翌日僕はちゃんと学校に行った。結構偉いと自分でも思う。
廊下をのろのろと歩いていると朱里が教室の中から飛び出してきた。
「やばいやばい」
危うくぶつかりそうになり身を翻す。
「なにどうしたの」
「キタキタ」
「え?」
「坂崎が来たの!」
あいつ、ちゃんと約束守ってくれたのか。嬉しくて頬が緩む。昨日ぶりだけど少し緊張する。
ゆっくりと教室の中に足を踏み入れる、すると坂崎と目が合った。
「よお」
「おお」
なんだかお互い恥ずかしくなり視線を逸らす。
「なになに、打ち合わせ済み?」
前の席の朱里が振り返る。
「まぁそんなとこ」
「ふーん、まぁよかったね」
坂崎は下を向いたまま手を何度も組み替えていた。
「大丈夫か?」
「ん、ああ」
手から汗が出てきたのかハンカチで何度も拭っていた。そしてしばらくしてもまだ拭っていた。たぶんもう汗は出てきていないんだろうけど、それでも何度も何度も拭っていた。
それでも午前中は頑張っていた。だけど午後になりそわそわしだした。
「あの」
坂崎は急に立ち上がる。
しんと静まり返った教室内に椅子が引かれるガラガラという音が耳に響く。
みんな驚いて一斉に坂崎の方を向いた。
「すみません、俺ちょっと、具合が……」
そう言うと先生は「そうか」と驚く様子もなく言った。「えーと、誰か、おう、隣の比嘉、保健室連れてってやれ」
「あ、はい」
クラスの喧騒は先生が手を叩くことで収まった。パンパンと先生が手を叩くとみんなそれぞれ黒板に体を向き直す。
僕は坂崎を連れて教室を出た。
「大丈夫か?」
「ああ、ごめん」
「いや、無理させたな」
「やっぱり俺には無理かもしれない」
「そうか、無理しなくていいぞ」
「ごめん」
もしかしてここに来る前より状態が悪化していたらどうしようか、そしたら僕のせいだ。坂崎を見るかぎりそんな感じがする。
どうしよう。僕が連れ出したためにこんなことになってしまった。
翌日、坂崎はまた学校に来なくなってしまった。
メッセージのやり取りはなんとか返してくれるけどそれでもやっと立てたスタートラインから大きく後退してしまったような、そんな感じがした。
「あー、明日はやっと土曜日」
朱里の機嫌がいい。
「三連休だよー、最高」
そんな声がクラスメイトのあちこちから聞こえてくる。そうだ、三連休だったな。僕の家では毎年この時期は泊まりでどこかに行く。今年も行くっていっていた。気分転換を兼ねて慶太もと言われたけど僕は受験の最後の追い込みもしたいしと言って断った。
そしたら危うく旅行自体が取りやめになるところだった。妹は楽しみにしているんだ、毎年恒例のこの旅行を。
だから僕のことは気にしなくていい、誰もいないとかえって勉強に集中できるからいいと言ってなんとか旅行は中止にならずにすんだ。
昼の時間に自由に開いている塾にふらりと行き、夜も勉強してどこかいちにちくらいは気晴らしに出かけようかなと考えていた。だけどここ数日いろんなことがありすぎてそんな考えも吹っ飛んだ。
とりあえず家に帰る。今日は塾もないしゆっくりできる。逆に勉強しているくらいの方が余計なことを考えてなくてすむのかもしれない。最近そう思ってきた。
勉強をすることがなにより精神的にいいなんて世の中の受験生が聞いたらみんな欲しがるような環境だろうけど、現実を知ったらみんないらないと思い直すだろう。
「慶太、ちょっといいか」
ドアがノックされた。父さんの声が扉越しに聞こえる。
「うん」
僕が返事をするとドアは開けられた。
「あの話だけど」
「あの話? なんだっけ?」
僕の周りにはいろんな話が多すぎて頭が追いつかない。
「お前が言ったんじゃないかよ、猫飼いたいって、忘れたのかよ」
そう言ってすっかり忘れていそうな僕に呆れたように苦笑した。
「あー、もちろん覚えてるよ」
「その子どうなった?」
「どうもこうもなにも変わってないよ」
「そうか」 父さんは腰を下ろした。部屋をぐるりと見回す。「なんもねえな」と笑う。
「そりゃ勉強しかしてないし」
「そうだよな、勉強頑張ってるもんな……その子、連れてこいよ」
「え? マジ? いいの?」
「ああ、母さんとも話したけどあの写真見た時に思ったんだよな、モナカの生まれ変わりかな、なんつってな」
そう言って照れくさそうに父さんは笑った。
「ありがとう! すごい人懐っこい子なんだよ」
「そうか、会えるの楽しみだな」
「すぐ連れてきてもいい?」
「モナカが使ってたゲージとかキャットタワーあるし、餌とか砂は俺が今日買ってきたよ」
「今日? もう? あるの?」
僕は嬉しくなって一緒にリビングに下りていった。
妹が待ちきれない様子で空っぽのケージの前に座っていた。
「お兄ちゃんいつ連れてくる?」
「今連絡するよ、明日には連れてこれるんじゃないかな?」
「えー、明日から旅行だもん、今日がよかった」
「こら、遥菜! わがまま言うんじゃありませんよ」
母さんに怒られた妹を見て苦笑する。
「とりあえず連絡だけしてくる」
すぐにスマホを取り出してあすみちゃんに連絡した。今日は塾がないからまだ十八時過ぎだ。
――あすみちゃん、体調大丈夫?
