私は、テーブルの上に無造作に置かれた食べ物の中からシーザーサラダを取って封を開ける。さっき、おにぎりを二個食べちゃったから野菜を食べたいと思ったのだ。
 幸知は、おにぎりを選んで袋を開けている。

「食べながらでいいから、話聞かせて」

 私は話を促す。明日のこともあるし、ある程度のことは聞いておきたい。幸知は、おにぎりをほおばって飲み込んでから口を開いた。

「俺、大学三年生で二十歳なんですけど……ってかもうすぐ二十一なんですが……」
「二十歳……若いとは思っていたけど思ってたより若い……。10個下か……」

 幸知は、ペットボトルのお茶をぐびぐび飲んでいる。改めてじっくり見る彼は、お風呂から上がってさっぱりしたからか美男子っぷりが上がっている。
 目はくりっとしていて、人懐っこい印象を受ける。鼻筋がすっとしていて、それが整った顔立ちを際立たせていた。
 しかも、短く整った髪がまだ濡れているからか、色気をほんのり醸している。見ていたら、変にドギマギしてくる……。

 そんな私をよそに、幸知は説明を続けた。

「で、そろそろ本格的に就職のことを考えないといけなくて……。うち父親が経営者で、その後を継ぐように言われて育ったんです」
「ふーん。なるほど」

 私は、レタスにフォークを突き刺してもぐもぐとサラダを食べ進める。

「でも俺、シンガーソングライターになりたくて……。それを親に言ったら喧嘩になったと言うか……」
「よくあるやつだね」
「なんかちょっと馬鹿にしてます?」

 幸知が、ムッとしている。別に私は馬鹿にしたとかではなく、言葉そのままの意味だった。

「してないよ。大学生にありがちなことって思っただけだよ。夢があっていいじゃん。二十歳なんて何やってもいいと思う。まー、親御さんの気持ちは、また別だろうけどね」

 私は、サラダが入っているプラのカップを手に持って残っている野菜にドレッシングを絡める。コンビニのサラダって、美味しいし手軽に野菜が取れるから結構買ってしまう。
 隣の幸知は、まだ納得がいかないのかジトっとした目で私を見ている。

「そんな怒らない。ほら、お腹空いてるでしょ? どんどん食べて」

 私は、テーブルの上の食べ物を進める。不機嫌になっても仕方ないと思ったのか、今度はホットドックに手を伸ばしている。

「俺、わりと今まで親の言うこと聞いて真面目にやってきたんです。高校の時に音楽と出会って、受験だったから一回封印してたんですけど……。大学に無事に合格してからは、解放されたって言うか……。歌ってるのが楽しくて、それ以外はどうでもよくなっちゃって」

 幸知は、今の自分を客観的に振り返っているのかどこか遠くを見ているみたいだ。

「いいね。私さ、漫画とか小説とか読むことが好きってだけなのよ。何かを学ぶとか、練習するとか毎日やり続けなきゃいけないってことが苦手なの。唯一、読むことだけが私の好きなことなんだよね。だから、歌ってるのが好きっていいと思うよ」

「でもそれは、所詮趣味の範囲ではって前置きが入りますよね? 仕事としてシンガーソングライターなんて無理だって、親を始めみんなから言われます」

 幸知は、自分が言った言葉に落ち込み出した。私はそんな彼を見て、二十代前半らしく生きてるなって感じる。
 夢があるけど、周りに認めてもらえなくて、でも諦めきれなくてもがいている。将来、自分がどう生きたいのか考えて、悩んで、傷ついて、でも答えが出なくて悶々とする日々。

「私はさ、親でもないし友達でもないから正直に言うけど。どうしても諦められないなら、夢に向かって行動してもいいと思うよ。むしろ、した方が良いと思う。幸知くんはさ、シンガーソングライターになるために何かしてることはあるの?」

 私は、ちょっと真剣な顔で話す。こんな年だけ食っているお姉さんだけど、一応先輩として言えることはある。

「大学で軽音部に入ってて、そこで活動してます」

 幸知は、真顔になって答える。

「なるほど、具体的にはどんな活動なの? ライブやったりして、実際にお客さんの前でやるの?」

 私は、さらに質問を続ける。

「えっと、お客さんの前でやったのは文化祭の時の二回だけです」

 幸知は、お客さんという単語に敏感に反応した気がする。なぜか、さっきとは違って自信がなさそうだ。

「それ以外は、部活時間に練習してるってこと? シンガーソングライターって、作詞作曲もするの?」
「そうです。講義の空き時間はほとんど部室にいて、ギター弾いてることが多いですね。自分で曲作りもやります」

