学校に着いた。騒がしい教室内、僕が着くとみんなが振り返りあちらこちらから「おはよー」と声がする。


「おはよー」


 僕もそれを返し席に着いた。


 隣を見る。坂崎は今日も休みか。

 もう何日も来ていない。体調が悪いらしい。最後に来たのはいつだったか思い出せない。ずっと俯いたままただ時間が過ぎるのを待っているようなそんな感じの男だった。


「慶太おはよう」


 前の席の朱里《あかり》が声をかけてきた。


 朱里は坂崎と仲が良かった。正確には小学校の頃仲が良かったらしい。思春期の男女ということもあり中学になりだんだん話さなくなったようで、孤立していったことに気付いていても何もできなかったようだ。そして高校も同じになったけど、ここは進学クラスということもあり勉強面で完全についていけなくなったようだ。


「おはよう、今日も休みみたいだね」


 隣を指さす。


 朱里は「ああ」と溜息にも似た声を出した。「もうね、辞めるかもしれないって」


「なんで?」
 

「お母さん同士が友達なんだけど、なんかね、ここだけの話……」そう言って朱里は僕の耳元に口を近づけてきたから僕も耳を近づけた。「死にたいらしい」


「え?」


 あまりにも大きな声が出てクラス中がこちらを見た。


「ちょっと、慶太声大きい」
「ごめんごめん」

「なんだよそこイチャイチャして」


 クラスのみんなが冷やかしてくる。
 クスクスと笑い声がどこからともなく響いてきた。


「いや、してねーよ」


 誰かが言った冗談をすぐにみんな気にもとめずに和やかな雰囲気は続く。


 朱里の方を見る。

 どうしてみんな死にたいのか、僕にはよくわからない。死ぬのって怖くないの? 僕は怖いよ。怖くてたまらないよ。いつか誰にだってくる死が僕には耐えられないよ。だってひとりぼっちになるんだよ、死んだらご先祖さまがお花畑の先で待っててくれる? それほんとうに誰かが行って確かめたの? 違うよね。そうならいいなって願望でしょ? 結局ひとりなんだよ。ひとりぼっちで暗い闇をあてもなく彷徨うんだよ。そんなの怖すぎるよ。


 ちょうど一年前、SNSで知り合った子もそんな話をしていた。同じ年齢だから気になっていた。ミライとかいってたかな。


『かまってちゃんすぎる』
『死ぬ気もないくせに』
『だるいっていい加減』


 ネガティブな発信が多くなるにつれてそんなコメントが多くなった。
 

 ――生きたい
 ――もう無理
 ――生きたい


『メンヘラで草』
『どうせ死なない』
『生きればいい』


 ある日を境に彼女は消えた。どうなったかはわからない。みんな何事もないように時間は進む。言葉の凶器はいくつか消されていた。保身のために消したんだろう。
 

「内緒だからね」
「わかったよ、勉強ついていけないとかそういう理由?」
「うーん、それだけじゃないと思う、なんていうか昔から病みやすいみたいなとこあったから」
「あー、いるよね」
「まさかなんかしようと思ってない?」
「え? あー、いや?」
「まーた慶太のお節介が始まった」


 放っておけない、それが僕の特性なのだ。

 その証拠に朝のおじさんのこと、まだ考えている。夜はなんか食べ物にありつけたかな? なんて心配になっている。


 お昼になりパンを買いに行った。いろんなことが気になってあまり食欲がなかった。ふたつ買ったパンをひとつ鞄にしまう。


 夕方待望のチャイムが鳴りみんな一斉に解放の声を上げた。


「じゃあな」
「また明日」
「バイバイ」


 そんな言葉が飛び交って、家路に着く者、塾へ向かう者、補習を受ける者、それぞれがそれぞれの放課後を過ごす。


 部活やバイトをしている奴はいない。もしかしたらバイトは隠れてしているかもしれないけど、基本は勉強優先だから、そこがほかのクラスとは違うところだ。


 校門を出ると空にオレンジが広がっていた。何度も何度もしつこくぶり返していた暑さがやっと一段落して本格的に秋を連れてこようとしている。受験までもう少し。


 雲の隙間から太陽が「また明日」と言わんばかりに隠れていく。

 僕はその足であの公園に向かっていた。

 あのおじさんを探した。おじさんはすぐに見つかった。やっぱりここで生活しているんだう。


「おじさん」


 声をかけたらおじさんはのっそりと振り返った。
 僕の顔を見て首を傾げたあと、思い出したのか「あぁ」と声を出した。そして「朝はありがとな」と目を細めた。


「これ、あげるよ」


 そうして昼間残したパンを渡した。


 おじさんは一瞬目を見開いたあと眉をひそめ首を振った。


「なんだ?」


 怪しんでいるようだ。


「お腹空いたかなと思って」
「いつもこんなことやってるのか?」
「いや、たまたま朝知り合ったんだし」


 そう言うとおじさんは声を出して笑いだした。公園中響き渡るような声に行き交う人がこちらに顔を向け恥ずかしくなった。


「知り合ったら誰にでもこんなことやるのか? やめとけ、お前、たかられるぞ」
「たかられる?」
「優しい兄ちゃんだな、そんなこと誰にでもしてたら破産しちゃうぞ」
「そんな、パン一個で破産とか大袈裟な」


 するとおじさんは「こっちにこい」と言って家のようなスペースに案内してくれた。おじさんは足を引きずっていた。


「痛いの? 足」
「ん? ああ、これか? もう何年も前からだよ、働いてた時に木材が落ちてきて使い物にならなくなった」
「それで辞めたの?」
「働けなくなったんだよ」
「労災は?」
「よくそんな言葉知ってるな、働いたことあるのか?」
「僕はまだ……ないけど」


 そう言うとおじさんはクククと肩を揺らした。労災くらい知っているしなんだか子どもだと馬鹿にされたようで少しムッとなった。


「まぁそんなものには入ってなかったんだ」


 おじさんの過去にはいろいろあったんだと予想できた。


「ほら、これやるよ」


 そう言っておじさんは百円玉を差し出した。


「いらないよ」
「昼間のパン代だ。美味かったな、あれ、お母ちゃんが作ってくれたのか?」
「そうだけど」
「そのパンもお父ちゃんかお母ちゃんの働いた金だろ、お前が食え」
「帰ったら夕飯あるし腐るからいらないんだよ」


 少し怒ったように強引にパンを押し付けるとそのまま立ち去った。


「おぅ、兄ちゃんありがとな」不快になるような苛立った声を出したのにおじさんは笑顔でパンを持ち上げてゆらゆらと揺らした。


 普段滅多に怒らない僕だけどおじさんといるとペースが乱される。


「さようなら」
「もうここには来るなよ」


 そんな寂しいことを言うから僕はまだペースを乱される。
 
「ここはみんなの公園だ、おじさんだけのものじゃない」

 そう言いきるとおじさんは「確かにそうだ」とまた公園中響き渡る音量で笑いだした。

 僕はやっぱり恥ずかしくなって足早に立ち去った。