圭一郎が探偵の濱家に追加調査を依頼してから三日後、秘書の山内を通じて調査の報告をしたいと言ってきた。
随分と早いなと圭一郎は思った。まさかもう調査費を飲んで使ってしまったのではないかと不安になったが、とりあえず圭一郎は再びあのオンボロビルに来ていた。
「本当に調査が終わったのか?」
湊家の情報網を使っても碌に得られなかった茨村組の情報を、あんなちゃらんぽらんな男が一週間も経たずに調べられるとは到底思えなかった。圭一郎の不安を当然感じ取っている山内も、微妙な顔をしていた。
「だと思いますけど……」
山内も首を捻りながら探偵社の部屋のドアを開ける。
「おーい、ハマちゃん、社長をお連れしたぞ」
山内は先に部屋の中に書類をかき分けながら入った。以前来た時よりも紙の束が増えているような気がした。
「ああ、どうも。ご苦労さんです」
「うわ! ビックリした!」
どうやら濱家は床で寝ていたようだった。それを踏みそうになって山内は大声をあげる。
「すいませんね、徹夜で報告をまとめていたもんですから」
「そうか。それはご苦労だった」
圭一郎が声をかけると、濱家は目尻に隈を作った顔で頼りなく笑う。
「どうも、社長さん。相変わらずの男前ですな。まあ、どうぞ」
それで圭一郎は前回同様、汚いソファに腰掛ける。濱家はどこかの食堂からかっぱらってきたような腰かけに座った。山内は圭一郎の後ろで控えるように立っていた。濱家の咳払いで、調査報告会が始まる。
「ええと、まずですね……茨村桃さんが茨村雪之助組長の所でお育ちになったのは確かです」
「……随分歯切れの悪い言い方だな?」
圭一郎が聞くと、濱家は少し自信がなさそうに答えた。
「ええ、事実としてはそうなんですが、養子縁組して正式に親族になっているかの確認は取れませんでした」
「なるほど。そこまで気にしてくれていたのか」
「まあ、それは当然です。組の方に聞いたんですがね、桃さんはお孫さん同様の扱いを受けておいでですが、そこに戸籍上の手続きがあったかは誰も知りませんでした」
「そうか……」
「ええ。もっと幹部級の方なら知ってるかもしれませんが、あれくらいの大極道になると幹部に会うのも難しくて。まさか役所に行って調べる訳にもいかんですし」
濱家は頭を掻きながらそう弁解した。それで圭一郎は別方向から尋ねてみる。
「では、桃の母親が、その……茨村組長の情婦になったと言うのは、どうだったんだ?」
「あ、それは間違いないです。組のモンなら誰でも知ってる話だそうですよ。口外禁止事項だそうですが」
「そ、そうなのか……」
あっさり答えられて、圭一郎は少なからず衝撃を受けた。まさか誇り高い華族の婦人がそこまでするとは、相当の苦労があったのだろう。
「濱家! もうちょっと気を使って言えないのか、社長がショックを受けておられるだろう!」
「ええ? ああ、すいませえん」
濱家は悪びれずに首だけすくめた。そしてさらに軽口で続ける。
「ですからね、桃さんは愛人の連れ子であって実の娘ではないでしょ? 娘にしても若すぎるから孫ってことにして引き取ったんじゃないですかね。そんな事情があったらまともに養子縁組は出来ないでしょうなあ」
「ハマちゃあああん!」
山内が真っ赤になって叫ぶが、圭一郎にはそれを気にする余裕はなかった。
もっと早くに探し出していたら、桃の母親はそんな惨めな思いをすることはなかったと悔やむ。
「まあしかし、桃さんの地位は孫そのものですよ。組のモンも『お嬢』って呼んで敬ってました」
「お嬢、か。それで、桃が四代目なんて名乗れるものなのか?」
圭一郎がそう聞くと、濱家は呆れたような顔で一息吐いて答えた。
「まさか。養子縁組もしていない、しかも女の孫が組を継げるワケがない。だいたい血族だから継げるほど極道の世界は甘くないですよ」
「そうなのか?」
「大抵は傘下の有力な組長を次に据えます。茨村組ほど巨大組織になれば尚更でしょうよ、もう時代が違う」
「そういうものか……」
圭一郎がここまで聞いた情報を噛み砕いていると、濱家はただし、と区切って付け加える。
「桃さんが、組の中で見込みのある若頭かなんかと結婚すれば話は別です」
「ええ!?」
突然の話題に、圭一郎はまるで冷水をかけられたような気持ちだった。瞬時に例の名前が脳裏に浮かぶ。
「ご依頼のアスマっていう人物なんですが、貫井遊馬って人のことでしょうな」
「そ、それは、誰なんだ?」
圭一郎の頭から、桃の母親のことなどは一気に吹っ飛んだ。濱家は汚い手帳をめくりながら報告する。
「茨村組の若頭で、33歳の美丈夫です。かなり若いですが実力はすでに幹部をごぼう抜き。組長やお嬢さんの信頼も厚い。彼がお嬢さんと結婚して組を継ぐんじゃないか、なんて噂が出ているそうです」
「……」
「社長! しっかり!」
山内は血相を変えて圭一郎を揺さぶった。だが、圭一郎はまるでミイラのような顔で虚空を見つめている。
「そうするとですね、貫井遊馬が四代目になりますから、桃さんはその妻なんで、まあそういう意味で四代目を名乗ったっちゅーことじゃないですかね?」
「一旦黙れえええ!」
山内の怒号すらも圭一郎には届かない。
圭一郎は、目の前が真っ暗だった。目は開いているのに、何も見えない。こんなことがあるんだなあと、現実逃避した頭で考えた。
