六条(ろくじょう)(もも)
 旧華族の令嬢で、圭一郎(けいいちろう)が初めて会った時彼女はわずか六歳だった。
 戦後の華族制度の廃止により華族はその地位を剥奪され、六条家はそれまでの特権を失って困窮していた。

 一方、(みなと)家は戦後の闇市から織物販売で成功し、大企業へと成長していた。だが、一代で財を成したため振興成金と揶揄されることもあり、そうした世間の声を黙らせるべく家名を欲していた。

 金が必要だった六条家、箔が必要だった湊家の利害が一致し、当家の令嬢と縁談が上がった時、圭一郎は十五歳だった。
 六条家の令嬢が幼すぎたため結納なども行えず、婚約の口約束だけが交わされたが、湊家は六条家に莫大な援助を与えて優位な立場にあった。

 そのような状況を圭一郎の方は理解していたが、当時六歳の桃は無邪気に圭一郎を「兄さま」と呼び懐いていた。
 だが、多感な時期だった圭一郎はそうした桃の態度を可哀想な子どもとして見ていた。きっと何も知らされずに「お兄様としてお慕いしなさい」などと両親に言われていたのだろうから。

 最初は自分も含めて桃との境遇は哀れだと圭一郎は思っていた。初めて会った時はわざと冷たくもした。
 だが、会う度に桃は全身で圭一郎に会えた喜びを伝えてくる。屈託なく笑い、片時も側を離れず、別れる時は涙を見せた。

 両親に言われて慕っているのだとしても、桃が見せる笑顔に偽りはないと会う度に思えて、いつしか圭一郎もこの子は自分が生涯をかけて守っていくのだと思うようになった。

 そんなおままごとのような時間が一年も過ぎた頃、突然桃は姿を消した。


「……」

「坊っちゃま? 聞いていますか?」

 放心しかけた意識をなんとか繋ぎ止めて、圭一郎は執事の富澤(とみざわ)を見やる。そして今一度確認をした。

「今、桃、と言ったか?」

「左様でございます」

「六条の?」

「はい」

 圭一郎はまるで信じられなかった。六条桃が姿を消してから十二年。父はとりあってくれなかったので圭一郎はこの富澤を使って独自にずっと探し続けている。父から事業を継いだ後は更に資金を増やして探していた。それなのに今までなんの手がかりも得られなかった。

 何故、今、こんな形で?

 そもそもあの桃が、自ら名乗り出て湊に来るなどあり得ない。桃は湊家を憎んでいるはずだ。

「その娘、何者だ?」

 圭一郎が怪しんだのは当然で、富澤も静かに頷いた。

「桃様を騙る者が現れたとお思いですな?」

「当たり前だ。桃であるはずがない」

「私もそうだは思います。ですが……」

 言葉を濁す富澤に、圭一郎は焦れながら続きを促した。

「なんだ、はっきり言え」

「面影が、あるのです」

 富澤の言葉に、圭一郎は大きく動揺した。当時から側付きとして自分と桃の世話をしてくれた富澤が言うのである。
 万に一つもないことだが、富澤の目を信用するならば確かめておかなければならない。

「わかった」

 圭一郎は目を閉じて心を決める。

「私が直々に会う」

 すると富澤も静かに頷いた。

「それがよろしゅうございましょう」

「ではその娘をこの部屋へ」

「かしこまりました」

 富澤が退出した後、圭一郎は己の手が汗ばんでいることに気づいた。
 桃の名を名乗る少女。
 本人ではあり得ない。
 だが、もし──

 まだ自分にそんな夢を見るような感覚があったことに驚かされる。
 ふと、窓の外を見た。
 庭の梅はとうに終わり、桃の花が綻び始めている。

 春が近い。