「……さま」
誰かが俺を呼んでいる。
「……さま!」
桃、か?
「旦那様、……坊っちゃま!」
圭一郎が目を覚ますと、すぐ目の前に執事長の富澤の大きな顔があった。
「──わあぁッ!」
驚きで圭一郎が飛び起きると、富澤の顔とぶつかった。頑丈な額の持ち主である富澤は微動だにせず、圭一郎を睨んでいる。
「イタタ……なんだ?」
まだ寝ぼけている圭一郎に、富澤は顔を更にずいと近づけて低い声で言った。
「坊っちゃま、昨夜何をしたかお分かりですか?」
「え?」
圭一郎は今頭を打ったせいで覚束ない記憶を、呼び起こす。
昨夜は、桃が作った美味なるハンバーグを食べた後、昼間に逢引していた男を問いただして……
「も、桃は? 桃はどうした?」
昨夜抱き締めた姿は何処にもなかった。
慌てる圭一郎の姿に、富澤は深く溜め息を吐きながら言った。
「桃様は先に起こして自室に帰しました。今頃は身支度を整えている頃でしょう。それよりも……」
またジロッと睨む富澤に、圭一郎は慌てて弁解した。
「な、何もしてないぞ!? ちょっと抱き締めたままうたた寝してしまって……」
キスはしたけれど、それ以上の破廉恥行為はしていない。
だが、キスはしたので何もしていないとは言えない。
富澤の剣幕に、圭一郎は少しだけ嘘をついてしまった。
「坊っちゃま、そこにお座りなさい」
「はい……」
圭一郎はベッドの上で正座した。富澤は顔をしかめたままゴホンと咳払いしてから言う。
「いいですか? あの方は六条桃様とは言え、今はただの使用人です」
「はい……」
「坊っちゃま、いえ、旦那様は、昨夜! 抵抗できない使用人の若い娘を! 部屋に連れ込んだんですよっ!?」
何というあけすけな表現! 圭一郎は真っ赤になって反論した。
「いや、だからね、もちろん不可抗力な訳で! 疲れが溜まって、俺は気絶するように寝てしまったから何も──」
「旦那様にそんな度胸がないことは存じ上げておりますッ!!」
富澤も負けじと顔を真っ赤にして怒鳴る。その内容は圭一郎にとっては軽い侮辱だった。もちろん富澤にそんな意図はないが、なんだかガックリくる。
「しかしですね、側から見たらそう取られかねない……いいえ、きっとそう取られるような振る舞いを旦那様は為さったのです!」
「ご、ごめんなさい……」
富澤の正論にぐうの音も出ない圭一郎は素直に謝った。
「今度あんな事為さったら、この富澤が毎晩伽に参りますぞ!」
なんて地獄絵図! 圭一郎は想像する前から失神しそうになった。
「もうしません……」
「よろしい!」
しおしおと謝る圭一郎に、富澤は満足したようにその一言で終わりにした。
それと同時に、部屋をノックする音がして誰かが入ってくる。
「旦那様の朝食をお持ちしました」
メイドの制服をきっちり着直し、髪の毛も整えた桃がワゴンを手に入ってきたのだった。
「桃っ!」
圭一郎は寝室から飛び出してその姿を確認する。
「……」
桃は圭一郎をものすごく可愛く、じゃなくてものすごい形相で睨んでいた。
「えー、あー……」
その雰囲気に飲まれてしまった圭一郎は何を言ったものかと固まってしまった。
そこへ富澤がしれっと冷静な声で言う。
「ご苦労様。支度を続けなさい」
「はい」
桃は圭一郎からあからさまに視線をプイと逸らして、テーブルに朝食を並べ始めた。
怒ってるかな。
怒ってるんだろうな。
怒っててもなんて可愛いんだ。
「旦那様!」
「はいぃ!」
気を抜くと桃の可愛さに腑抜けてしまう圭一郎を、富澤は強めに呼んで諌めた。
「ではわたくしは所用がありますので失礼します」
「あ、ああ、ご苦労だった……」
富澤はツカツカと靴を鳴らしながら部屋を出て行った。
残されたのは気まずい二人だけ。
「どうぞ」
一通り朝食を並べ終えた桃が促すので、圭一郎はとりあえずソファに腰掛ける。
「えーっと……」
圭一郎が所在なげにしていると、桃はコーヒーをカップに注いで出した。
「桃。昨夜は、その、ごめ……」
「謝罪は受けません」
言いかけた圭一郎の言葉を遮って、桃はピシャリと言い放った。それで圭一郎はガックリと肩を落とす。
滅茶苦茶怒ってる!
そりゃそうだ、キスしちゃったもん! 二回!
逆に褒めて欲しいんだけど。あれだけで止まった俺を。
などとは圭一郎は口が裂けても言えず、ただ黙ってコーヒーを飲んだ。いつもより熱くて苦かった。
重い沈黙が流れ続け、圭一郎が動かすフォークの音だけが響いている部屋に、突然大きな音がした。
誰かがすごい力でドアをノックしていたのだ。
「旦那様! 旦那様!!」
ドアの向こうで叫んでいるのは、使用人の松尾の声だった。
桃が向かおうとしたが、嫌な予感がした圭一郎はそれを制して自ら赴きドアを開けた
「どうした」
「旦那様、大変です!」
「何が?」
今朝より大変なことなど今の圭一郎にはない。のんびりと聞く圭一郎と、松尾の慌てふためる様は対極にあった。
「あの! 表門にヤクザ風の男が三人も来ていて! 今早川さんが応対してますけど、なんかもう殺されそうです!!」
「──ええ!?」
涙目の松尾に、圭一郎は思わず疑問符で答えてしまった。意味がわからなかった。
誰かが俺を呼んでいる。
「……さま!」
桃、か?
