期末テスト1日目が終わり、若干の解放感を味わっている同級生たちの声と太陽から発せられるジリジリとした熱気を遮るように開けっぱなしにされたドアを閉め、エアコンの設定温度を限度のギリギリまで下げてから自分の席に戻った。
「お前の分も一緒に提出しとくから先帰っといていいよ。明日もテストだし」
リュックサックを持ち上げたところで後ろからそう声を掛けられた。
「いーよ別に。家に帰ってもどーせ勉強しないし」
「いやそこはちゃんとしろよ」
真っ当なツッコミを笑って受け流し、那波の前の席の椅子に横向きに座った。背もたれを肘置き代わりにして頬杖をつく。
那波は「うわ、ここまんまテストに出たな」とか「やっぱお前の字見やすくていいわ」とか言いながら今日提出の課題を写していた。
俺はそれを横目にスマートフォンをいじる。だが何気なしに流れてくるネットニュースの内容は全く頭に入って来ず、意識は自然と那波へと向かう。
日焼けした肌が健康的でいいなとかやっぱり長めのスポーツ刈りが似合うなとか、ごつごつとした手に触れられたいな⋯⋯とか本人には到底言えないことが次々と頭に浮かんではシャボン玉のようにはじけていく。
自分でも何でこんなに惹かれるのか分からない。
きっかけ⋯⋯と呼べるかは正直微妙だが、那波のことを認知したのは高校一年生の体育祭のとき。周りよりも背が高くて、いつ見ても人にの中心にいたから視界に入ったのだ。
それ以来よく校内で見かけるようになったから何となく目で追っていたが、委員会にも部活にも所属していない俺と接点なんてなかったしこれからもないだろうと思っていた。
転機が訪れたのは二年生の新学期。たまたま那波と同じクラスになり、出席番号も近かったこともあってか自然な流れで一緒に行動するようになったのだ。
それで分かったことがある。
那波は天性の根明だ。人当たりいいしフットワーク軽いし笑った顔は太陽のように眩しくて安心する。だからあんなに人が寄ってくるんだろうな、と当時はあくまで友達としてそう思っていた。
それが根本的に覆されたのはまさかの先月。しかも談笑中にふいに那波に肩を組まれたときというすごくしょうもないタイミングで、好きだと思ってしまった。
だって仕方ないだろう。俺が思っていたよりもずっと体格に差があって、いくら人畜無害な顔をしていても那波も男なんだって急に意識させられたんだから。
俺だって最初はひどく困惑した。男にたいしてそんなことを思うのは初めてだったし。今まで何人か彼女がいたことがあったのに、それらが全部ままごとだったんじゃないかってぐらい心臓が暴れて全身が沸騰するかのように熱くなるし⋯⋯。
それでも好きになったことに変わりはないと気持ちを受け入れ今日に至る。
今だって本当は帰ってもいいが、少しでも長く那波と一緒にいたくてここにいるのだ。我ながら健気すぎて泣けてくる。
そんな俺の気持ちなんて知らない那波は呑気に『ふぁんたじー』という炭酸ジュースを飲んでいた。
――いや待て『ふぁんたじー』って何だ『ふぁんたじー』って。どんな飲み物だよ。味が全く想像できないんだけど。
青く澄んだ色をベースに、光の加減によって黄色と青緑色に光るだけでは飽き足らず、炭酸が泡立つと藤色に変化する。
まじでなんなんだそれ⋯⋯。
情報処理が追いつかず無意識に凝視していたら、それに気づいた那波と目が合った。
「ん? あぁこれ気になる? 結構美味いよ。一口いる?」
まさかの提案に心臓がドキリと跳ねた。
「⋯⋯お前それ間接キスだからな」
あくまで平然を装いながら差し出されたペットボトルをそっと押し返す。何も考えずにそんな提案ができる那波が恨めしい。
「間接キスって中学生かよ。リアルで言う奴初めて見たわ」
那波はいつもの太陽のような笑い方をした。そしてでも、と続ける。
「男同士女同士なら問題ないだろ。姉ちゃんも妹も普通にやってるし」
――それは女同士だからだろ。男同士は普通しないからな。
そう突っ込みそうになったが、寸前で呑み込んだ。経緯はどうであれこんな機会はめったにないからだ。
「⋯⋯じゃあもらうわ」
「はいどーぞ」
那波からペットボトル受け取り、飲み口に視線を落とす。そこにはいくつか水滴がついていて、さっきまで那波が飲んでいたのだと意識させられた。
この時点で心臓バックバクでどうにかなりそうだったが、このまま躊躇っていたら変に思われるから意を決してグイッと炭酸ジュースをあおった。味はせず、炭酸のシュワシュワだけが喉を通り抜ける。
