パソコンに向かって、発注の入力処理を黙々と行っている。月曜日は朝来ると、注文書が溜まっていることが多いので午前中一杯かかってしまう。
 ミスがないように、紙に印刷したものを確認しながら進める。納期のあるものは、日付を間違えると大変なことになるので尚一層注意深く入力作業を行う。
 新人の時に間違えたことがあり、とんでもないことになった経験からこの作業には人一倍気を使っている。

 最後の注文書を入力し終わって、時計を見ると丁度お昼の時間になろうというところだった。そこで初めて、今日のお昼は何を食べようかと考える。
 誰かに誘われることがない限り大体コンビニで済ませるのだが、今日は誘われる気配がない……。
 時計の針が十二時を指すと、室内にいた人たちがバタバタと立ち上がり昼休憩に入っていく。私も自分の席から立ちあがって、机の引き出しを開けて財布を取りだした。

 オフィスを出て、駅の方面に向かう。コンビニにしようかと思ったが、外に出て気分が変わり行き先を変更した。
 駅まで足を延ばして、駅ビルに入っているお店のテイクアウトにしてちょっと贅沢をしようと思ったのだ。何にしようかなと考えながら歩いていると、背の高い男の人が目に入る。

 もしかしたら、幸知じゃないだろうか……。私は、少し速足で歩いてその男性との距離を縮めた。横顔が見えるところまで来ると、やはり幸知だとわかる。

「幸知くん」

 私は、思い切って声をかけた。幸知が、立ち止まって後ろを振り返る。

「あっ、咲さん……」

 あれ? 何となく元気がないような?

「どうかしたの? なんか元気ない?」

 私は、幸知の顔を下から覗き込む。すると、ちょっとびっくりしたみたいなリアクションがあった。

「ん? 当たり?」

 私は、さらに幸知に問いただす。幸知は、見るからに肩を落として「ちょっと……」と言葉を濁した。

「時間ある? あるなら一緒にお昼食べない? 私一人で寂しかったの」

 私は、できるだけ明るい声を心がけた。

「時間は大丈夫ですけど……、お昼はもう食べちゃってて……」
「そしたら、幸知くんはデザートでも食べたらいいよ。私はお昼食べるけど。どう?」

 私は、首を傾げて幸知に尋ねる。

「それだったら……」

 幸知が、了承の返事をくれたので私は頭の中でお店をピックアップする。デザートが充実していて、お昼もしっかり摂れるところはどこだろう……。
 いくつか候補が頭の中に浮かんだので、幸知に確認を取る。

「私が決めちゃってもいいかな?」
「はい。もちろんです」

 私は、ちょっと駅からは歩くけれど比較的空いている喫茶店に決めた。

「じゃあ、ちょっと歩くけどついて来て」

 私は、指で行く方向を示すと速足で歩き出す。会社のお昼休憩中なので時間は限られてしまう。ゆっくり話を聞いてあげるなら、少し急いだ方がいい。

だけど、こういう時に限ってちょっとヒールの高いパンプスを履いていた。急いでいた私は、小石に気付かずにヒールで踏んでしまい、バランスを崩してしまう。

「――――危ない!!」

 転びそうになる私を、咄嗟に幸知が支えてくれた。背が高い彼に、後ろから腰を支えられて包み込まれてしまう。

「大丈夫ですか?」

 幸知に耳元で囁かれる。助けてもらったとはいえ、密着度が高すぎて胸の鼓動が煩い。

「ご、ごめん……。大丈夫、ありがとう」

 私は、できるだけ冷静になって答えたつもりだった。

「あれ、咲さん顔赤い?」
「もう、早く離れて! そういうことをいちいち言わない」
「わかりましたよー」

 そう言いながら、幸知は私から離れる。こんなことくらいで動揺する自分が憎らしい。だけど、私にはイケメン耐性はないのだ……。

「お昼が終わっちゃうから急ぐよ!」

 私は、今度は慎重に速足で歩き出す。幸知も黙ってついて来てくれた。

 目的の場所は、ビルの地下にあって結構急な階段を下がっていく。下がりきった踊り場から店内の様子がドア越しに見えた。
 思っていた通り、混雑している様子はない。透明のドアを開けて中に入ると、店員さんに「お好きな席にどうぞ」と声をかけられた。