「旦那様、……坊っちゃま!」
圭一郎が目を覚ますと、すぐ目の前に執事長の富澤の大きな顔があった。
「──わあぁッ!」
驚きで圭一郎が飛び起きると、富澤の顔とぶつかった。頑丈な額の持ち主である富澤は微動だにせず、圭一郎を睨んでいる。
「イタタ……なんだ?」
まだ寝ぼけている圭一郎に、富澤は顔を更にずいと近づけて低い声で言った。
「坊っちゃま、昨夜何をしたかお分かりですか?」
「え?」
圭一郎は今頭を打ったせいで覚束ない記憶を、呼び起こす。
昨夜は、桃が作った美味なるハンバーグを食べた後、昼間に逢引していた男を問いただして……
「も、桃は? 桃はどうした?」
昨夜抱き締めた姿は何処にもなかった。
慌てる圭一郎の姿に、富澤は深く溜め息を吐きながら言った。
「桃様は先に起こして自室に帰しました。今頃は身支度を整えている頃でしょう。それよりも……」
またジロッと睨む富澤に、圭一郎は慌てて弁解した。
「な、何もしてないぞ!? ちょっと抱き締めたままうたた寝してしまって……」
キスはしたけれど、それ以上の破廉恥行為はしていない。
だが、キスはしたので何もしていないとは言えない。
富澤の剣幕に、圭一郎は少しだけ嘘をついてしまった。
「坊っちゃま、そこにお座りなさい」
「はい……」
圭一郎はベッドの上で正座した。富澤は顔をしかめたままゴホンと咳払いしてから言う。
「いいですか? あの方は六条桃様とは言え、今はただの使用人です」
「はい……」
「坊っちゃま、いえ、旦那様は、昨夜! 抵抗できない使用人の若い娘を! 部屋に連れ込んだんですよっ!?」
何というあけすけな表現! 圭一郎は真っ赤になって反論した。
「いや、だからね、もちろん不可抗力な訳で! 疲れが溜まって、俺は気絶するように寝てしまったから何も──」
「旦那様にそんな度胸がないことは存じ上げておりますッ!!」
富澤も負けじと顔を真っ赤にして怒鳴る。その内容は圭一郎にとっては軽い侮辱だった。もちろん富澤にそんな意図はないが、なんだかガックリくる。
「しかしですね、側から見たらそう取られかねない……いいえ、きっとそう取られるような振る舞いを旦那様は為さったのです!」
「ご、ごめんなさい……」
富澤の正論にぐうの音も出ない圭一郎は素直に謝った。
「今度あんな事為さったら、この富澤が毎晩伽に参りますぞ!」
なんて地獄絵図! 圭一郎は想像する前から失神しそうになった。
「もうしません……」
「よろしい!」
しおしおと謝る圭一郎に、富澤は満足したようにその一言で終わりにした。
それと同時に、部屋をノックする音がして誰かが入ってくる。
「旦那様の朝食をお持ちしました」
メイドの制服をきっちり着直し、髪の毛も整えた桃がワゴンを手に入ってきたのだった。
「桃っ!」
圭一郎は寝室から飛び出してその姿を確認する。
「……」
桃は圭一郎をものすごく可愛く、じゃなくてものすごい形相で睨んでいた。
「えー、あー……」
その雰囲気に飲まれてしまった圭一郎は何を言ったものかと固まってしまった。
そこへ富澤がしれっと冷静な声で言う。
「ご苦労様。支度を続けなさい」
「はい」
桃は圭一郎からあからさまに視線をプイと逸らして、テーブルに朝食を並べ始めた。
怒ってるかな。
怒ってるんだろうな。
怒っててもなんて可愛いんだ。
「旦那様!」
「はいぃ!」
気を抜くと桃の可愛さに腑抜けてしまう圭一郎を、富澤は強めに呼んで諌めた。
「ではわたくしは所用がありますので失礼します」
「あ、ああ、ご苦労だった……」
富澤はツカツカと靴を鳴らしながら部屋を出て行った。
残されたのは気まずい二人だけ。
「どうぞ」
一通り朝食を並べ終えた桃が促すので、圭一郎はとりあえずソファに腰掛ける。
「えーっと……」
圭一郎が所在なげにしていると、桃はコーヒーをカップに注いで出した。
「桃。昨夜は、その、ごめ……」
「謝罪は受けません」
言いかけた圭一郎の言葉を遮って、桃はピシャリと言い放った。それで圭一郎はガックリと肩を落とす。
滅茶苦茶怒ってる!
そりゃそうだ、キスしちゃったもん! 二回!
逆に褒めて欲しいんだけど。あれだけで止まった俺を。
などとは圭一郎は口が裂けても言えず、ただ黙ってコーヒーを飲んだ。いつもより熱くて苦かった。
重い沈黙が流れ続け、圭一郎が動かすフォークの音だけが響いている部屋に、突然大きな音がした。
誰かがすごい力でドアをノックしていたのだ。
「旦那様! 旦那様!!」
ドアの向こうで叫んでいるのは、使用人の松尾の声だった。
桃が向かおうとしたが、嫌な予感がした圭一郎はそれを制して自ら赴きドアを開けた
「どうした」
「旦那様、大変です!」
「何が?」
今朝より大変なことなど今の圭一郎にはない。のんびりと聞く圭一郎と、松尾の慌てふためる様は対極にあった。
「あの! 表門にヤクザ風の男が三人も来ていて! 今早川さんが応対してますけど、なんかもう殺されそうです!!」
「──ええ!?」
涙目の松尾に、圭一郎は思わず疑問符で答えてしまった。意味がわからなかった。