桜貝の艶やかな長い髪に、惹き込まれる裏柳の美しい瞳。触れれば消えてしまいそうなほどの透明感を放つ清純な乙女だった。
「姫様、そろそろお時間でございます。」
乙女はほんのり微笑み小さく頷いた。
本日、乙女は一八になり女王になる。戴冠式での桜色のプリンセスドレスが優しい印象の乙女によく似合っている。桜の装飾のティアラが乙女の頭に乗った時、新しい女王が誕生した。
「陛下、番が到着致しました。」
静かに頷くと、入場口が開き桜色のローブを纏う番が入ってきた。乙女の目の前まで来て、ローブを取ると、そこには綺麗な顔の青年がいた。薄緑のパーマをかけた短髪に少しつりあがった丸い瞳が乙女を捉えていた。
「初めまして、女王様。俺は陽生。以後よろしく。」
乙女は少し驚いたあと、ドレスの裾を持って優雅にお辞儀した。
「なんと無礼な!」
「陛下に謝罪しろ!」
陽生の態度に大バッシングが起きたが、それも乙女が人差し指を口に当てただけで収まった。陽生は何事もなかったかのように宮殿に戻っていった。
夜を跨ぎ、朝食の後陽生が乙女の部屋に来た。
「俺はお前と仲良しこよしするつもりはねぇ。お前を敬うこともしねぇ。番としてやることはやってやる。それ以外関わりは持たねぇ。いいな?」
乙女は本を閉じ、微笑んでゆっくり頷いた。陽生は少し不思議に思ったが、それ以上何も言わず出ていった。
それからの二人は無関係の一言だった。乙女は青年の言葉を受け入れ、食事の時以外関わることをしなかった。
青年が来て半年が経とうとしてる頃、夜陽生が乙女の部屋に来た。乙女が首を傾げる。
「メイド共が『一緒に寝ろ』ってうっせぇんだ。」
ベッドに座る乙女がベッドを軽く叩いて陽生を招く。陽生は渋々と布団に入った。
「お香、焚く?」
小鳥の囀りのような、愛らしい声が聞こえた。
「お前っ……!焚く……」
無論、乙女の声だった。その時陽生は初めて乙女の声を聞いた。
「お前、声出るんだな。」
陽生は乙女に珍しく話しかけた。乙女が小さく頷くと、大きなため息を吐いた。
「話せるなら話せよ。」
「…………あまり、得意でない。」
どこかぎこちないようにも思う乙女の話し方に陽生は触れなかった。
「聞かないの……?」
「聞かない。別に気になりもしねぇ。俺の妹もお前みたいな奴だった。」
陽生は少しだけ妹の話をした。
「俺の妹は生まれつき病気で上手く歩けなかった。でも出かけんのは好きで、不格好でも歩きたがって元気だったが……結局死んじまった。」
ふと陽生の頭に乙女の手が触れる。見れば、悲しそうな顔の乙女が撫でている。
「子供じゃねぇんだ。やめろ。」
「嫌だ……」
「んだよ。お前結構頑固だな。」
「知らない……だって、すごく悲しい、お顔したから。」
乙女の手が下りて、陽生の頬に触れる。
「貴方は、笑っている方が、素敵。」
「うっせっ!寝るぞ。」
そっぽ向いてしまったが、乙女は知っている。それが照れ隠しだということを。
次の日、乙女は菓子や茶を持って陽生の部屋を訪れた。
「んだよ。」
アフタヌーンティーを見せると、とてもじゃないが嫌な顔をした。
「言っただろ。関わらねぇってよ。破んのか?」
乙女は頷いて、窓際のテーブルにセットを置いた。椅子に座り、陽生を招いた。
「チッ……!やめろ!」
陽生はあろうことか乙女が用意したアフタヌーンティーを全て床に落とした。ハイティースタンドは倒れ、ケーキやスコーンが床に転がった。ティーカップは割れて散乱した。乙女は静かに立ち上がると、ティーカップの破片を拾い始めた。その指先は既にいくらか包帯で巻かれており、拾う間にまた新しい傷を作っていた。
「お前…………」
テーブルクロスに破片や落ちた菓子を全て拾うと優しく笑って出ていった。去ってすぐ廊下は大騒ぎになり、気になって耳を澄ました。
「まぁ殿下!その傷は一体?!」
