探偵の濱家は、ヨレヨレにくたびれた革の手帳を取り出してから切り出した。
「ええ……それで、茨村組については社長さんはどれくらいご存知で?」
そう聞かれた圭一郎は、少し天井を見てから首を振った。
「特段には何も。ただ裏社会の大物ヤクザとしか」
「なるほどなるほど、まあ真っ当に暮らしている方はそうでしょうなあ」
「おい、失礼だぞ。社長だって茨村組のことは一通りお調べになった。その上でここに来ているんだ」
圭一郎にだいぶ馴れ馴れしく接する濱家の口調に、秘書の山内が眉を顰めながら口を挟む。
圭一郎はそんな彼を横目で制しながら言った。
「ああ、いい。探偵と言うからには相手の懐に入る術なんだろう。気軽な方が話が早い」
「はあ。社長がおっしゃるなら……」
山内が不満な顔のままで引き下がると、濱家はもう少し調子づいて身を乗り出しながら聞いた。
「では、湊グループが調べてもわからない……つまり茨村雪之助のプライベートな情報をお知りになりたいと?」
「そうだが……事前に山内から聞いていないのか?」
「伺ってますよ。単なる確認です。万が一ヤマちゃんと社長の間に認識の違いがあったら困りますからね」
「ヤマちゃん!?」
濱家が山内をそんな風に呼んでいることに圭一郎は面食らった。驚いて横に立つ山内を見ると人差し指を口元に立てて濱家を睨んでいる。
「ヤマちゃんにはよく酒を奢ってもらうんです」
「ハマちゃん、その辺で!」
「ハマちゃん!?」
圭一郎は二人の会話になおも驚く。山内とこの探偵はかなり懇意の仲らしい。以前「社長のために泥をかぶります」とかなんとか言っていたが、それを本当に実践しているのか、単にウマが合っているのか。
「いやあ、しかし社長さんは恐ろしく男前ですなあ。ヤマちゃんからロリコンおぼっちゃまって聞いてたんで、どんなキモい社長かと思ってたんですがね」
濱家がペラペラと調子良く話すのを聞きながら圭一郎は真顔で山内に言う。
「……山内くん」
「なんでございましょう。我が敬愛する圭一郎先輩」
「次に彼と飲む時は、私も誘いたまえ」
「ぎ、御意……」
山内は少し震えていたけれど、濱家は嬉しそうに笑った。
「マジっすか!? 社長さんが来るならめっちゃ高級な所で飲めるんちゃいます!?」
関西訛りが出たところを見ると、彼の人懐っこさは筋金入りだろう。山内は声を厳しくして濱家を急かす。
「そんな事より! 茨村組長の孫娘について君が知っていることを言いたまえ!」
「あーはいはい。そうですね、確か茨村桃さんと言いましたか?」
「ああ。今はそう名乗っているようだ」
圭一郎は念の為、まだ六条の名は出さなかった。目の前の探偵にどこまで話していいか、見極めている最中だったからだ。
「……率直に申し上げますとね、茨村組長に孫娘がいたなんて初耳ですわ」
「ええ!?」
先に驚いたのは山内の方だった。一方圭一郎はやはり、と思った。十二年調べても見つからなかったのだ、茨村組の方でも桃の存在はひた隠しにしてきたに違いない。
「では、君が知る茨村組長の個人情報を教えてくれるか?」
「いいんですか? 高いですよ」
「構わない」
圭一郎がそう頷くと、濱家は上機嫌で喋り始める。山内は神妙な顔をしながら頭の中で算盤を弾いた。
「茨村雪之助と言えば第二次関東戦争をたった一人で収めた極道です。その後平定された一円を取り仕切って、茨村組は巨大な組織に膨れ上がっている。今じゃあ総長なんて崇められてますわ」
「……うん、それは知っている。聞きたいのは、茨村雪之助の血縁についてだ」
「ああ、そうでしたねえ。茨村組長個人については、彼はずっと独身です。表向きは」