 私は、店内の端っこにあるベンチシートになっている四人席へと足を進める。私が腰を下ろすと、向かい側に幸知も座った。
 席に着くと、店員がすぐにお水とお手拭きを持って来てくれて「ご注文が決まりましたらお呼びください」と下がって行った。

 この喫茶店は、軽食が豊富でスイーツも種類がたくさんある。友達と一緒に食べに来た時などは、時間があるとデザートにビッグパフェを頼んでしまう。
 細長いグラスに盛られたソフトクリームの上に、チョコクリームが上から下に幾筋も乗っている。ソフトクリームの下には、シリアルが敷き詰められていてサイドにはバナナが盛られている魅惑的なデザートなのだ。
 最初に見た時は、かなりの大きさにびっくりしたものだけど今では私の大好きなパフェ。

「ここ、スイーツのメニュー多いから迷っちゃうんだよね。私は、お腹空いたからピザトーストとコーンポタージュにしまーす」

 メニューをざっと見た私は、さっさと決めて幸知の顔を伺う。彼もメニューを見てどれにするか選んでいた。

「じゃー、俺はコーヒーゼリーにします」
「それだけでいいの? コービーゼリーも美味しいけどさ」
「はい。あまりお腹空いてないんで」

 無理強いするのは良くないので、私は店員さんを呼んで注文をした。そして、改めて幸知と向き合う。

「同じ駅を使っているのに、会ったのって初めてだねー。びっくりしちゃった」

 私は、お水を一口飲んだ。

「ですね。行動時間が違うからですかね……。いつもはこんな時間になんて、駅にいることないですから。たまたまなんです」
「そっかそっか。で、どうしたの? 落ち込んでいるみたいだけど」

 私は、時間をかけずに本題に入る。なんせ、あまり時間がないので巻いていきたいのだ。

「あーはい……」

 幸知は、言いたくないのかはっきりしない。ここで無理やりに聞き出してもしょうがないかと、私は作戦を変更することにした。

「ねーこのお店、幸知くん知ってた? 一人でも入りやすいし、私結構好きなんだよね」

 そう声をかると、幸知は顔を上げて周囲を見回した。

「俺、駅のこっち側ってあまり来たことなくて初めて来ました。メニューも豊富だしコスパもいいですよね。今度お腹が空いている時にまた来たいです」

 少し気分を変えることができたのか、表情がさっきよりも明るくなっている。

「でしょ。穴場だから良ければ使ってね」

 私は、ニコニコ顔で相槌を打つ。そんな風にたわいもない話をしていたのだけれど、意を決した幸知は重い口を開き始めた。

「俺、この前咲さんに言われてから自分なりに歌で活動を始めたんです。顔は出さない形でWEBにアップして公開したりして……。でも思うように閲覧数が伸びなくて……。なんでか俺、それなりに根拠のない自信みたいのがあって。でも実際は全然駄目で、俺、歌の才能なかったんだって突き付けられたっていうか……」

 幸知は、そこまで言うともう言うことがなくなったのか黙ってしまった。私は、テーブルに頬杖をついて幸知を見る。
 彼は、自分の告白が恥ずかしいのか目線を下げていた。

「なるほど。でも、ちゃんと動いたって凄いね。誰かに言われたからって、すぐに動けるもんじゃないから」
「でも、結果出てないので意味なかったです」

 幸知が、すっかりしょげ返っている。

「意味がないってことは無いと思うけど。私、詳しくないからよくわからないんだけど、一回WEBに上げたくらいですぐにそんなに結果出るもんなの? みんな何度も投稿して、少しずつファンを増やしたり技術上げたりするんじゃないの?」

 私は、純粋な疑問を口にする。普通に考えてそんなにすぐに結果が出たら、誰もが歌手になれる気がする。

「それはそうですけど……。本当に全く、閲覧数が伸びずコメントも来ずで……。こんなはずじゃなかったって気持ちが大きくて……」

 自分の気持ちを言葉にするたびに、幸知がどんどん小さくなっていくように沈んでいる。見ていて、幸知には申し訳ないけれどなんか面白い。若いなーいいなーって三十歳になった私は思ってしまう。
 でもこれは、三十歳になったから見える景色だ。幸知にそれを言っても、きっとわからないだろうし面白くないはずだ。

 私は、なんて声をかけようかと熟考する。

「じゃー諦める? 私さ、今の幸知くんの歌での立ち位置がわかって良かったと思うんだけど。これじゃ駄目だともっと努力するのか。やっぱり、趣味に留めて自分が楽しめればそれで満足なのか。期待していたようにいかなかったのって、ショックだと思うけど割と普通のことだと思うし」