「あの番、殿下が作られた菓子を落としたそうよ!」
「なんて無礼な!殿下が番のために直々に作られたというのに!」
少し嫌な気分になった。ふと妹の言葉が浮かぶ。
『お兄ちゃん、女の子が作ってくれたもの、粗末にしちゃダメだからね!?心を込めて作ってくれたんだから!』
「これじゃ、舞桜に怒られちまうな……」
廊下が落ち着くと、陽生はそっと部屋を出た。
次の日の昼下がり、乙女の部屋のドアが鳴る。
「よぅ。」
陽生はハイティースタンドと紅茶を持っていた。乙女は驚いた様子で手で口を隠す。
「昨日は、その……悪かった。お詫びっつぅか、許して欲しいわけじゃねぇけど……一緒にどう?」
乙女は淑やかに笑い小さく頷いた。
「あれ、お前が作ったらしいな。ダメにして、ごめん。」
「私は、大丈夫。でも、急に、どうして?」
乙女の心は広すぎる。その包容力に全て話してしまいそうになる。
「ちょっと、妹に言われたことを思い出してな。」
「そう。このスコーン、美味しい。」
「口に合ったなら良かったわ。」
乙女の綺麗な所作や顔立ちに見蕩れた。
「何か、付いてる?」
「いや。……お前のことなんて呼んだらいい?」
少し驚いて悩んで首を横に振った。
「私たちに、名前はない。」
「まじか……じゃぁ、美桜……うん、美桜って呼ぶわ。」
「みお……?」
「美しい桜で美桜。妹が舞桜だから、なんか姉妹みたいだな。」
美桜は薄々気づいていた。陽生は妹思いだ。妹を一番大切に思っている。妹の話をしているときが一番楽しそうで、どこか苦しそうだった。
「もし、帰れるなら……帰りたい?」
陽生の返事はなんの躊躇いもなく、直ぐに返ってきた。
「まぁな。墓参りせずに来ちまったから、行きいてぇな。」
美桜は心に決めた。その時はどこか悶々としているのを隠すので精一杯だった。
一方の陽生も少しずつ変わっていった。前のような敵対心はなく、いたって穏やかになった。美桜ともよく話すようになり、執事たちは心底安堵した。ついこの前は陽生と美桜が一緒に菓子を作っていたのをメイドが見かけている。
二人の仲は良好だった……
美桜は母親の元を訪れていた。
「貴女から来るなんて、珍しいじゃない。」
「少し、お話があります。」
前女王の自室の前をたまたま陽生が通っていた。
「陽生を、帰してあげたいの、です。」
陽生はドアの向こうで静かに驚いた。気になってドアに耳を当てる。
「何を言い出すと思えば……貴女、それがどういうのことか分かっているの?!」
「分かっております。ですが、彼は、本当に妹さんを想っていて、こんなところに、閉じ込めて、いい人ではないのです……!お願いします……!どうか、どうか妹さんをもとへ、帰してあげられませんか……?」
陽生は居ても立ってもいられなくなり、勢いよくドアを開けた。中には堂々と座る前女王と、母親を前に土下座をする美桜の姿があった。
「おい、美桜!お前……なんで俺の話を……?」
「この半年、貴方といて思ったの。貴方は帰るべき。妹さんの傍にいてあげて。」
「美桜……」
前女王は何も言わずに、ただ二人を見ていた。
「陽生と言ったな。お前はどうしたい?」
前女王は美桜のような淑やかさはなく、威厳に満ち溢れていた。
「俺、ですか……?」
「そうだ、お前だ。お前はどうしたい?」
陽生は少し考える仕草を見せたが、その心は決まっていた。
「帰るわけねぇだろ。俺はここで美桜の隣にいる。」
「陽生……!なんで、」
「確かに俺は舞桜が大切だった。でも同じくらい美桜のことも大切になった。今更戻ったとてもう舞桜はいねぇ。なら、すぐそばにいる大切な人守るのが男だろ。美桜が綺麗な桜を咲かせてくれれば舞桜も喜ぶしな!」
陽生は無邪気な笑みを見せた。前女王は声をあげて笑った。
「だ、そうだぞ。」
「そ、そんな……」
美桜の瞳から静かに涙が流れる。
