと気づく。