――7月。
「はぁ……」
久しぶりに花菱の家に来たおれは、しっぽを振り近づいてきたマカロンにぎゅっと抱きついた。
「まかろぉ~ん……ぼくしゅごくちゅかれたよぉ……」
夏のコンクールを前に、日曜も休みなしの生活が続いていた。
「くっそ、サクショ―のやつ……ダメ出しめっちゃきついんだよ」
桜木先生は、「サクラギショウマ」を縮め、生徒から「サクショ―」と呼ばれている。
恨み節をつぶやきながらマカロンにしがみつくおれを「よしよし」と抱き寄せ、開いた脚のあいだに向かいあって座らせる花菱。
――付き合いはじめて、10か月とちょっと。
ふたりでいるときはだいぶ自然にイチャイチャできるようになった。
花菱にもたれかかりながら、マカロンを撫で、とりとめのない話をする。
贅沢で満ち足りた時間。
「コンクール、来週の土曜だよな。その先どっか休みある?」
「うん……と――ちょっと待って。いま確認するから」
スマホをポチポチし、部活のSNSでスケジュールを確認する。
「コンクールの次の日が休みだ。……たしかこの日、サクショーがゲイ友の結婚式あるっていってたんだよな」
「ゲイ友?」
「うん、ゲイのお友だちだって。男同士で式挙げるらしい。会場だけ借りて、準備や進行もぜんぶ仲間たちでやるんだってさ」
「へぇ……」
桜木先生がゲイであることは、学校では周知の事実になっていた。
生徒もだが、先生たちもOBが多く変わった人が多いので、飲み会で先生がカミングアウトしたところ、
「へぇーそうですか」
という反応で終わったらしい。
「その日、プールに行かないか」
「プール?」
「父親の会社の福利厚生で、タダ券もらったんだ。夏音んちの近くにある遊園地のプールだよ」
「あぁ、あそこかぁ~。なつかしい。子どものときよく親と行ったわ」
「じゃ、決定な。あ……あと、ラッシュガードかならず着てこいよ」
「へ? なんで?」
「なんでって――」
花菱は照れくさそうに頬を染める。
「その――おまえのカラダ――見られたらイヤじゃん。ほかのヤツに」
「……は? なにいってんの? おれ男だぞ」
「知ってる」
「体育のとき、いつもパンイチで着替えてるだろ」
「わかってる――けどさ、不特定多数に見られるのは抵抗あるというか――とにかくぜったい着てきてこいよ。わかった?」
こいつ――おれのこと、グラビアアイドルかなんかとでも思ってんのかな?
「……わかったよ」
「よかった」
ほっとしたようにほほえみんだ花菱は、真正面からおれを見つめ、
「……キスしてもいい?」
と聞いてくる。
返事のかわりに、おれは目をつむる。
唇に優しく感じる――花菱の唇の感触。
花菱の腰に回した腕に、ぎゅっと力がこもる。
「――かわいいな」
キスのあと、ふっとほほえみ、花菱はいう。
「キスのとき、いつもガチガチに緊張してるの。すげーかわいい」
「……おまえいつもキスしながらおれの顔見てんの?」
「あぁ――ダメ?」
「ダメじゃないけど――恥ずかしい……」
「ごめんつい――夏音のこと、ずっと見てたいから」
花菱はよく、おれのことをかわいいという。
おれは自分がかわいいと思ったことはいちどもない。
(かわいいとか――女じゃないのに――)
でもべつに、花菱にかわいいといわれるのはいやじゃない。
他のヤツだといやかもしれないけど、花菱はなんていうか……心の底からそう思ってくれてるんだろうな、と思うから。
花菱のがっちりした胸に顔をうずめ、目をつむる。
トクン……トクン……
制服のシャツ越しに伝わってくる――花菱の鼓動。
ずっと――ずっとこうしてたいな……
□□□
プールは最高に楽しかった。
流れるプールでプカプカ流されたり、波の出るプールでジャンプしたり、ウォータースライダーの二人乗りの浮き輪に乗ったり……
「めっちゃ楽しかったぁ!」
更衣室で着替え、プールの外に出る。
プールの外には遊園地と動物園のエリアがあり、招待券でそっちも遊ぶことができた。
「花菱、ホワイトタイガー見たことある?」
「ホワイトタイガー?」
「白いトラだよ。国内にたしか30頭くらいしかいないんだぜ」
ペンギンやアシカのエリアを抜け、ホワイトタイガーのいる場所に行く。
ガラスの向こうの水槽に、バシャ―ンッ、と水しぶきをあげ飛び込むホワイトタイガー。
「へぇ……けっこう軽やかに泳ぐんだな」
興味深そうにホワイトタイガーを見る花菱を、おれはじっと見つめる。
私服でのデートは久しぶりで、涼しげな水玉の開襟シャツとネイビーのハーフパンツ姿のすらっとした花菱がまぶしかった。
(かっこいい……)
そう思っているのはおれだけではないらしく、さっきから、近くの女子高生たちが花菱をジロジロ見ているのにおれは気づいていた。
「あっちは? サファリゾーンって書いてあるけど」
遠くの看板を指さす花菱に、
「キリンとかゾウとかいる」
おれは教える。
「おっ、ゾウか。いいな、行こう」
おれの手を握り、花菱は歩き出す。
瞬間、(えっ!? なに?)(ウソッ!?)みたいな女子高生たちの視線が突き刺さった。
いたたまれなくなったおれは思わず花菱の手をふりはらう。
「えっ? なに?」
すると花菱は、おれの頭に手をかけ、
「まだホワイトタイガー見てたいの?」
身を屈め、顔を覗き込む。
「ち、ちがっ……」
JKの好奇心丸出しの目に耳たぶまで真っ赤になったおれは、
「おっ、おまっ、あんまっ――人前でベタベタすんなっ……」
しどろもどろにいう。
「――え?」
周囲を見渡した花菱は、JKたちの視線に気づき、
「……あ――ごめん」
と素直にあやまる。
(も……もう――どうしたらいいんだ……?)
混乱したまま、スタスタ歩き出したおれのあとを、花菱は黙ってついてきた。
遊園地エリアにさしかかったところで、
「夏音!」
おれを呼ぶ花菱の声に振り返る。
「あれ――乗らない?」
花菱は、ある乗り物を指さし、笑う。
――そこにあったのは、カラフルな観覧車だった。