緊張のあまり味が感じなくなるというのは本当だったのか。⋯⋯待て、もしかしたら本当に無味の飲み物かもしれない。こんなにカラフルだけど無味を隠すためのフェイクの可能性もある。まじでなんなんだこれ。いやこの際それはどうでもいい。
大事なのは、俺が今、那波と飲み物を共有したこと。
本当に那波の唇が触れたところに、俺のも⋯⋯。
それを自覚した途端、頬がぶわっと紅潮し、那波の顔を見られなくなった。
これも暑さのせい。そう、全部暑さのせいだ。そのせいで顔が赤いんだ。
無理やりそう思い込まないと、那波に好きバレす――。
「いやお前顔に出すぎ」
なにが、という言葉は、
口をふさがれて言えなかった。
「⋯⋯は?」
乾いた声が漏れる。
今、何が起きた。
勘違いじゃなかったら、今、俺は⋯⋯。
「ははっ、顔真っ赤」
那波は声を上げて笑った。
これは夢でも幻覚でも妄想でもない。
今、那波に、キスされた。
困惑する俺をよそに那波が続ける。
「いつ告ってくれんのかなって期待して待ってたのに全然そんな素振りないからもう俺から告うわ」
那波は机にうつ伏せて、俺を見上げる。その目はどこか楽しそうだ。
「好きだよ、陽葵」
那波の言葉が心にじんわりと響いて、不意に泣きそうになった。
「⋯⋯あぁ、そう」
それを悟られないように、ふいっと顔を逸らす。だが那波は逃げを許してくれなかった。
「そうじゃないだろ」
いつになく真剣な瞳で俺を見据える。
「まだ告わないつもり?」
こんな那波知らない。こんな、俺が好きだと雄弁に語る男の顔、なんて。
「⋯⋯好き」
「うん」
「那波が、好き」
「俺も」
那波は心底嬉しそうに笑いながら、そのゴツゴツした手で俺の頭を撫でた。
――あぁ、本当に両思いなのか。
そう実感した途端少し緊張が和らいだのか、ふっと湧いた疑問がそのままこぼれ落ちた。
「でも、なんで俺を好きに⋯⋯」
「ん? 一目惚れ。去年の体育祭のときに可愛いのがいるなって思ってそこから」
「っは?」
俺が那波を知ったあの日に?という驚きとそんなに前から俺のことを⋯⋯という嬉しさが同時に湧いて出た。
じゃあもしかして、今年から一緒にいるようになったのって⋯⋯。
そこまで考えたところでふと視線が交わった。その瞳には悪戯に成功した子どものような無邪気さと、獲物を前にした獣のような獰猛さが混在している。
⋯⋯どうやら俺はまんまと引っかかったらしい。
太陽のような笑みを浮かべながら虎視眈々と距離を縮めてきた、この男に罠に。
『スキの罠』〈了〉
「お前の分も一緒に提出しとくから先帰っといていいよ。明日もテストだし」
リュックサックを持ち上げたところで後ろからそう声を掛けられた。
「いーよ別に。家に帰ってもどーせ勉強しないし」
「いやそこはちゃんとしろよ」
真っ当なツッコミを笑って受け流し、那波の前の席の椅子に横向きに座った。背もたれを肘置き代わりにして頬杖をつく。
那波は「うわ、ここまんまテストに出たな」とか「やっぱお前の字見やすくていいわ」とか言いながら今日提出の課題を写していた。
俺はそれを横目にスマートフォンをいじる。だが何気なしに流れてくるネットニュースの内容は全く頭に入って来ず、意識は自然と那波へと向かう。
日焼けした肌が健康的でいいなとかやっぱり長めのスポーツ刈りが似合うなとか、ごつごつとした手に触れられたいな⋯⋯とか本人には到底言えないことが次々と頭に浮かんではシャボン玉のようにはじけていく。
自分でも何でこんなに惹かれるのか分からない。
きっかけ⋯⋯と呼べるかは正直微妙だが、那波のことを認知したのは高校一年生の体育祭のとき。周りよりも背が高くて、いつ見ても人にの中心にいたから視界に入ったのだ。
それ以来よく校内で見かけるようになったから何となく目で追っていたが、委員会にも部活にも所属していない俺と接点なんてなかったしこれからもないだろうと思っていた。
転機が訪れたのは二年生の新学期。たまたま那波と同じクラスになり、出席番号も近かったこともあってか自然な流れで一緒に行動するようになったのだ。
それで分かったことがある。
那波は天性の根明だ。人当たりいいしフットワーク軽いし笑った顔は太陽のように眩しくて安心する。だからあんなに人が寄ってくるんだろうな、と当時はあくまで友達としてそう思っていた。
それが根本的に覆されたのはまさかの先月。しかも談笑中にふいに那波に肩を組まれたときというすごくしょうもないタイミングで、好きだと思ってしまった。
だって仕方ないだろう。俺が思っていたよりもずっと体格に差があって、いくら人畜無害な顔をしていても那波も男なんだって急に意識させられたんだから。
