寒くなってからは、空き教室で昼ごはんを食べることが多くなった。
夏輝くんはガタガタの椅子に座って、ぱくりとからあげを一口で頬張る。絶対いれすぎ。

「夏輝くん、もう大学決まってるんですか!?」
「うん。推薦もらったから」
「へ、へえ~……」

ていうかこの人、やっぱ頭いいんだ?噂では聞いたことあったけど、ほんとにそうなんだ?

「まあ結果はまだだけど。でも校内通れば大体決まりっていうし」
「ああ、そういいますよね」
「これで落ちたら笑えないけど……」

いや夏輝くんなら大丈夫な気がする。なんか持ってる星の人じゃん。

「律は?進路とかもう考えてたりするの?」
「……いや、まだ」
「そっか。じゃあ今はとりあえず勉強だね」

進路、ねえ……。いやな話題だ。

「テスト前は水曜日のデート、勉強会にしよっか」
「えっ」

困る困る。運動音痴なうえに勉強もできないなんて、夏輝くんに知られるわけにはいかない!!

「いや勉強は自分でやります」
「なんでぇ」
「一人のほうが集中できますから」

どの口が……自分で自分に嫌気がさすな、本当。

夏輝くんみたいになんでもできる人にとって、俺ってどう映るんだろう。理解不能、要領悪い、どんくさい、とか?
夏輝くんにかぎって直接的にそうは言ってこないだろうけど、心の中じゃ呆れてたりするんだろうか。不安……。

「俺が一緒にやりたいんだけど、だめ?」

でたよ、この押しの強さ。その目力。やめろって。

「……いや、やりません」

でも今回は屈しないぞ。だって俺の名誉がかかっている。

「じゃあ水曜日は?会えないの?」
「……あ、会えないとかそんな…」
「じゃあいいじゃん」
「いや……」

名誉が…かかって……

「……早めに帰りますけど……それでいいなら」
「やった~」

あーあ、もう!!俺!!

だいたい、夏輝くんの顔面ってずるくないか?あの顔でねだられて、断れる人間いないだろ。しかもなんだ、夏輝くんって不思議な力があるっていうか、人を従わせるのがうまいっていうか。

ぱちんっと両手を合わせた夏輝くんの、ごちそうさまの合図。

「律、明日のお昼も一緒にたべよ?」
「明日はちょっと」
「ええ~」
「用事があるんです」
「そっか…じゃあしょうがないね」

絶対、しゅんとしてる。もう声色で想像がつく。だから俺は見ない、絶対に見ないぞ!!


うちの高校には、なぜか音楽室が三つある。

一つは普段から授業で使う教室。もう一つは、第三棟にある昔からあって今は使われてない教室。もう一つは、先生たちの準備室みたいなところ。

「ああ、律くん。今日も使う?」
「いいですか?」
「もちろん。今度の県コンクールは出るのかい?」
「いや……出ないです」

吹奏楽部の顧問を務めている幡野(はたの)先生は、昔通っていた音楽教室の先生の旦那さん。小さい頃から家族ぐるみで仲良くしてもらっていて、今でも音楽教室の定期演奏会に呼んでもらったりしている。

いっつもにこやかなんだけど、一度吹奏楽部の練習をのぞいたときには、まるで別人だった。なんかそれからちょっと距離を見直して、今はこんな感じ……。

「そうか、まああれだよな。ピアノだけじゃないっていうか」
「はあ……」
「律くんには律くんの世界があるよな」

俺には俺の世界。その言葉をわかってて言っているのか、ただ慰めなのか、俺にはわからなかった。だから返事に困る。幡野先生に漏らしてしまったら、めぐりめぐって母さんの耳にも入りかねないし。

「ピアノ、お借りします」
「はいはい、どうぞ」

第三棟の音楽室のピアノは、錆びている。たまに俺とか先生が手入れしてるけど、いい音とはとても言い難い。でも俺は、ここで弾く誰にも聴かれないピアノが結構気に入ってたりする。……いや一度だけ、有馬にバレて聴かれてしまったことはあったか。

誰のためでもない、自分のためですらない、音。頭のなかの音をそのまま奏でるのは、すごく気持ちいい。譜面通りに弾くコンクールのピアノも、昔はやってたけど。父さんも母さんも、みんなが喜んでくれたから。上手に弾けばみんなが褒めてくれたから。笑顔でいてくれたから。