「おいおい、勘弁してくれ。」
「ごめんな、さい……私の、せいで……私、私……!」
「やめて。謝らないでくれ。むしろ、謝るのは俺だ。冷たくしてごめん、不器用でごめんな。」
陽生は美桜を優しく抱きしめた。自分のせいで帰れないのだと責める美桜の背中をさする。陽生がこの半年で徐々に美桜に惹かれていったのは事実だ。一見か弱そうな彼女が秘める強さ、どんなことも受け止める優しさと包容力。季節が自然に移り変わるように、いつの間にか美桜を愛していた。
「まぁ、美桜が俺のこと嫌うのは正直仕方ないと思う。最低なこと言ったし、酷いこともした。すぐ信じてくれなくていい。でもいつか『愛してる』って受け取ってくれ。」
美桜は激しく首を振って、陽生を見つめた。
「信じる……貴方は、正直な人……ありがとう……ありがとう……!陽生……!」
「っ……!あぁ、こちらこそありがとうな、美桜……!」
前女王は足を組み直し、ニヤリと笑った。それはどこか嬉しそうだった。
その一件以来二人の仲はより一層深まった。彼らを見かける召使い皆が口を揃えて「仲良くしていた」と言うほどだ。人が変わったように二人はイチャイチャしている。相変わらず美桜は口数が少ないが、前より表情が自然かつ柔らかくなった。
「美桜!今日はチェリーパイ作ってみたんだ。」
一口頬張ると、すぐに頬を緩ませた。
「とても、美味しい。」
「そう言ってくれると作ったかいがあるわ。」
美桜は陽生と会って初めて菓子を作ったが、陽生は違う。まだ舞桜が生きていた時、陽生は甘いものが好きな彼女のために菓子を作ってはこっそり病室に持っていっていた。
「看護師さんに見つかって怒られてよ。でも持ってくるもんだから舞桜の先生が持ってきて良いって言った次の日は絶対作ってやったんだ。すげぇうまそうに食うんだ。美桜みたいにな。」
「私は、舞桜ちゃんには敵わない。」
「んなことねえよ。うまそうに食ってるの見るだけでこっちも幸せなんだわ。」
陽生はニコッと軽い笑みを浮かべた。美桜はそれが何よりも嬉しく、安心した。
時は瞬く間に過ぎ、もうすぐで陽生が来て初めての春が来る。
「あれからもう一年か。ちょうど半年前ぐらいにに美桜がお義母様に直談判しに行ったんだぜ?『陽生を帰してあげて』って。」
美桜は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「美桜が俺と関わろうとしてくれなきゃ、俺は尖ったままだった。ありがとな。」
首を小さく振ると、陽生に抱きつく。
「私は、初めて会った時から、優しい人だと思ったの。」
「マジ?俺が……?」
「うん。なんとなく、そう思った。」
愛らしく微笑む美桜は桜のように実に優美だった。
「お前……可愛すぎな?」
「ふふっ……///!」
陽生は微笑む美桜の頬に触れ、そっと唇にキスする。美桜は少し驚いて、またすぐに頬を赤らめる。
「開花式明日なんだろ?……いい?」
火照る体、耳まで紅に染まり、瞳が潤む。恥ずかしそうに下を向いて頷いた。そっと腰に手を回し引き寄せ、上を向かせ深く長いキスをした。お互いの体温が交わり、それはそれは長く神秘的で忘れられない夜になった。
次の朝、美桜はあの日と同じドレスを身にまとっていたが、どこか大人びた美麗を感じる佇まいだった。
「美桜、大丈夫か?」
「陽生……!」
いつも通り小さく頷く美桜をそっと抱きしめる。
「わぁ……やばっ……すげぇ綺麗……俺にはもったいねぇくらいだわ。」
首を横に振ると、陽生の胸に頭を添える。
「私は、貴方じゃないと、いけない。」
美桜は優しく陽生の右肩にキスする。そこに桜型の痣がある。
「恥ずかしいからやめろ、全く。……よろしくな、美桜。今年も綺麗な桜を咲かせてくれ。」
相変わらず、可憐な笑みを陽生に向け、いつもより少し頷く。