すぐに既読になり返事が来た。
――うん、今は大丈夫だよ
――よかった、あの猫のことなんだけど
――あ、うん、どうなった?
――うちで飼えることになったよ
――マジ?
――うん、だから都合のいい日に取りに行っていいかな?
――うちはいつでも大丈夫、今からでも夜遅くなっても、明日でも
相変わらずあすみちゃんの家ってどんな感じなのか気になった。今からはそんなに非常識な時間じゃないからいいとして、夜遅くなってもいいってところが引っかかる。
前に親が帰ってこないって言っていたっけ。
それと妊娠と関係があるのかな?
寂しくて、みたいな。
そこまで考えて首を大きく振った。
いろいろ考えることが多すぎて頭がパンクしてしまいそうだったからだ。
僕はリビングに戻りそのことを伝えた。モナカが使っていたときのキャリーバッグがあるからと渡された。
「車出そうか?」
「まだ飲んでない?」
「ああ、今はまだ一滴も飲んでないぞ」
「でもまぁそんな遠くないからいいや」
「そっか、迎え必要になったら言ってくれ、飲まずに待ってるから」
「飲んでていいよ、冷蔵庫の中でキンキンに冷えたビールが父さんのこと待ってるよ」
そう言うと父さんは少し誘惑に乗ってしまいそうな、そんな顔をした。
廊下をのろのろと歩いていると朱里が教室の中から飛び出してきた。
「やばいやばい」
危うくぶつかりそうになり身を翻す。
「なにどうしたの」
「キタキタ」
「え?」
「坂崎が来たの!」
あいつ、ちゃんと約束守ってくれたのか。嬉しくて頬が緩む。昨日ぶりだけど少し緊張する。
ゆっくりと教室の中に足を踏み入れる、すると坂崎と目が合った。
「よお」
「おお」
なんだかお互い恥ずかしくなり視線を逸らす。
「なになに、打ち合わせ済み?」
前の席の朱里が振り返る。
「まぁそんなとこ」
「ふーん、まぁよかったね」
坂崎は下を向いたまま手を何度も組み替えていた。
「大丈夫か?」
「ん、ああ」
手から汗が出てきたのかハンカチで何度も拭っていた。そしてしばらくしてもまだ拭っていた。たぶんもう汗は出てきていないんだろうけど、それでも何度も何度も拭っていた。
それでも午前中は頑張っていた。だけど午後になりそわそわしだした。
「あの」
坂崎は急に立ち上がる。
しんと静まり返った教室内に椅子が引かれるガラガラという音が耳に響く。
みんな驚いて一斉に坂崎の方を向いた。
「すみません、俺ちょっと、具合が……」
そう言うと先生は「そうか」と驚く様子もなく言った。「えーと、誰か、おう、隣の比嘉、保健室連れてってやれ」
「あ、はい」
クラスの喧騒は先生が手を叩くことで収まった。パンパンと先生が手を叩くとみんなそれぞれ黒板に体を向き直す。
僕は坂崎を連れて教室を出た。
「大丈夫か?」
「ああ、ごめん」
「いや、無理させたな」
「やっぱり俺には無理かもしれない」
「そうか、無理しなくていいぞ」
「ごめん」
もしかしてここに来る前より状態が悪化していたらどうしようか、そしたら僕のせいだ。坂崎を見るかぎりそんな感じがする。
どうしよう。僕が連れ出したためにこんなことになってしまった。
翌日、坂崎はまた学校に来なくなってしまった。
メッセージのやり取りはなんとか返してくれるけどそれでもやっと立てたスタートラインから大きく後退してしまったような、そんな感じがした。
「あー、明日はやっと土曜日」
朱里の機嫌がいい。
「三連休だよー、最高」
そんな声がクラスメイトのあちこちから聞こえてくる。そうだ、三連休だったな。僕の家では毎年この時期は泊まりでどこかに行く。今年も行くっていっていた。気分転換を兼ねて慶太もと言われたけど僕は受験の最後の追い込みもしたいしと言って断った。
そしたら危うく旅行自体が取りやめになるところだった。妹は楽しみにしているんだ、毎年恒例のこの旅行を。