 私は、手元にあったお水のグラスを持ってくるくると氷を回す。厳しいことを言っている自覚があって、幸知の顔をみるのはちょっと気まずい。

「咲さんって、結構ずばずば遠慮ないですよね」

 幸知は、気持ちのない笑いを浮かべる。

「ごめん。んっとね、就職のこととか夢のことで迷ったり落ち込んだりするのって普通なのよ。自分の思い通り、人生ほいほい歩んで行く人なんていないよ。いたら怒るよ。それこそズルいって。だから、チャレンジしないよりも当たって砕けた方が良いでしょ?」

「咲さんも、迷ったりしましたか?」

 幸知がそう訊ねたところで、店員さんが注文した料理を持って来てくれた。手際よくテーブルに置くと、注文が書かれた伝票を透明の筒にさすと下がって行った。

「もちろんだよって言いたいところだけれど……。迷うというよりは、ショックの方が多かったかな。とりあえず、来たから食べよう。いただきます」

 私は、半分に切ってあるピザトーストを手で持って齧り付く。ピーマンとベーコンそしてチーズが乗ったトーストは、シンプルな味だけど美味しい。変に凝ってない感じが私は好き。
 それと、このピザトーストには少しだけどサラダも付いてくる。栄養バランスも満点で、このお店が好きな理由の一つでもある。

 幸知を見ると、コーヒーゼリーをスプーンですくって食べている。美味しいようで、顔がほころんでいる。

「美味しい?」

 私は、たまらず聞いてしまう。

「はい。コーヒーが苦すぎず丁度いい感じですね」
「なら、良かった」

 私は、ちょっと急いでピザトーストを食べ進める。中途半端になってしまったので、もうちょっと話をしたかった。
 ピザトーストをお水で流し込んで、口が空いたので先ほどの続きを話す。

「私の場合はさ、漠然と事務がいいなって思っていて業界とかは特に希望もなくて。結構、就職も厳しい時代だったから、あらゆる業界の事務受けたの。でも、片っ端から落ちまくって。私が、頭良くなかったってのもあるんだけど……。だから、社会に必要とされてないんだってよく落ち込んでたよ。今、考えると大げさなんだけど」

 私は、あの頃のことを思い出してちょっと笑う。

「どれくらい受けたんですか?」

「んー、四十社とか五十社とかかな? あの時代は、それが普通だったの。大変だと思わない?」

 私は、ふふふと笑みをこぼす。

「五十社……」

 幸知は、驚いたのか言葉を失っている。

「そっ。だからさ、自分の思い通りにいかなくてショックを受けるってありがちなことよ。じゃーどうしようかな? って考える方が大事ってことね」
「なんか不思議と咲さんの言葉って説得力がある」

 幸知は、不思議そうに私を見ている。

「そう? 多分、相談したら幸知くんのご両親も同じようなこと言ってくれると思うよ」
「そうですか? でも、親に言われたらなんかムカつく気がします」
「あはは。やっぱ、親って近すぎるのかね。私も、親から言われるお小言は苦手だな」
「咲さんでも、親から何か言われることってあるんですか?」
「そりゃーあるよ。ありまくりです。でも、知り合いのお姉さんやお兄さんの話の方が、聞きやすいってのはあるかもね。あっ、バーベキューやるんだけど幸知くんも来る? 一杯お兄さんお姉さんいるから、いろんな話聞けるかもよ」

 私は、湊さんや七菜香や蘭のことを思い出して提案する。きっと彼らの方が、私なんかよりも上手にアドバイスできるような気がする。

「俺がいきなり参加してもいいんですか?」

 幸知は、不安そうな顔をする。

「大丈夫だよ。わりと、初めましての人いたりするから。予定が合えば気分転換にどう?」

 私は、自分の腕時計を見て時間が迫っていることに気づく。

「ごめん。私、そろそろ行かないとだ。夜にでも連絡する」

 私は、伝票を透明の筒から抜き取って立ち上がる。

「あっ、お金払います」

 幸知が立ち上がって慌てている。

「いいよ。今日は、私が誘ったんだし。これくらいお姉さんにおごらせて」
「すみません。話を聞いてもらったのは、俺なのに」
「幸知くんに会えて嬉しかったよ。んじゃ、またね」

 私は、レジに向かい手早くお会計を済ませたのだった。