……父さん、元気にしてるのかな。

「えっ律!?」
「……は?夏輝くん?」

がらっと無造作に開けられた扉の向こう、立ち尽くす彼氏(仮)の姿に目を疑った。なんでこんなとこに夏輝くんがいるんだ。

「待って、いまのピアノ、律?」
「いやあの」
「えっえっすご!!もっと弾いて!!」
「だから……」
「楽譜とかなくて平気なんだ、すっげー!」

でた、夏輝くんのこれ。白岳山の帰り道みたい。目きらきらさせて好奇心のかたまりってかんじ。

「あの!」
「ん?」
「なんでここ……」
「ああ、呼ばれててさ~資料室」

第三棟の資料室といえば、告白のど定番スポット……、夏輝くんの言うことには信憑性しかなかった。

「ちゃんと断ったよ?」
「……そうですか」

ああもう、聞いてないのに。なんでわかるかなぁ。

「ね、弾いてよ」
「ええ」
「お願い!なんでもいいから~」

俺は夏輝くんのお願いに、どうしてこうも弱いのか。というか押しに弱いのか?

しかたなく、よくコンクールで弾いていた『乙女の祈り』を弾いてみる。少しくらい夏輝くんも知っていたりするんじゃないだろうか。ちらりと視線をやったときの夏輝くんは、俺の鳴らす音に目を細めてみたり、体を揺らしてみたりしてた。本当、表現の豊かな人。

「うっわ~……!すごい。律すごい!!」

弾き終わったあと、拍手より先に夏輝くんに飛びつかれた。まるで犬。大型犬にとびかかられた気分。いい匂いのする大型犬だ……。

「ちょっと!」
「ごめんごめん、だってすごいんだもん」
「別にすごくないです、小さい頃からやってただけ」
「なんでよ、すごい特技じゃん」

……特技って、そんないいもんでもないけど。でもなんでかな、夏輝くんに言われるとそんな気がしてくる。

「そういうの、クラシックっていうんだっけ」
「まあ、はい」
「なんか俺の知ってる曲も弾いてほしい!」
「いいですけど、俺あんまり最近の曲とかわかんないです」
「これとかは?毎朝聴いてるよ俺」

夏輝くんのスマホで流してくれた、なんとかってバンドのなんとかって曲は、案の定聴いたことのない曲だった。

……でも夏輝くんはこういうの好きなんだな。ちょっと新たな発見。

「知らない曲だけど、たぶん弾ける……ニュアンスだけど」
「え、なにそれ」
「んー…ちょっともう一回だけ、サビのとこ聴かせてください」

ポップスとかロックとか、昔のは聴いたりするけど流行りのはよくわからない。というか追いつけない……。でも音の幅を広げるには色んなジャンルを聴いてみてって、昔、幡野先生にも言われたことを思い出した。

「っし、いきます」
「お願いします」

………うーん、これ、ラブソングか?歌詞よく聞き取れなかったけど、なんか切なくなってくる。Bメロの入り、たまんないな。……これ、あってるのかな。おそるおそる、夏輝くんの顔を覗き見たその瞬間だった。

最近ずっと聞こえなかった音が、鮮明に強烈に、頭に響く。

「……こんなかんじ?」
「すっげええ……!この曲知らなかったんだよね?やばくない?」
「あってました?」
「いや最高にあってた」

日本語おかしいけど、まあいいか。こんな子どもみたいに無邪気な笑顔、俺にひとりじめさせてくれてるんだから。

「……なんかうれしい」

俺の音楽じゃないけど。俺のピアノで笑顔になってくれる人、まだいたんだ。

「ええ?俺のが嬉しいよ」

夏輝くんが、ぽーんと一音鍵盤を鳴らした。

「ああ、その音」
「ん?」
「……ううん、なんでもない」

その音、いいな。夏輝くんの音だ。


あれから夏輝くんとのお昼休みは、弁当を早々に食べ終えて、この第三棟音楽室にくるのが決まりになってしまった。

「ねえ夏輝くん」
「ん~?」
「つまんなくないの」
「全然?むしろ最高?」

大袈裟だな、この人は。興味もないのにずっとクラシック聴いてて、なにが楽しいんだか。

「今日はこの曲お願いしたいです」
「はい」

そんな罪滅ぼしになっているかもわからないけど、俺の気晴らしの最後にはいつも、夏輝くんのリクエストを弾くことになっている。そのおかげで俺も、ポップスのレパートリーが増えてきた。