だから僕のことは気にしなくていい、誰もいないとかえって勉強に集中できるからいいと言ってなんとか旅行は中止にならずにすんだ。
昼の時間に自由に開いている塾にふらりと行き、夜も勉強してどこかいちにちくらいは気晴らしに出かけようかなと考えていた。だけどここ数日いろんなことがありすぎてそんな考えも吹っ飛んだ。
とりあえず家に帰る。今日は塾もないしゆっくりできる。逆に勉強しているくらいの方が余計なことを考えてなくてすむのかもしれない。最近そう思ってきた。
勉強をすることがなにより精神的にいいなんて世の中の受験生が聞いたらみんな欲しがるような環境だろうけど、現実を知ったらみんないらないと思い直すだろう。
「慶太、ちょっといいか」
ドアがノックされた。父さんの声が扉越しに聞こえる。
「うん」
僕が返事をするとドアは開けられた。
「あの話だけど」
「あの話? なんだっけ?」
僕の周りにはいろんな話が多すぎて頭が追いつかない。
「お前が言ったんじゃないかよ、猫飼いたいって、忘れたのかよ」
そう言ってすっかり忘れていそうな僕に呆れたように苦笑した。
「あー、もちろん覚えてるよ」
「その子どうなった?」
「どうもこうもなにも変わってないよ」
「そうか」 父さんは腰を下ろした。部屋をぐるりと見回す。「なんもねえな」と笑う。
「そりゃ勉強しかしてないし」
「そうだよな、勉強頑張ってるもんな……その子、連れてこいよ」
「え? マジ? いいの?」
「ああ、母さんとも話したけどあの写真見た時に思ったんだよな、モナカの生まれ変わりかな、なんつってな」
そう言って照れくさそうに父さんは笑った。
「ありがとう! すごい人懐っこい子なんだよ」
「そうか、会えるの楽しみだな」
「すぐ連れてきてもいい?」
「モナカが使ってたゲージとかキャットタワーあるし、餌とか砂は俺が今日買ってきたよ」
「今日? もう? あるの?」
僕は嬉しくなって一緒にリビングに下りていった。
妹が待ちきれない様子で空っぽのケージの前に座っていた。
「お兄ちゃんいつ連れてくる?」
「今連絡するよ、明日には連れてこれるんじゃないかな?」
「えー、明日から旅行だもん、今日がよかった」
「こら、遥菜! わがまま言うんじゃありませんよ」
母さんに怒られた妹を見て苦笑する。
「とりあえず連絡だけしてくる」
すぐにスマホを取り出してあすみちゃんに連絡した。今日は塾がないからまだ十八時過ぎだ。
――あすみちゃん、体調大丈夫?
すぐに既読になり返事が来た。
――うん、今は大丈夫だよ
――よかった、あの猫のことなんだけど
――あ、うん、どうなった?
――うちで飼えることになったよ
――マジ?
――うん、だから都合のいい日に取りに行っていいかな?
――うちはいつでも大丈夫、今からでも夜遅くなっても、明日でも
相変わらずあすみちゃんの家ってどんな感じなのか気になった。今からはそんなに非常識な時間じゃないからいいとして、夜遅くなってもいいってところが引っかかる。
前に親が帰ってこないって言っていたっけ。
それと妊娠と関係があるのかな?
寂しくて、みたいな。
そこまで考えて首を大きく振った。
いろいろ考えることが多すぎて頭がパンクしてしまいそうだったからだ。
僕はリビングに戻りそのことを伝えた。モナカが使っていたときのキャリーバッグがあるからと渡された。
「車出そうか?」
「まだ飲んでない?」
「ああ、今はまだ一滴も飲んでないぞ」
「でもまぁそんな遠くないからいいや」
「そっか、迎え必要になったら言ってくれ、飲まずに待ってるから」
「飲んでていいよ、冷蔵庫の中でキンキンに冷えたビールが父さんのこと待ってるよ」
そう言うと父さんは少し誘惑に乗ってしまいそうな、そんな顔をした。