その春、各地で満開の桜が壮麗に咲き誇ったという。
「姫様、そろそろお時間でございます。」
乙女はほんのり微笑み小さく頷いた。
本日、乙女は一八になり女王になる。戴冠式での桜色のプリンセスドレスが優しい印象の乙女によく似合っている。桜の装飾のティアラが乙女の頭に乗った時、新しい女王が誕生した。
「陛下、番が到着致しました。」
静かに頷くと、入場口が開き桜色のローブを纏う番が入ってきた。乙女の目の前まで来て、ローブを取ると、そこには綺麗な顔の青年がいた。薄緑のパーマをかけた短髪に少しつりあがった丸い瞳が乙女を捉えていた。
「初めまして、女王様。俺は陽生。以後よろしく。」
乙女は少し驚いたあと、ドレスの裾を持って優雅にお辞儀した。
「なんと無礼な!」
「陛下に謝罪しろ!」
陽生の態度に大バッシングが起きたが、それも乙女が人差し指を口に当てただけで収まった。陽生は何事もなかったかのように宮殿に戻っていった。
夜を跨ぎ、朝食の後陽生が乙女の部屋に来た。
「俺はお前と仲良しこよしするつもりはねぇ。お前を敬うこともしねぇ。番としてやることはやってやる。それ以外関わりは持たねぇ。いいな?」
乙女は本を閉じ、微笑んでゆっくり頷いた。陽生は少し不思議に思ったが、それ以上何も言わず出ていった。
それからの二人は無関係の一言だった。乙女は青年の言葉を受け入れ、食事の時以外関わることをしなかった。
青年が来て半年が経とうとしてる頃、夜陽生が乙女の部屋に来た。乙女が首を傾げる。
「メイド共が『一緒に寝ろ』ってうっせぇんだ。」
ベッドに座る乙女がベッドを軽く叩いて陽生を招く。陽生は渋々と布団に入った。
「お香、焚く?」
小鳥の囀りのような、愛らしい声が聞こえた。
「お前っ……!焚く……」
無論、乙女の声だった。その時陽生は初めて乙女の声を聞いた。
「お前、声出るんだな。」
陽生は乙女に珍しく話しかけた。乙女が小さく頷くと、大きなため息を吐いた。
「話せるなら話せよ。」
「…………あまり、得意でない。」
どこかぎこちないようにも思う乙女の話し方に陽生は触れなかった。
「聞かないの……?」
「聞かない。別に気になりもしねぇ。俺の妹もお前みたいな奴だった。」
陽生は少しだけ妹の話をした。
「俺の妹は生まれつき病気で上手く歩けなかった。でも出かけんのは好きで、不格好でも歩きたがって元気だったが……結局死んじまった。」
ふと陽生の頭に乙女の手が触れる。見れば、悲しそうな顔の乙女が撫でている。
「子供じゃねぇんだ。やめろ。」
「嫌だ……」
「んだよ。お前結構頑固だな。」
「知らない……だって、すごく悲しい、お顔したから。」
乙女の手が下りて、陽生の頬に触れる。
「貴方は、笑っている方が、素敵。」
「うっせっ!寝るぞ。」
そっぽ向いてしまったが、乙女は知っている。それが照れ隠しだということを。
次の日、乙女は菓子や茶を持って陽生の部屋を訪れた。
「んだよ。」
アフタヌーンティーを見せると、とてもじゃないが嫌な顔をした。
「言っただろ。関わらねぇってよ。破んのか?」
乙女は頷いて、窓際のテーブルにセットを置いた。椅子に座り、陽生を招いた。
「チッ……!やめろ!」
陽生はあろうことか乙女が用意したアフタヌーンティーを全て床に落とした。ハイティースタンドは倒れ、ケーキやスコーンが床に転がった。ティーカップは割れて散乱した。乙女は静かに立ち上がると、ティーカップの破片を拾い始めた。その指先は既にいくらか包帯で巻かれており、拾う間にまた新しい傷を作っていた。
「お前…………」
テーブルクロスに破片や落ちた菓子を全て拾うと優しく笑って出ていった。去ってすぐ廊下は大騒ぎになり、気になって耳を澄ました。
「まぁ殿下!その傷は一体?!」
「あの番、殿下が作られた菓子を落としたそうよ!」