「律さぁ、音楽やるの?」
「将来ですか?」
「そう」

弾き終わったあと、上機嫌に隣に座った夏輝くんの質問は、俺こそが知りたいことだ。自分でもわからない。ただ、ピアノはもう、やりたくない。

「……わかんないです」
「そっか。じゃあバンドとかは?よくない?」
「俺、人と関わるの苦手ですよ」

音楽となれば、なおさら。個人プレーが過ぎる俺が、誰かとなんて地獄絵図だ。

「でも俺、律のピアノ好き。どっかでずっと弾いててほしいよ」

……この人は、本当に。そうやって軽~いかんじで、とんでもない爆弾を落としていく。どれだけ俺の心を爆破したら気が済むんだ。そもそも音楽で食べていくって容易なことじゃないんだぞ、まして夏輝くんみたいになにかを持ってる人間でもないんだし。

「そんなの、わかりません」

だいたい、どっかで、ってなんだよ。

拗ねたような口調になってしまったことは反省するけど、そもそも言い出したのは夏輝くんのほうだからな。ほんとに夏輝くんは、なんにもわかってない。

「テスト終わったら、休みの日デートしようよ」
「……え?」
「たまにはいいじゃん〜水曜日は勉強しかしてないんだし」
「まあ、はい…」
「どこ行きたいか、考えといて~」

また、頭二回ぽんぽん。それ、くせになったら困るからやめてほしいんだけど……。


どこに行きたいかって言われても、俺が思いつく場所なんて一つしかなかった。

「おはようございます」
「おはよ。晴れたね~」
「でも山入ったら結構冷えますよ。防寒着持ってきました?」
「持ってきました、律にあれだけ言われたからね」

テストが終わり、夏輝くんと俺は山へ来ていた。

白岳山は一度登ったから、今回は少し足をのばして、同じくらいの難易度で滝が見れる三代山(みしろやま)にした。
ケーブルカーで途中駅まで行き、そこから滝まで三十分、山頂まではさらにそこから一時間程度のお手軽コース。

「そうだ、ごめん。コンビニ寄っていい?」
「いいですよ」

夏輝くんはコンビニに入ると、おにぎりと菓子パンを手にしようとしていた。あれ俺、言ってなかったっけ?それともこれがおやつだったりするのか?

「俺言いませんでしたっけ」
「ん?」
「お昼なら持ってきてますよ」
「?うん、そっか?」
「ん?」
「え?なにどういうこと?これ俺のよ?」
「だからお昼持ってきてますって」

たまに夏輝くんとは、こういうやり取りが起きる。お互いに言葉足らずなんだろうな。

「夏輝くんのお昼も、持ってきてます」
「!?なんで!!」
「え?だから山頂でカップラーメン食べようって話しましたよね?」

この前のお昼休み、山に行きたいと言ったときにその話したじゃんか。

「したけど、それは律がってことかと思ってた」

えええ、そう受け取ってんのか。

「なんで一緒に行くのにわざわざ俺だけ……俺だけのためにお湯沸かすんですか」
「ええ~そうだったの……」
「嫌ならいいですけど別に」
「なんでよ、食べたいに決まってんじゃん!ありがと!!」

いそいそと陳列棚に商品を戻しに行くその後ろ姿に、うらめしい視線を送った。

俺は結構楽しみにしてたんだ、一緒にカップラーメン食べるの。これはもう寒い日の醍醐味だし、だからいつもより少し重いリュックだって……

…って、なに言ってんだ俺。

「律ごめんね、行こ?」
「……はい」

あーあ……重いなぁ……。


紅葉シーズンも終わって、山は静かだった。それほど人気の高い山じゃないのもあって、人はまばらだし、木々も葉を落としてすっかりさみしいかんじになっている。

夏輝くんはケーブルカーを目の前にまず大騒ぎして、乗ったら乗ったで大騒ぎして、ケーブルの駅に着いたら今度は景色に大騒ぎしている。
こんなさみしげな山には、夏輝くんの存在は必要不可欠に思えた。だって全然、もの悲しさとか感じさせないもん。