 幸知の答えを聞きながら、私はどうしたものかと頭を悩ませる。聞いた感じ、これじゃー親御さんも趣味に留めろと言いたくなるのもわかる気がした。

「そっかっそっか。幸知くんのファンとかもいたりするのかな?」
「多少は……。大学の軽音部って大きな括りでは、好きな子たくさんいますけど。そもそも、お客さんの前でやったのも二回しかないですし」
「ちなみに、その時はオリジナル曲を歌ったりしたの?」

 私からは、質問ばかりが浮かぶ。

「その時は、カバー曲だけです。だってまだ、お客さんの前で歌えるほど完成度の高い曲なんてできないですもん」

 幸知が、自分の拘りを見せる。んー、何を聞いてもプロになれるよ、頑張ってって言えそうな話が出てこない。
 さっきの路地で見た、絶対に譲れないという意地みたいな顔を浮かべていた人と同一人物に思えない。

「えーと、ちょっと話は戻るけど、で、何でギター持ってあそこにいたの? 親と喧嘩したって、どんな感じに?」

「父親に、シンガーソングライターになりたいって言ったらそんなの無理に決まってるだろう! って怒鳴られて……。趣味にできないならギターなんて捨ててやるって言われて折られそうになって、許せなくてギターだけ持って家を飛び出てきたんです。急いでたから、何も持ってなくて……。駅に着く間際に何も持って来なかったって気づいて、仕方なくあそこに座っていたって感じです……」

 幸知は、父親のことを思い出したのか落ち着いていたはずの気持ちが再燃している。

「なるほど」

 小説や漫画でよくある描写だなと、口には出さなかったけれどそれが素直な感想だった。お父さんも極端過ぎるけど、彼のこの甘い感じを知っているのなら大人として納得してしまう。
 でもそれを、彼のような若さをもった子に言ってもわからないだろう。

「ん-。お父さんさ、夢があるなら叶える努力っていうか、姿勢っていうかそういう本気さが見たいのかもよ。幸知くんの話だけ聞いてると、シンガーソングライターになりたいのはわかるけどそれに向かって実際に動いてないよね。練習だけしてても、家で曲作ってても世に出してなきゃ人に聞いてもらってなきゃ、シンガーソングライターに近づかないよ」

 私は、慎重に言葉を選んで幸知に伝えた。夢を持っているってことは、素敵なことだ。だけど、将来を決めるこの大切な時に想いだけ持っていても駄目だって知って欲しかった。
 幸知を見ると、肩を落として落ち込んでいる。

「ごめん。言い過ぎたかな? でも私、反対してる訳じゃないからね」

 幸知が、顔を上げて私を見る。

「俺、自分でもわかってて……。父親にああ言われたの、ただ図星で悔しかっただけなのかもしれないです。藤堂さんに、ズバッと言ってもらえてスッキリしました」

 幸知が、複雑な想いを抱えながらもちょっとだけ表情が明るくなっている。このくらいの年の子が、一度は通る想いだ。
 私だって、幸知ぐらいの年の頃は将来どうやって生きていくのか漠然とした不安があった。

 少しは頭の整理ができて落ち着けたかなと、私は訊ねた。

「とりあえず、今日は帰る? 雨にうたれて少しは冷静になった?」

 人に話して少しスッキリしたなら、帰るって言うかなと淡い期待をしたけれど……。

「えっ、泊めてくれるんじゃないんですか?」

 幸知が、裏切られたように悲しそうな顔で私を見る。だって、生死に関わるような大事じゃなかったし帰ろうと思えばまだ帰れる。まあ、本人も落ち着いたみたいだし良かったけれど……。

「遅いからね、今日は泊めてあげるよ。でもさ、明日はちゃんと学校は行かなきゃ駄目だよ。それは約束して。学校だってタダじゃないんだから」

 私は、それだけは幸知に約束させる。幸知も渋々それには頷いていた。