「なんて無礼な!殿下が番のために直々に作られたというのに!」
少し嫌な気分になった。ふと妹の言葉が浮かぶ。
『お兄ちゃん、女の子が作ってくれたもの、粗末にしちゃダメだからね!?心を込めて作ってくれたんだから!』
「これじゃ、舞桜に怒られちまうな……」
廊下が落ち着くと、陽生はそっと部屋を出た。
次の日の昼下がり、乙女の部屋のドアが鳴る。
「よぅ。」
陽生はハイティースタンドと紅茶を持っていた。乙女は驚いた様子で手で口を隠す。
「昨日は、その……悪かった。お詫びっつぅか、許して欲しいわけじゃねぇけど……一緒にどう?」
乙女は淑やかに笑い小さく頷いた。
「あれ、お前が作ったらしいな。ダメにして、ごめん。」
「私は、大丈夫。でも、急に、どうして?」
乙女の心は広すぎる。その包容力に全て話してしまいそうになる。
「ちょっと、妹に言われたことを思い出してな。」
「そう。このスコーン、美味しい。」
「口に合ったなら良かったわ。」
乙女の綺麗な所作や顔立ちに見蕩れた。
「何か、付いてる?」
「いや。……お前のことなんて呼んだらいい?」
少し驚いて悩んで首を横に振った。
「私たちに、名前はない。」
「まじか……じゃぁ、美桜……うん、美桜って呼ぶわ。」
「みお……?」
「美しい桜で美桜。妹が舞桜だから、なんか姉妹みたいだな。」
美桜は薄々気づいていた。陽生は妹思いだ。妹を一番大切に思っている。妹の話をしているときが一番楽しそうで、どこか苦しそうだった。
「もし、帰れるなら……帰りたい?」
陽生の返事はなんの躊躇いもなく、直ぐに返ってきた。
「まぁな。墓参りせずに来ちまったから、行きいてぇな。」
美桜は心に決めた。その時はどこか悶々としているのを隠すので精一杯だった。
一方の陽生も少しずつ変わっていった。前のような敵対心はなく、いたって穏やかになった。美桜ともよく話すようになり、執事たちは心底安堵した。ついこの前は陽生と美桜が一緒に菓子を作っていたのをメイドが見かけている。
二人の仲は良好だった……
美桜は母親の元を訪れていた。
「貴女から来るなんて、珍しいじゃない。」
「少し、お話があります。」
前女王の自室の前をたまたま陽生が通っていた。
「陽生を、帰してあげたいの、です。」
陽生はドアの向こうで静かに驚いた。気になってドアに耳を当てる。
「何を言い出すと思えば……貴女、それがどういうのことか分かっているの?!」
「分かっております。ですが、彼は、本当に妹さんを想っていて、こんなところに、閉じ込めて、いい人ではないのです……!お願いします……!どうか、どうか妹さんをもとへ、帰してあげられませんか……?」
陽生は居ても立ってもいられなくなり、勢いよくドアを開けた。中には堂々と座る前女王と、母親を前に土下座をする美桜の姿があった。
「おい、美桜!お前……なんで俺の話を……?」
「この半年、貴方といて思ったの。貴方は帰るべき。妹さんの傍にいてあげて。」
「美桜……」
前女王は何も言わずに、ただ二人を見ていた。
「陽生と言ったな。お前はどうしたい?」
前女王は美桜のような淑やかさはなく、威厳に満ち溢れていた。
「俺、ですか……?」
「そうだ、お前だ。お前はどうしたい?」
陽生は少し考える仕草を見せたが、その心は決まっていた。
「帰るわけねぇだろ。俺はここで美桜の隣にいる。」
「陽生……!なんで、」
「確かに俺は舞桜が大切だった。でも同じくらい美桜のことも大切になった。今更戻ったとてもう舞桜はいねぇ。なら、すぐそばにいる大切な人守るのが男だろ。美桜が綺麗な桜を咲かせてくれれば舞桜も喜ぶしな!」
陽生は無邪気な笑みを見せた。前女王は声をあげて笑った。
「だ、そうだぞ。」
「そ、そんな……」
美桜の瞳から静かに涙が流れる。
「おいおい、勘弁してくれ。」