「と、言うと?」
圭一郎が聞くと、濱家はさらに饒舌になって話す。
「そりゃあ、関東イチの極道がですよ? 女っけが一切ないんじゃあ困ります。愛人とか隠し子とかそういう噂がいくつもありますね。ですが、どこかに囲ったとか、子どもを引き取ったとかそういう事実が全然出てこない。不思議な極道なんですよ」
「ふむ……」
この男も大した情報は知らないのかも知れない、と圭一郎がソファに座り直した時、濱家はニヤリ笑って言った。
「ですがね? 十二、三年前ですかねえ、茨村雪之助がある高貴な家柄の未亡人にイレあげてるってな噂がありましてね」
「何!?」
思わず圭一郎は身を乗り出した。時系列から言っても、桃の母親だと思えたからだ。
「なんだかねえ、その女は病弱だけどドえらい美人でねえ、旦那に逃げられて小さい娘抱えて路頭に迷ってたんですわ。そこを組長が目をつけてモノにしたっちゅー話ですわ」
「……」
圭一郎は開いた口が塞がらなかった。確かに桃の父親は莫大な借金があった。それを茨村組から借りていたから、湊は六条から手を引いたと圭一郎は考えている。そしてその妻子の末路と言えばお決まりのコースだ、借金元の愛人になるしかない。
だが、誉れ高い六条の婦人が、ヤクザに身を落とすなどそんな事をするだろうか。それならいっそ娘もろとも死を選ぶ方がしっくりくる。
「おおい! 濱家! 桃様のお母上を愚弄する気か! 桃様は社長の婚約者であらせられるぞっ!」
圭一郎の代わりに、山内が顔を真っ赤にして怒った。だが、濱家はケロッとしている。
「ええ? そんなこと言われても、男と女の話ですからねえ、うっへっへ」
「ハマちゃあああんっ!!」
山内が沸騰したヤカンのように湯気を出しながら怒るのを他所に、圭一郎はその噂話に実感が持てないでいた。
「ええ……それで、茨村組については社長さんはどれくらいご存知で?」
そう聞かれた圭一郎は、少し天井を見てから首を振った。
「特段には何も。ただ裏社会の大物ヤクザとしか」
「なるほどなるほど、まあ真っ当に暮らしている方はそうでしょうなあ」
「おい、失礼だぞ。社長だって茨村組のことは一通りお調べになった。その上でここに来ているんだ」
圭一郎にだいぶ馴れ馴れしく接する濱家の口調に、秘書の山内が眉を顰めながら口を挟む。
圭一郎はそんな彼を横目で制しながら言った。
「ああ、いい。探偵と言うからには相手の懐に入る術なんだろう。気軽な方が話が早い」
「はあ。社長がおっしゃるなら……」
山内が不満な顔のままで引き下がると、濱家はもう少し調子づいて身を乗り出しながら聞いた。
「では、湊グループが調べてもわからない……つまり茨村雪之助のプライベートな情報をお知りになりたいと?」
「そうだが……事前に山内から聞いていないのか?」
「伺ってますよ。単なる確認です。万が一ヤマちゃんと社長の間に認識の違いがあったら困りますからね」
「ヤマちゃん!?」
濱家が山内をそんな風に呼んでいることに圭一郎は面食らった。驚いて横に立つ山内を見ると人差し指を口元に立てて濱家を睨んでいる。
「ヤマちゃんにはよく酒を奢ってもらうんです」
「ハマちゃん、その辺で!」
「ハマちゃん!?」
圭一郎は二人の会話になおも驚く。山内とこの探偵はかなり懇意の仲らしい。以前「社長のために泥をかぶります」とかなんとか言っていたが、それを本当に実践しているのか、単にウマが合っているのか。
「いやあ、しかし社長さんは恐ろしく男前ですなあ。ヤマちゃんからロリコンおぼっちゃまって聞いてたんで、どんなキモい社長かと思ってたんですがね」
