重たい空気の中、坂崎は僕の横に腰を下ろした。僕は窓側に少しズレた。


「ドラ……マの話」


 そう言って作り笑顔を浮かべても坂崎はまったくつられない。真剣な顔を崩さずに首を横に振った。


「まぁ、とりあえずなにか頼みなよ」


 あすみちゃんがタッチパネルを渡す。なにか頼むまで誰も何も話さないと感じたのか坂崎は無言でパネルを操作しだした。


「はい、注文したよ、教えて」
「大した話じゃないんだよ」


 はははと笑みを浮かべるが、それもまた虚しく宙に消えていった。


「わかった、で、なに?」


 坂崎は表情を崩さない。どこから話したらいいのか。


「えっと、モナが死神ってことは言ったよね、で、僕が死ぬって。だけどその死の権利を譲渡できるらしいんだ」
「譲渡?」


 坂崎の眉が上がった。

 
「そう、それが唯一僕が生き残ることができる道らしい」


「たぶん条件があって、知り合いじゃないとダメっぽい」


「てことは誰かが死ねば比嘉は助かるのか?」
「僕が死の権利を譲渡したらね」
 

「そうか」


 坂崎はしばらく考えごとをするように黙り込んだ。軽快な音楽と共にロボットがやってきた。坂崎の頼んだパスタが届いた。あすみちゃんがそれを取って坂崎の目の前に置く。ロボットは軽快な音楽と共に去っていった。


「でね、私のこの子に譲渡してもらえるかなって、どっちみち中絶の手術しようと思ってたし」


 あすみちゃんはそう言ってお腹に両手を当てた。それは弱い者を守るような、大切なものを触るような、そんな手つきだった。


「いや」そして坂崎は顔を上げた。「俺に譲ってくれ」


「は?」
「その権利、俺に譲渡してくれ」
「できるわけないだろ」
「俺はそもそも死のうとしてたんだ、問題ないよ、むしろ覚悟が決められた」
「やめてくれよ」


 僕は首を振る。そんなことをしてもらいたいんじゃないんだ。


 モナは泣きそうな顔をしている。僕がそんな顔をしているからつられたんだろう。


「私もう一度調べておくから」


 帰り道、モナがそう言った。


 四人は別れた。別々の道を歩く。なんだかこのままお別れのようで寂しくなる。


 ひとりになった僕はアイスをふたつ買って公園に向かった。いなかったら冷凍庫に入れよう。いたらふたりで食べよう。


 公園に向かいベンチに座る。どこからか足の引きずる音がする。


「おじさん!」
「よぉ兄ちゃん元気か?」
「うん」


 おじさんの顔を見たら安堵で涙が出そうになる。それを抑えて袋からアイスをふたつ取りだした。


「一緒に食べない? 今日ちょっと寒いけど」
「寒い日につめてーアイスって最高だよな」
「あ、おじさんもわかる? そうなんだよ、僕冬のアイスがいちばん好き」
「ありがとな」


 ふたりでベンチに座りアイスを食べる。クリームの甘みが喉を抜ける。


「甘いもんてのはいいよな」
「疲れが吹っ飛ぶよね」


「兄ちゃん、なんかあったのか?」
「え?」


 おじさんの方を向くと、おじさんはこっちを見ずに前だけを向いてアイスを食べていた。


「いや、ちょっと、友達と喧嘩しただけ」
「そうか、喧嘩か、いいよな」
「え? よくないよ」


 僕はムッとした。


「喧嘩できる相手がいるってのはいいじゃねーか」


 そう言っておじさんはひゃひゃと笑い最後棒についたクリームを舐めとった。


 喧嘩できる相手か。確かに、おじさんに友達はいるのかな?



「おじさんに友達はいるの?」


 
 おじさんは寂しいのかな?

 
「いるよ」



 そうか、よかった。僕はコンビニの袋を広げておじさんの方に向けた。おじさんは食べ終わったアイスの棒をそこに入れた。



「ここにいる」



 そうしておじさんは僕を指さした。


 僕は泣きそうになった。



「あ、そっか、そうだね」


 恥ずかしくて曖昧に返した。

 僕はいなくなる。おじさんの友達はいなくなるんだ。


「さてお駄賃をやろう」


 そう言ってガサゴソとポケットを漁る。


「いらないよ、おじさん、冬は寒くなるね、大丈夫?」
「やっと夏の暑さとおさらばできたんだ、まだ冬なんて先のこと話すのやめてくれ」


「そうだね」
「俺は秋がいちばん好きなんだ、だから今がいちばんいい」
「僕も秋が好きだよ」
「そうか、俺は秋生まれだからよ、特に秋が好きだ」
「いつなの?」
「んー? 来週だ」
「来週? 何曜日?」
「何曜日かー、曜日感覚はもうなくなっちまったなー」


 そう言ってまたひゃひゃと笑う。僕はスマホを取り出してカレンダーを開いた。


「どこ?」
「ここだ」


「月曜? 明後日じゃん」
「おお、もうそんなに近くになるか」


 そう言ってまたひゃひゃと笑った。


「じゃあ僕帰るよ」
「おう、気をつけて帰れよ」


 そう言ってポケットから百円玉を取り出して僕のポケットに突っ込んだ。


「いらないって」
「とっとけ、今日はちょっと稼げたんだ」


 そう言って汚れた顔を崩して笑う。


「またね」
「おう、またな」


 帰ってからポケットの中に手をやるとそれは五百円玉だった。アイス代をくれたんだろう。


 僕は小さく嘆息した。


 リビングに行くとシンイリが丸い体を起き上がらせふぁーと欠伸をした。そして大きく伸びをして出してくれとせがむ。


 僕はケージから出して、コンビニで一緒に買った猫のおやつの封を開けた。

 シンイリは今まで見たことがないスピードで僕のところへやってきた。猫っぽい素早い動きを見て、シンイリってやっぱり猫だったんだと当たり前のことをぼんやりと思った。