随分と早いなと圭一郎は思った。まさかもう調査費を飲んで使ってしまったのではないかと不安になったが、とりあえず圭一郎は再びあのオンボロビルに来ていた。
「本当に調査が終わったのか?」
湊家の情報網を使っても碌に得られなかった茨村組の情報を、あんなちゃらんぽらんな男が一週間も経たずに調べられるとは到底思えなかった。圭一郎の不安を当然感じ取っている山内も、微妙な顔をしていた。
「だと思いますけど……」
山内も首を捻りながら探偵社の部屋のドアを開ける。
「おーい、ハマちゃん、社長をお連れしたぞ」
山内は先に部屋の中に書類をかき分けながら入った。以前来た時よりも紙の束が増えているような気がした。
「ああ、どうも。ご苦労さんです」
「うわ! ビックリした!」
どうやら濱家は床で寝ていたようだった。それを踏みそうになって山内は大声をあげる。
「すいませんね、徹夜で報告をまとめていたもんですから」
「そうか。それはご苦労だった」
圭一郎が声をかけると、濱家は目尻に隈を作った顔で頼りなく笑う。
「どうも、社長さん。相変わらずの男前ですな。まあ、どうぞ」
それで圭一郎は前回同様、汚いソファに腰掛ける。濱家はどこかの食堂からかっぱらってきたような腰かけに座った。山内は圭一郎の後ろで控えるように立っていた。濱家の咳払いで、調査報告会が始まる。
「ええと、まずですね……茨村桃さんが茨村雪之助組長の所でお育ちになったのは確かです」
「……随分歯切れの悪い言い方だな?」
圭一郎が聞くと、濱家は少し自信がなさそうに答えた。
「ええ、事実としてはそうなんですが、養子縁組して正式に親族になっているかの確認は取れませんでした」
「なるほど。そこまで気にしてくれていたのか」
「まあ、それは当然です。組の方に聞いたんですがね、桃さんはお孫さん同様の扱いを受けておいでですが、そこに戸籍上の手続きがあったかは誰も知りませんでした」
「そうか……」
「ええ。もっと幹部級の方なら知ってるかもしれませんが、あれくらいの大極道になると幹部に会うのも難しくて。まさか役所に行って調べる訳にもいかんですし」
濱家は頭を掻きながらそう弁解した。それで圭一郎は別方向から尋ねてみる。
「では、桃の母親が、その……茨村組長の情婦になったと言うのは、どうだったんだ?」
「あ、それは間違いないです。組のモンなら誰でも知ってる話だそうですよ。口外禁止事項だそうですが」
「そ、そうなのか……」
あっさり答えられて、圭一郎は少なからず衝撃を受けた。まさか誇り高い華族の婦人がそこまでするとは、相当の苦労があったのだろう。
「濱家! もうちょっと気を使って言えないのか、社長がショックを受けておられるだろう!」
「ええ? ああ、すいませえん」
濱家は悪びれずに首だけすくめた。そしてさらに軽口で続ける。
「ですからね、桃さんは愛人の連れ子であって実の娘ではないでしょ? 娘にしても若すぎるから孫ってことにして引き取ったんじゃないですかね。そんな事情があったらまともに養子縁組は出来ないでしょうなあ」
「ハマちゃあああん!」
山内が真っ赤になって叫ぶが、圭一郎にはそれを気にする余裕はなかった。
もっと早くに探し出していたら、桃の母親はそんな惨めな思いをすることはなかったと悔やむ。
「まあしかし、桃さんの地位は孫そのものですよ。組のモンも『お嬢』って呼んで敬ってました」
「お嬢、か。それで、桃が四代目なんて名乗れるものなのか?」
圭一郎がそう聞くと、濱家は呆れたような顔で一息吐いて答えた。
「まさか。養子縁組もしていない、しかも女の孫が組を継げるワケがない。だいたい血族だから継げるほど極道の世界は甘くないですよ」
「そうなのか?」
「大抵は傘下の有力な組長を次に据えます。茨村組ほど巨大組織になれば尚更でしょうよ、もう時代が違う」
「そういうものか……」
圭一郎がここまで聞いた情報を噛み砕いていると、濱家はただし、と区切って付け加える。
「桃さんが、組の中で見込みのある若頭かなんかと結婚すれば話は別です」
「ええ!?」
突然の話題に、圭一郎はまるで冷水をかけられたような気持ちだった。瞬時に例の名前が脳裏に浮かぶ。
「ご依頼のアスマっていう人物なんですが、貫井遊馬って人のことでしょうな」
「そ、それは、誰なんだ?」
圭一郎の頭から、桃の母親のことなどは一気に吹っ飛んだ。濱家は汚い手帳をめくりながら報告する。
「茨村組の若頭で、33歳の美丈夫です。かなり若いですが実力はすでに幹部をごぼう抜き。組長やお嬢さんの信頼も厚い。彼がお嬢さんと結婚して組を継ぐんじゃないか、なんて噂が出ているそうです」
「……」
「社長! しっかり!」
山内は血相を変えて圭一郎を揺さぶった。だが、圭一郎はまるでミイラのような顔で虚空を見つめている。
「そうするとですね、貫井遊馬が四代目になりますから、桃さんはその妻なんで、まあそういう意味で四代目を名乗ったっちゅーことじゃないですかね?」
「一旦黙れえええ!」
山内の怒号すらも圭一郎には届かない。
圭一郎は、目の前が真っ暗だった。目は開いているのに、何も見えない。こんなことがあるんだなあと、現実逃避した頭で考えた。