濱家がペラペラと調子良く話すのを聞きながら圭一郎は真顔で山内に言う。
「……山内くん」
「なんでございましょう。我が敬愛する圭一郎先輩」
「次に彼と飲む時は、私も誘いたまえ」
「ぎ、御意……」
山内は少し震えていたけれど、濱家は嬉しそうに笑った。
「マジっすか!? 社長さんが来るならめっちゃ高級な所で飲めるんちゃいます!?」
関西訛りが出たところを見ると、彼の人懐っこさは筋金入りだろう。山内は声を厳しくして濱家を急かす。
「そんな事より! 茨村組長の孫娘について君が知っていることを言いたまえ!」
「あーはいはい。そうですね、確か茨村桃さんと言いましたか?」
「ああ。今はそう名乗っているようだ」
圭一郎は念の為、まだ六条の名は出さなかった。目の前の探偵にどこまで話していいか、見極めている最中だったからだ。
「……率直に申し上げますとね、茨村組長に孫娘がいたなんて初耳ですわ」
「ええ!?」
先に驚いたのは山内の方だった。一方圭一郎はやはり、と思った。十二年調べても見つからなかったのだ、茨村組の方でも桃の存在はひた隠しにしてきたに違いない。
「では、君が知る茨村組長の個人情報を教えてくれるか?」
「いいんですか? 高いですよ」
「構わない」
圭一郎がそう頷くと、濱家は上機嫌で喋り始める。山内は神妙な顔をしながら頭の中で算盤を弾いた。
「茨村雪之助と言えば第二次関東戦争をたった一人で収めた極道です。その後平定された一円を取り仕切って、茨村組は巨大な組織に膨れ上がっている。今じゃあ総長なんて崇められてますわ」
「……うん、それは知っている。聞きたいのは、茨村雪之助の血縁についてだ」
「ああ、そうでしたねえ。茨村組長個人については、彼はずっと独身です。表向きは」
「と、言うと?」
圭一郎が聞くと、濱家はさらに饒舌になって話す。
「そりゃあ、関東イチの極道がですよ? 女っけが一切ないんじゃあ困ります。愛人とか隠し子とかそういう噂がいくつもありますね。ですが、どこかに囲ったとか、子どもを引き取ったとかそういう事実が全然出てこない。不思議な極道なんですよ」
「ふむ……」
この男も大した情報は知らないのかも知れない、と圭一郎がソファに座り直した時、濱家はニヤリ笑って言った。
「ですがね? 十二、三年前ですかねえ、茨村雪之助がある高貴な家柄の未亡人にイレあげてるってな噂がありましてね」
「何!?」
思わず圭一郎は身を乗り出した。時系列から言っても、桃の母親だと思えたからだ。
「なんだかねえ、その女は病弱だけどドえらい美人でねえ、旦那に逃げられて小さい娘抱えて路頭に迷ってたんですわ。そこを組長が目をつけてモノにしたっちゅー話ですわ」
「……」
圭一郎は開いた口が塞がらなかった。確かに桃の父親は莫大な借金があった。それを茨村組から借りていたから、湊は六条から手を引いたと圭一郎は考えている。そしてその妻子の末路と言えばお決まりのコースだ、借金元の愛人になるしかない。
だが、誉れ高い六条の婦人が、ヤクザに身を落とすなどそんな事をするだろうか。それならいっそ娘もろとも死を選ぶ方がしっくりくる。
「おおい! 濱家! 桃様のお母上を愚弄する気か! 桃様は社長の婚約者であらせられるぞっ!」
圭一郎の代わりに、山内が顔を真っ赤にして怒った。だが、濱家はケロッとしている。
「ええ? そんなこと言われても、男と女の話ですからねえ、うっへっへ」
「ハマちゃあああんっ!!」
山内が沸騰したヤカンのように湯気を出しながら怒るのを他所に、圭一郎はその噂話に実感が持てないでいた。