「夏輝くんは感性豊かですよね」
「なに急に。先生みたいなこと言うじゃん」

先生て。なんの先生だよ。

「いいなと思って。なんにでも感動できるの才能ですよ」
「ええ~なんかばかにされてる?」
「なんでそうなんの」
「うそ。ありがと」

たぶん、夏輝くんならできるんだろうな。会ったこともない昔の人に思いを馳せて、その思いを汲むこと。俺がその感性を持ってこの指を動かすことができたなら、もしかして立派なピアニストになれていたんだろうか。

……なんてことを考えてしまうくらいには、俺は夏輝くんのこういうところが、すごく、うらやましい。

「うっわ、すげー!!滝じゃん!!」
「滝ですね」
「マイナスイオンだっけ、浴びてるかんじするよ」
「……水しぶきじゃないですか?」
「風情~~」

ああでも、夏輝くんといるときの俺は、結構いいんじゃないかと思ったりする。

三代山の滝、何度も見たことあるのに。今日はやけにそれが迫力あるなぁとか水の音けたたましいなぁとか、感情が少しだけ動くかんじがする。たぶん、夏輝くんに引っ張られてるんだ。

「律は本当、山が好きなんだね」
「普通ですよ」
「デート誘って、山のプレゼンされたの初めてだよ」

それは……そうなの?一般的なデートってもっとこう、雰囲気あるとこだったりするのか??俺なんにも考えないで、自分の行きたいところそのまま言っちゃったよ。

「すみません……慣れてなくて」
「いいよ、俺もまた律と山行きたかったし」

「俺一人じゃまたおかしなことしそう」と夏輝くんは頭をかいた。最近はあんまり思い出さなかったけど、あの日の夏輝くんは史上まれにみるポンコツだった。

「あの日の夏輝くん、今と別人みたいでした」
「でしょうよ。傷心中だもの」
「ふふ……おにぎり、落としたり」
「だーっ!忘れてよ!」

照れてんのかな。めずらしく焦った声。前歩いてて顔は見えないけど、なんかそんなかんじする。

「もうすぐ山頂ですよ」
「はぁい」
「あとちょっと、あとちょっと」
「えなにその掛け声」
「え?」

なにって、励ましてるつもりなんだけど……?そんな盛大に笑われることか?

「なんで笑うんですか」
「だって律、子どもみたい」

なっ……!!その台詞、そのまんまお返ししますけど!?さっきまでケーブルカーにおおはしゃぎして、滝からマイナスイオンがどうたらとか言ってたくせにさ。

「夏輝くんのが子どもでしょうよ」
「え~俺先輩だけど~」
「先輩って言ったら怒るくせに」
「なんだって??」

くるりと向いた顔、いたずらっぽいその笑顔、俺しらない。

また頭のなかが音で溢れてく。夏輝くんといると、俺の頭はだいたいうるさい。音で溢れてる。でもそれは、綺麗な音ばっかりじゃなくて、しかも突然聞こえなくなったりもするし、それが最近はちょっと気持ち悪かったりもするんだけど。

「ついた〜」
「やっっほ~?」
「やまびこ好きですね」
「ここなら返ってくる?こない?」
「どうかな、うーん」

俺はリュックから、ガスバーナーとクッカー、それにペットボトルの水を取り出した。

「律、そんな大きいペットボトル背負ってたの?」
「はい?お湯沸かす用ですよ?」

二リットルのペットボトル、飲むと思ってんのかなこの人。

あっ!?そういえば夏輝くん、コーヒー飲めるのかな、なにも聞かないで普通に二人分持ってきちゃったけど……でも前甘いの苦手って言ってたよな?

「夏輝くん……コーヒー飲めますか?」
「え?うん」

よかった……セーフ。俺は本当、相手に聞くってことを覚えないといけないな。

「よかった。ごはん食べ終わったらにします?それとも先飲みたいですか、寒いし」

とぽとぽとクッカーに水が注がれる音が、やけに優しく響いていた。……俺の話、またおかしなかんじで伝わっちゃってる?

「夏輝くん?」

顔をあげたとき、夏輝くんはたしかに俺を見ていたはずだ。だって瞬間目が合ったもん。なのになんで逸らす?ていうか、質問の答えは…?

「…?あっ、コーヒー夏輝くんの分もあります」

これか?また俺の主語がなかったから??