俺だって最初はひどく困惑した。男にたいしてそんなことを思うのは初めてだったし。今まで何人か彼女がいたことがあったのに、それらが全部ままごとだったんじゃないかってぐらい心臓が暴れて全身が沸騰するかのように熱くなるし⋯⋯。
それでも好きになったことに変わりはないと気持ちを受け入れ今日に至る。
今だって本当は帰ってもいいが、少しでも長く那波と一緒にいたくてここにいるのだ。我ながら健気すぎて泣けてくる。
そんな俺の気持ちなんて知らない那波は呑気に『ふぁんたじー』という炭酸ジュースを飲んでいた。
――いや待て『ふぁんたじー』って何だ『ふぁんたじー』って。どんな飲み物だよ。味が全く想像できないんだけど。
青く澄んだ色をベースに、光の加減によって黄色と青緑色に光るだけでは飽き足らず、炭酸が泡立つと藤色に変化する。
まじでなんなんだそれ⋯⋯。
情報処理が追いつかず無意識に凝視していたら、それに気づいた那波と目が合った。
「ん? あぁこれ気になる? 結構美味いよ。一口いる?」
まさかの提案に心臓がドキリと跳ねた。
「⋯⋯お前それ間接キスだからな」
あくまで平然を装いながら差し出されたペットボトルをそっと押し返す。何も考えずにそんな提案ができる那波が恨めしい。
「間接キスって中学生かよ。リアルで言う奴初めて見たわ」
那波はいつもの太陽のような笑い方をした。そしてでも、と続ける。
「男同士女同士なら問題ないだろ。姉ちゃんも妹も普通にやってるし」
――それは女同士だからだろ。男同士は普通しないからな。
そう突っ込みそうになったが、寸前で呑み込んだ。経緯はどうであれこんな機会はめったにないからだ。
「⋯⋯じゃあもらうわ」
「はいどーぞ」
那波からペットボトル受け取り、飲み口に視線を落とす。そこにはいくつか水滴がついていて、さっきまで那波が飲んでいたのだと意識させられた。
この時点で心臓バックバクでどうにかなりそうだったが、このまま躊躇っていたら変に思われるから意を決してグイッと炭酸ジュースをあおった。味はせず、炭酸のシュワシュワだけが喉を通り抜ける。
緊張のあまり味が感じなくなるというのは本当だったのか。⋯⋯待て、もしかしたら本当に無味の飲み物かもしれない。こんなにカラフルだけど無味を隠すためのフェイクの可能性もある。まじでなんなんだこれ。いやこの際それはどうでもいい。
大事なのは、俺が今、那波と飲み物を共有したこと。
本当に那波の唇が触れたところに、俺のも⋯⋯。
それを自覚した途端、頬がぶわっと紅潮し、那波の顔を見られなくなった。
これも暑さのせい。そう、全部暑さのせいだ。そのせいで顔が赤いんだ。
無理やりそう思い込まないと、那波に好きバレす――。
「いやお前顔に出すぎ」
なにが、という言葉は、
口をふさがれて言えなかった。
「⋯⋯は?」
乾いた声が漏れる。
今、何が起きた。
勘違いじゃなかったら、今、俺は⋯⋯。
「ははっ、顔真っ赤」
那波は声を上げて笑った。
これは夢でも幻覚でも妄想でもない。
今、那波に、キスされた。
困惑する俺をよそに那波が続ける。
「いつ告ってくれんのかなって期待して待ってたのに全然そんな素振りないからもう俺から告うわ」
那波は机にうつ伏せて、俺を見上げる。その目はどこか楽しそうだ。
「好きだよ、陽葵」
那波の言葉が心にじんわりと響いて、不意に泣きそうになった。
「⋯⋯あぁ、そう」
それを悟られないように、ふいっと顔を逸らす。だが那波は逃げを許してくれなかった。
「そうじゃないだろ」
いつになく真剣な瞳で俺を見据える。
「まだ告わないつもり?」
こんな那波知らない。こんな、俺が好きだと雄弁に語る男の顔、なんて。
「⋯⋯好き」
「うん」
「那波が、好き」
「俺も」
那波は心底嬉しそうに笑いながら、そのゴツゴツした手で俺の頭を撫でた。
――あぁ、本当に両思いなのか。
そう実感した途端少し緊張が和らいだのか、ふっと湧いた疑問がそのままこぼれ落ちた。
「でも、なんで俺を好きに⋯⋯」
「ん? 一目惚れ。去年の体育祭のときに可愛いのがいるなって思ってそこから」
「っは?」
俺が那波を知ったあの日に?という驚きとそんなに前から俺のことを⋯⋯という嬉しさが同時に湧いて出た。
じゃあもしかして、今年から一緒にいるようになったのって⋯⋯。
そこまで考えたところでふと視線が交わった。その瞳には悪戯に成功した子どものような無邪気さと、獲物を前にした獣のような獰猛さが混在している。
⋯⋯どうやら俺はまんまと引っかかったらしい。
太陽のような笑みを浮かべながら虎視眈々と距離を縮めてきた、この男に罠に。
『スキの罠』〈了〉