幸知とお別れをした後、十二月だったこともあってあっという間に時間は過ぎていった。いつもみたいに、無心で仕事に打ち込んでいたら元気のない私を気遣って、隣の鈴木さんはゴディバのチョコをプレゼントしてくれた。

「高級にすればいいって問題じゃないです」

 私は、ちょっとむくれて鈴木さんに八つ当たりしてしまう。だけど、口に入れたゴディバのチョコは、甘くて上品で幸せにしてくれる味だった。
 ちょっと涙目になりながら、小さな声で「鈴木さん、ありがとう」と呟くと彼は笑って許してくれた。

「藤堂が元気じゃないと、仕事捗らないからな」

 私の背中をバシバシ叩いて、いつものように軽口を叩く。そんな鈴木さんに救われて、私はどんどん彼に頭が上がらなくなっていた。
 何かお礼をしなきゃと呑気に考えていたら、カレンダーは新しい物に変わり新しい年が始まってしまった。

 新しい年になってからも、私は幸知のことを引きづっていた。自分が幸知をふっておいて、落ち込んでいるのも変な話なのだが……。
 自分の気持ちの収まりどころが見つからずに、ずっと悶々とした日々を過ごしていた。多分、傷つけられた訳じゃなくて、私が幸知を傷つけたからいつまでも胸のつかえが取れなかったのだろう。
 そんな時に、七菜香から三人で会わないかと連絡があった。そろそろ、自分の中に溜め込むのも限界を感じていた為、丁度いいと誘いに乗った。
 その日は珍しく、七菜香の家の近くにあるファミレスでの待ち合わせだった。三人が揃い年始の挨拶をすませて一息ついたとき、私と七菜香の声が被ったのだ。

「「話したいことがあるの!!」」

 私と七菜香は、顔を見合わせる。

「七菜香の話っていい話?」

 私は、七菜香よりも先に尋ねた。いい話の後に言うのは、気まずかったから。

「どちらかと言うと、多分……」

 いつもの七菜香と違い、戸惑いを見せるようなそんな表情だった。

「そしたら悪いんだけど……。私の話から先でいい?」

 私は、七菜香と目を合わせてそう言った。七菜香は、何も言わずにコクリと頷いてくれた。だから私は、小さく深呼吸すると途切れさせずに一気に話す。

「私ね、幸知くんに告白されたの。でも、お断りした。以上」

 二人は、驚いて「「えぇぇぇぇぇぇぇぇー」」と大きな奇声を上げた。

「静かに!!」

 私は、右手の人差し指を唇に当てて静かにするように訴える。二人とも、慌てて自分の口を手で塞いでいた。

「ごめん。展開が急すぎてびっくりした」

 蘭が、声を落としてそう言った。

「え? ってか、そんな関係だった?」

 七菜香も目を見開いて驚いている。

「んー、話せば長くなるんだけど……」

 私は、洗いざらい七菜香と蘭に幸知とあったことを話した。将来のことに悩んで、励ましていたこと。彼の、夢である歌を聞きに大学の文化祭に足を運んだこと。そして、みなとみらいでデートをしたことを――――。

 二人は、口を挟まずに黙って私の話を聞いてくれた。たまに、ドリンクバーのおかわりをしに席を立つことはあったけれど。

「幸知君、マジだったのか……。大学の文化祭か……。それは中々だな」

 七菜香が、思ったことを端から言葉にしていく。

「付き合ってみるって、ちょっとも思わなかったの?」

 蘭は、彼女らしくズバッと切り込んでくる。私は、全部正直な気持ちを聞いてもらおうと素直に話す。

「あのね、それはちょっとも考えなかった。でもね、きっと今まで出会って来た男の人の中で、本当に私を大切にしてくれた人だった。恋だったかは、私にはわからないけれど……」

 私は、綺麗な緑色のクリームソーダのグラスをじっと見る。グラスは、氷を入れたせいで水滴がついていた。

「じゃあ、何で付き合おうと思わなかったの? 別に歳の差あるけど犯罪な訳じゃないし……」

 七菜香は、納得がいっていないようだった。

「だってね、私平凡なの。三十歳になってさ、次付き合う人と結婚したいって思うし子供欲しいって思うの。それをさ、幸知君に背負わせる訳にいかないじゃん。二十歳ってさ、今振り返るとわかるけど若いんだよ。可能性だらけじゃん。何をやっても許されるそんな年齢じゃん」

 私がずっと思っていた彼への想いだった。幸知を見ていると眩しくて、私が隣にいることは憚られた。二人とも、私の言わんとしていることがわかるのか押し黙る。

「そうだけど……。でも、それでも良いって幸知君なら言うかもしれなかったじゃん」

 七菜香は、きっと私のためにそう言ってくれている。

「私、邪魔したくなかったんだ。多分さ、私も変わらないといけないんだと思う」

 七菜香や蘭としゃべりながら、はっきりしていなかった自分の考えが見えてくる。

(そう、きっと結婚に囚われている私の意識も変わらないといけないのだ)