「ねえ律」
「はい」
「いつもなに食べてる?」
「……は?」

なに言いだすんだこの人は。

「なに食べたら律みたいになんの」
「俺みたいとは……?」
「やさしい。優しすぎて俺は今とてもやばい」

は………?な、な、なんて???え???

「……なにを……言ってんですか……?」
「だって普通にやばいでしょ、水とか絶対重いじゃん」
「重くないですよ、いつものことです。もっと重いこともあるし」
「いやいやでもさ、俺のリュック超軽いよ」
「夏輝くんは初心者ですし」
「ほらぁ~それ~~」

「そんなに甘やかさないで」とこっちを向いてくれた夏輝くんは、二つ分のカップラーメンの封をきってくれた。

甘やかしてなんかないけど、むしろそれは俺のほうだし。罰金制度のやつだって、結局夏輝くんが水曜日に倍返ししてくれちゃうし、昼休みのピアノだってそうだ。俺が憂さ晴らしにやってることに付き合ってくれて、しかも俺の欲しい音をくれる。言葉をくれる。

全然、俺のほうが甘やかされてるのに。

「ごはん先でいいんですか」
「ハイ」
「あ、おにぎりありますよ。潰れてないといいけど」
「おにぎり……?」

なんだ、今度は……?なにが好きかわかんないから、あの日と同じ鮭にしちゃったんだけど、まずかったか?そんなに大きな目を向けられると、まったく自信がなくなる。

「鮭とすじこ……どっちか食べれるのありますか?」

今日でよくわかった。俺はとにかく、一人で突っ走りがちなんだ。相手の意見を聞く余裕をもて……!

「好き」
「はあ、ならよかった。俺ちゃんとこれからは事前に聞きますね」
「すきです」
「ふふ。俺もすじこ好きで。父の実家が山形で、祖母から送られてくるんですよ」
「なるほどぉ……」
「あ、お湯沸いた」

醤油味のカップラーメンと、この塩味たっぷりのすじこのおにぎり、本当合うんだよな~。夏輝くんも好きになってくれたらいいな。俺にとってこの組み合わせは、冬登山の定番だから。

「いただきます」
「いただきますっ!」

湯気もっくもく。吐く息とまざって、ほんわかした気分になる。いやめちゃくちゃ寒いは寒いんだけれども。

「うまっ!」
「ね、山頂で食べるカップラーメン最高なんですよ」
「これやみつきになっちゃう、最高」
「よかった」

登山なんてムードもなにもない……デート……?だけど、少しは楽しんでくれてるかな。俺だけじゃないといいな。

「律のおにぎりおいしい!」
「俺のって。ただ握っただけですけど」
「前もらったときも思ったの、まじうまいよ」

なんの変哲もないただのおにぎり、そんなにほめてくれなくたっていいのに。本当、大袈裟な人だ。

「……むう……」
「どした?」
「たしかに、おいしい」
「だろ?律のおにぎり売れるよ」

なんでだ?たしかにおいしいぞ。山形のばーちゃんから送られてくるすじこ、別名『贖罪すじこ』がこんなふうに活躍するとはな。家で俺しか食べないんだし、今度夏輝くんにもおすそわけしようかな。今回の本当おいしい。

山頂からの景色は感動するほどの絶景ではないし、山の木々ははげちゃってさみしいかんじだし、もっといい時期の三代山、知ってるのにな。なんか今日の三代山はすごく、いい。帰りたくなくなる。

「律、おにぎりもいっこ食べてもいい?」
「どうぞ」
「ありがと~」

誰かと山登るの久しぶりだから、それでかもしれない。一人より二人のほうが楽しいって、父さんもよく言ってた。

「……夏輝くん」
「ふぁい」

口もごもごして。入れすぎだよ。

「今日、一緒にきてくれてありがとう」
「!?なに、急に」
「なんとなくです」
「そんなの、俺のほうこそだよ。全部用意してくれて、ほんとにありがと」

夏輝くんの手、つめたっ。ほんの少し頬に触れただけなのに、びくっと肩をすくめてしまうくらいに冷えている。

「……っ!?コーヒー、はやく淹れましょう。寒いですよね」
「いいよ、まだ」
「でも」
「いいから〜」

………手、ださないって言ってなかったか?

夏輝くんの大きな手が、俺の手に重なっている今これ。『手をつなぐ』って言うんじゃなかったっけ……?

うわ、まただ。頭のなかの音が、めちゃめちゃになる。