「ごめんな、さい……私の、せいで……私、私……!」
「やめて。謝らないでくれ。むしろ、謝るのは俺だ。冷たくしてごめん、不器用でごめんな。」
陽生は美桜を優しく抱きしめた。自分のせいで帰れないのだと責める美桜の背中をさする。陽生がこの半年で徐々に美桜に惹かれていったのは事実だ。一見か弱そうな彼女が秘める強さ、どんなことも受け止める優しさと包容力。季節が自然に移り変わるように、いつの間にか美桜を愛していた。
「まぁ、美桜が俺のこと嫌うのは正直仕方ないと思う。最低なこと言ったし、酷いこともした。すぐ信じてくれなくていい。でもいつか『愛してる』って受け取ってくれ。」
美桜は激しく首を振って、陽生を見つめた。
「信じる……貴方は、正直な人……ありがとう……ありがとう……!陽生……!」
「っ……!あぁ、こちらこそありがとうな、美桜……!」
前女王は足を組み直し、ニヤリと笑った。それはどこか嬉しそうだった。
その一件以来二人の仲はより一層深まった。彼らを見かける召使い皆が口を揃えて「仲良くしていた」と言うほどだ。人が変わったように二人はイチャイチャしている。相変わらず美桜は口数が少ないが、前より表情が自然かつ柔らかくなった。
「美桜!今日はチェリーパイ作ってみたんだ。」
一口頬張ると、すぐに頬を緩ませた。
「とても、美味しい。」
「そう言ってくれると作ったかいがあるわ。」
美桜は陽生と会って初めて菓子を作ったが、陽生は違う。まだ舞桜が生きていた時、陽生は甘いものが好きな彼女のために菓子を作ってはこっそり病室に持っていっていた。
「看護師さんに見つかって怒られてよ。でも持ってくるもんだから舞桜の先生が持ってきて良いって言った次の日は絶対作ってやったんだ。すげぇうまそうに食うんだ。美桜みたいにな。」
「私は、舞桜ちゃんには敵わない。」
「んなことねえよ。うまそうに食ってるの見るだけでこっちも幸せなんだわ。」
陽生はニコッと軽い笑みを浮かべた。美桜はそれが何よりも嬉しく、安心した。
時は瞬く間に過ぎ、もうすぐで陽生が来て初めての春が来る。
「あれからもう一年か。ちょうど半年前ぐらいにに美桜がお義母様に直談判しに行ったんだぜ?『陽生を帰してあげて』って。」
美桜は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「美桜が俺と関わろうとしてくれなきゃ、俺は尖ったままだった。ありがとな。」
首を小さく振ると、陽生に抱きつく。
「私は、初めて会った時から、優しい人だと思ったの。」
「マジ?俺が……?」
「うん。なんとなく、そう思った。」
愛らしく微笑む美桜は桜のように実に優美だった。
「お前……可愛すぎな?」
「ふふっ……///!」
陽生は微笑む美桜の頬に触れ、そっと唇にキスする。美桜は少し驚いて、またすぐに頬を赤らめる。
「開花式明日なんだろ?……いい?」
火照る体、耳まで紅に染まり、瞳が潤む。恥ずかしそうに下を向いて頷いた。そっと腰に手を回し引き寄せ、上を向かせ深く長いキスをした。お互いの体温が交わり、それはそれは長く神秘的で忘れられない夜になった。
次の朝、美桜はあの日と同じドレスを身にまとっていたが、どこか大人びた美麗を感じる佇まいだった。
「美桜、大丈夫か?」
「陽生……!」
いつも通り小さく頷く美桜をそっと抱きしめる。
「わぁ……やばっ……すげぇ綺麗……俺にはもったいねぇくらいだわ。」
首を横に振ると、陽生の胸に頭を添える。
「私は、貴方じゃないと、いけない。」
美桜は優しく陽生の右肩にキスする。そこに桜型の痣がある。
「恥ずかしいからやめろ、全く。……よろしくな、美桜。今年も綺麗な桜を咲かせてくれ。」
相変わらず、可憐な笑みを陽生に向け、いつもより少し頷く。
その春、各地で満開の桜が壮麗に咲き誇ったという。