「でもさ私……。逆に咲が羨ましい。今まで言ってこなかったけど、私さ……。結婚や子供に全く興味がないの。彼氏は、居た方が楽しいからつくるんだけど……」

 はっきり物をいう蘭が、珍しく思い悩んでいるような話し方だった。

「何で? どこが羨ましの? すっぱり割り切れる蘭の方が格好いいよ……」

 私は、蘭が言う意味がつかめなかった。私も蘭みたいに割り切れていたら、幸知と付き合えたかもしれないのに……。

「だって咲は、自分の家族が欲しいってことでしょ? それって素敵なことだよ。私なんて自分のことばっかりだもの。 本当にこれっぽっちも興味がないの。私っておかしいのかもって悩んだこともあったんだ……」

「そんなこと……」

 私が否定しようとしると蘭が言葉をかぶせて来た。

「あるの。そんなんだから、付き合う時に一番最初に話をするの。それでも良いって付き合うのに長く付き合うとそろそろ結婚しない? って言われるんだから。それでいつも別れちゃうの……」

 蘭が、初めてそんなことを話した。そんなことがあったなんて知らなかった。蘭は、いつも自信に満ちていて、時に毒舌なこともあるけど思いやりに溢れる女性だから。

「――あのさ!! 私も、報告があります! 実は……子供ができました。だから結婚します!!」

 今まで静かに話を聞いていた七菜香が、突然宣言したかと思ったら爆弾発言をする。今度は私たちが「「えぇぇぇぇぇぇぇー」」と大声を上げる番だった。

「静かに!!」

 私は、自分の口を手で塞いで周りに視線を巡らした。ファミレスと言えど煩くし過ぎたせいか、近くに座るお客さんたちが迷惑そうに私たちの席を見ている。
「すみません」と私たち三人は、頭を下げた。

 三人、顔を向き合わせてさっきの話の続きを始める。

「あの……、父親は湊さんでいいんだよね……?」

 私は、恐る恐る小さな声で聞いた。

「も、もちろんだよ! それは、間違いない。病院言ったら、妊娠二か月だった」

 七菜香は、自分のお腹に手を当ててとても愛おしそうな顔をした。彼女のそんな顔を見るのは初めてで、衝撃的だった。

「結婚ってことは、湊さんも喜んでくれたんだ?」

 蘭も、恐る恐る聞く。

「うん。私も突然のことでパニくっちゃって……。生理不順なところあるから気にしてなかったんだけど……余りに遅いなって思って検査してみたら陽性で。すぐに和樹に連絡したら駆けつけてくれて、結婚しようって」

 七菜香は、その時のことを思い出したのかちょっと目が潤んでいる。私も七菜香の気持ちになって考えたら、涙が出そうになった。

「そっか。良かったね。おめでとう」

 私は、心からその言葉を言った。

「七菜香がママかー。信じられないね」

 蘭が、冗談ぽく笑う。

「そうなの! 私、結婚とかできたらいいなとは思ってたけど、こんなに突然でどうしたらいいかわからなくて……。子供もね、妊娠とか出産とか全然わからないの。産婦人科って初めて行ったんだけど、初診料が超高いの! 手持ちのお金たまたまあったから良かったけど……。それにね、母子手帳って産婦人科でもらうんじゃないんだよ? 市役所にわざわざ行くんだよ。二人とも知ってた?」

 七菜香が、結婚や出産についての不安を口にする。心の準備もなく決まったことに、戸惑っている。

「いや、知らなかった。産婦人科って何もなければ行かないからね……」

 蘭が、へーと知らない知識に感心している。

「もう私、訳が分からなくて……。こんなのが、ママになって大丈夫かな……」

 七菜香が珍しく自信を無くしている。私は、そんな七菜香を見て何だかおかしくなった。

「なんか面白いね」

 私は、ポツリと呟く。

「「何が?」」

 七菜香はちょっと怒ったのかムッとした顔しているし、蘭は本当に意味がわからないそんな顔だった。

「何かさ、結婚願望が強い私は結婚できない人を好きになって。結婚願望が全くない蘭は、結婚を申込まれることに悩むことがあって。まだ結婚するつもりはなかった七菜香には、結婚と妊娠が同時に舞い込んできて。ものの見事に、人生って思った通りに運ばないなーって。凄いよね」

 口に出して言葉にしたら、自分から笑いが込み上げてくる。同じテーマで悩む三人なのに、悩み方が三者三様なのだ。私が幸知に言ったように、人生って上手くいかないものなんだ。

「確かに……。なんか悩んでるのが馬鹿らしくなってくる。なんで、うまいこと嵌ってくれないのかね……」

 蘭が、諦めたような口調で話す。

「結局、全部仕方ないってこと?」

 七菜香は、大雑把に話をまとめる

「簡単に言うとそうなるよね」

 私は、笑ってそう返事をした。

「大丈夫だよ。七菜香、案外いいママになるよ」
「そうかな……」

 蘭が、七菜香をそう励ますと彼女は嬉しそうにお腹に視線を移した。そんな幸せそうな七菜香を見て、私もいつまでもこのままじゃいけないなって元気をもらえた。