「え?」

 これにはさすがに坂崎だけじゃなくて僕からも声がでた。モナは驚いてはいなかった。

「モナは知ってたの?」
「昨日聞いた」
「そう」

 いちにちで結構仲良くなったんだな。それはそれで嬉しい。

 いやだけどだよ、てことはあの時体調悪いのも悪阻だったってわけだし、そもそも猫飼えないのは妊婦さんだから? それなら大変だ、すぐにでもうちに連れてこなきゃ。

「ちなみになんだけど、坂崎の家、猫飼えないよね?」
「うち犬いるからな」
「だよね、ダメ元で聞いただけ」

 話を整理する、僕は一ヶ月で死に、モナは死神、あすみちゃんは高校生で妊娠している。


「なぁ比嘉ー」
「んー?」
「ごめん、俺ここにいて浮いてない?」
「そうだよ、そうなんだよ、僕たちの悩みからしたら坂崎、お前はまだなんだってできる。もちろん学校に行きたくない気持ちが簡単に変えられるなんて思ってなんかないし、それはそれですごくつらいのはわかるんだ、だけど、この中でひとりずつ助かりたいんだ、最終的にはみんなで助かりたいんだ、頼むよ、そのトップバッター、行ってくれないか?」 坂崎はなにやら考え込んでいた。「すぐにじゃなくていいよ、まぁだけど一ヶ月以内だと助かる」自虐っぽくそう言うと坂崎がクスッと笑った。

 
 まず坂崎は学校に行くことが決まった。

 
「あすみちゃんは病院に行く?」
「うん、実はもう行ってて、確定だったの」
「そっか……」

 どうするかなんて聞けなかった。相手の人のことも、親が帰ってこないって言っていたことも全部ぜんぶ気になったけど今はまだ胸に閉じ込めた。

 まずは猫が先決だ。ひとつずつできることからタスクを切ってこなしていこう。

「モナ、上の方に掛け合ってくれた?」
「あ、うん、そろそろ来ると思う」
「来る? 怖い人が?」
「うん、中には入れないから外で会う」

 それはそれでますます怖いぞ。


「なぜ中には入れないの?」
「見えないから、死神のことは会いに行ったターゲット以外には見えないの」

 なるほど。


「じゃあなんでモナちゃんのことは私たち見えてるの?」

 そうだ、それが気になる。

「それは私がシンイリで、まだ特殊業務の最中だから」
「一人前になったら、俺らモナのこと見えなくなるの?」
「うん」

 胸が苦しくなった。

「感傷に浸っている時になんなんだけどさ、今までの話を合わせると、モナさんて子が一人前になる時に比嘉はいないんだからどっちみち会えないんじゃないか?」

 比嘉のその言葉に「確かに」という言葉が出た。

 そうだ、僕はどちらにせよあと一ヶ月しか時間がないのだ。

 とりあえず坂崎とは解散して僕とモナとあすみちゃんと歩く。

 タッタッタッと足音が後ろから聞こえてきた。僕はふたりを道路脇に寄せた。ランニングしている人がいたと思ったから。

 モナは「ありがとう」と言った。あすみちゃんは不思議そうな顔をした。

 振り返ると全身黒いスーツ、真っ黒の髪の毛はビッチリとワックスかなにかで固められている。いわゆるオールバックのヘアスタイルをしている三十五歳くらいの男の人だった。

「こいつか」

 その男は鋭いナイフのような目をしていた。その目をこちらにやる。カタギじゃないって一瞬でわかる、そんな目をしていた。

 これがモナが言っていた「怖い人」なのか、納得だ。

「でー、シンイリ、なんだっけ、変更だっけ?」
「あ、はい、間違えちゃって、だから変更させてほしいんです」
「うーん、本来は変更はできないよ、だけどまぁ初仕事だったわけだし一度くらいはチャンスを……」


『ほんとですか?!』

 ふたり同時に叫んだ。すると鋭いナイフのような目の男は「うっさ」と耳を塞いで顔を背けた。

 その瞬間、彼の背中が見えた。

「えっ」

 と声を出そうとした時だった。その横にいたあすみちゃんに気がついた。

 あすみちゃんは瞬きをしながらジーッとこっちを見ていた。こわばった顔、何かを振り払うように大きく深呼吸をした。

「あすみちゃん? どうしたの?」

「ねぇ、けいたくんもモナちゃんも……さっきから誰と話してるの?」

「え? あ、そっか、見えないのか」
「俺のことは死神にターゲットにされた奴にしか見えねーよ」

 こちらに向き直っていたからさっきの“アレ”はもう見えない。

「てことはやり直しが成功した時、僕はモナが見えなくなるんですか?」
「こいつが成功した時、こいつは一人前になるんだから死神にターゲットにされた人間にしか見えなくなるよ」
「記憶は? 記憶はどうなります?」
「そんなところ気になる?」
「あ、はい」
「ある方がこえーだろ、きれいさっぱり消してやるよ、アフターサービスには定評があるんだぜ、うちは」

 頭を振る。

「ねぇ、なに、誰かとなに話してるの?」
「あすみちゃん、あとで言うね」

「そのやり直しの方法ってもう一回誰かと目を合わせればいいんですか?」
「いや、それはもう使えない、その死の所有権はこの兄ちゃんのもんになってるからな、それを放棄しなければならない」

「放棄?」

「誰かになすり付けるんだよ、死んでほしい奴とか、死にかけてる奴とか、誰かいるだろ、そいつに押しつければそれでおしまい、お前は生きられるよ、だけどお前の知ってる人じゃなきゃダメだぞ」


 そんなこと……。できるわけがない。
 僕は膝から崩れ落ちた。

「お前が持ってろ」

 彼はモナに紙を渡す。


「ちょっと、けいたくん大丈夫?」

 あすみちゃんが僕の肩を掴んだ。
 あすみちゃんの力にすら抗えないくらい弱い僕がそこにはいた。

 怖い人はじゃあ、と踵を返した。
 背中に身長と同じくらいの大きなカマがかかっていた。


「けいたくん?」
「ごめん、大丈夫だよ」
「なにがあったの? 教えて」

 あすみちゃんに言っても心配させるだけだ。

「えっと、モナの上司みたいな人がいたんだよ、優しそうな人だったよ、僕が死ぬの取り消してくれるか掛け合ってくれてるみたいなんだ」
「そうなの? よかった」

 あすみちゃんには心配をかけさせたくないからこれでいい。

「誰かが代わりになればけいたは助かる」
「え?」
「ちょっと、モナ!」

「死の所有権を誰かに譲渡する。けいたが誰かを指名すればけいたは生きられる」
「なによ……それ」

 あすみちゃんは言葉を失った。

「大丈夫だよ、そんなことしない」
「でもそれじゃあ」
「大丈夫、誰にも譲渡はしない」


「例えばもう助かりそうにない病院にいるおじいはんとかおばあさんとかでもいいのかな?」

 あすみちゃんの言葉は聞こえてきたけど僕にはわからず答えられない。それにもしそれができたとしてもそれをするのは憚かれる。

 膝をついままの僕の肩にモナの手が触れた。
   
「もう一度よく調べてくる」
「モナちゃん……大丈夫だよね?」

 不安そうにあすみちゃんが聞く。
 モナは力強くうなずく。