季節は流れ――
おれたちは、高校3年生になった。
クラス替えで、また同じクラス。
席も隣。
ついでに、オーガイこと高瀬 舟もまたおれの前。
うちの学校は出席番号順の席で、原則一年間席替えをしない。
(花菱がまた隣にいる……)
「あっ、おまえらまた一緒か」
くるっと振り返るオーガイ。
「よかったじゃん、イチャイチャ弁当できて」
「まぁな。うらやましいだろ?」
余裕の笑みを見せる花菱。
「べっ、べつにっ――あんまいちゃつきすぎんなよ。こっちはひとり身なんだかんなっ」
おれと花菱は顔を目を見合わせ、笑う。
……ウソみたいな話だが、おれと花菱は、学校内で公認のカップルになっていた。
男子校という特性からか、いままでにもそういう噂があったやつらは、何人かいたらしい。
おれたちは、2年の文化祭のあと、
「なー、ところで、花菱の好きな子ってだれ?」
と友だちに聞かれた花菱が、
「ん? ああ、奈良崎だよ」
そばにいたおれを指さし、あっさり答えたことで、公認になった。
世間一般の観点からすると、「えっ、マジ?」とか、「そっ、そうなの……?」とひかれたりするのかもしれない。
だが、うちの学校は、奇人変人&他人に関心がない天才が多いので、
「へーそうなんだぁ」
で終わってしまった。
内心、ズコッ、と思わなくもなかったが、
「ああ。だからおまえら奈良崎に手だすなよ!」
クラスメートの前で堂々と宣言する花菱の姿に、こそばゆいような、照れくさいような――だけどすごく気持ちがラクになったのを感じた。
□□□
「……あっ、花菱! こっち、こっち!」
本棟から芸術棟に続く屋根の下の、渡り廊下。
部活のミーティングを終え、走ってきた花菱に手をふる。
「ごめん。ごめん。先生の説教が長引いて」
「音楽セット持ってきたから。急がないとあと少しではじまるぞ」
5時間目の授業は音楽。
教室から持ってきた、花菱のリコーダーと教科書を手渡し、
「走ろう」
という。
音楽室は芸術棟の3階のいちばん奥にあるので遠いのだ。
「ん。あ、夏音――手」
花菱はおれの手をぎゅっと握る。
――花菱はおれを下の名前で呼ぶようになった。
おれは、花菱とふたりきりのとき、「爽一朗」とか「そう」とか呼ぶ。
手をつなぎ、古い建物の階段を駆け上がる。
三階まで上がり、廊下に出たところで、
「おいおまえら、廊下は走るな――」
音楽室の前にいた教師が振り向き、おれたちを注意する。
「すみません」
頭を下げる花菱。
(……? あ、この顔――)
昨日の始業式で紹介された新任教師。
ちょっと渋い雰囲気のイケオジで、
「女子校なら人気でたかもな」
とみんなで話をした。
(……音楽の先生だったのか)
イケオジはおれたちをまじまじ見て、
「……なんでおまえら、手つないでるんだ?」
と聞いてくる。
(あっ……)
慌てて離そうとした手をぎゅっと握りなおした花菱は、
「――付きあってるからです」
と即答する。
「ちょっ……はっ、はなびしっ……――!」
「――はなびし? ……もしかして花菱 優一朗の――?」
――イケオジは、花菱の名前に反応する。
「……え? 父を知ってるんですか?」
「知ってるもなにも――同級生だったからな。この学校で」
「へぇ……そうなんですか」
「ああ。――似てるな、優一朗に。あいつもとんでもないイケメンだった」
(ちょ、ちょっと待て――)
いきなり情報量が多くてついていけない。
そのとき、キーンコーンカーンコーン、と授業開始を知らせるチャイムが鳴った。
「とりあえず授業だ。おまえらも早く教室に入れ」
イケオジは前のドアから音楽室に入る。
――イケオジの名は、桜木といった。
「桜木 翔馬。この学校のOBだ。もしかしたらおまえたちのお父さんと同窓かもしれんが、家に帰ってもおれのことは聞かないでくれ。――知られたらまずいこともあるからな」
うちの学校は、親子2代で通う生徒も少なくない。
創立120年を超える伝統校なので、おじいちゃんもそのまたおじいちゃんも卒業生という話もよく聞く。
とにかく愛校心の強い学校なのだ。
「なんだろう――もしかして、火事起こしたとか?」
「ローソク麻雀で学校燃やした事件か? あれっていつの話だよ……」
ヒソヒソ話をする生徒たち。
「部活はグリー部を担当する。この学校のグリー部は上手いみたいだから楽しみだ。……そういえば、このクラスにグリー部の部長がいたな。――誰だ?」
「あっ、せんせい、こいつ! ならさきかのんでーすっ!」
隣の椅子に座っていたヤツが、おれの手をつかんで高く挙げさせる。
「へぇ……おまえか――」
すこしおどろいたようにつぶやいた先生は、
「よろしくな。おれの指導は厳しいぞ」
と笑う。
「さて。音楽教師らしくピアノで挨拶でもするか」
ピアノの蓋を開け、鍵盤を指で押さえる。
「……高校のとき、ずっと片思いしている相手がいて、そのときよくこの曲を弾いてた。いまでもこの曲を聴くと、当時を思い出す。そいつは結婚して、子どもふたりいるお父さんになっちまったけどな」
(……んっ? ――んんっ……?)
――ものすごい爆弾発言を聞いたような気がするけど……気のせいだろうか。
椅子に腰を下ろした桜木先生はピアノを弾きはじめる。
(あ……)
パッヘルベルの――『カノン』。
タンタタタタタタッ、タタタタタタッ、という美しいメロディーが、開け放された窓から校庭の木々へと響き渡っていく。
(巧いな……)
こんなに巧いピアノを弾ける先生が教えてくれるのか。
楽しみで、自然と笑顔になる。
授業終わり、
「奈良崎」
桜木先生に呼びとめられ、
「ちょっと話がある。放課後、ここに来てくれ」
といわれた。
放課後。
音楽室に行くと、桜木先生はピアノの椅子に腰かけ、待っていた。
「奈良崎 夏音――だな」
「はい」
「名前――もしかして、さっきの『カノン』から?」
「あ――は、はい。夏生まれで、親が音楽好きなんで――」
「へぇ、親御さん、クラシックファンなんだ。いいね。何か弾くの?」
「いえ、親はもう聴く専門ですけど――伯父さんが、オーケストラで演奏してます」
「そうなんだ。すごいね。どこのオーケストラ?」
「北海道の――札幌です」
「おっ、すごいね! 名門! ――楽器は?」
「チェロです」
「へー、いいねぇ。チェロかぁ」
たわいのない雑談を交わしながら、先生の顔をちらっと見る。
40代後半くらい……? かな。
黒いふさふさした髪には少し白いものが混じりはじめて、それがまたぐっと渋さをかもし出している。
顎にうっすら残った無精ひげと、ピアノの鍵盤をなぞる長くしなやかな指。
白いカッターシャツに黒のスラックスのスタイルもおしゃれだ。
「……あ、あの、ところで――お話ってなんですか? もうすぐ部員も来ると思うんですけど――」
「あ、そっか。ごめんごめん。まず練習だけど、これからは日曜以外は基本毎日。平日も休みなし。今年は全国大会狙いたいから。わかった?」
「は、はい……」
「もし受験に専念したい3年がいたら次の大会前には退部するよう伝えておいて。やる気のあるヤツだけに残ってほしいから」
「……わ、わかりました」
「それともうひとつ」
立ち上がった桜木先生は、おれの目をじっと見つめ、
「おまえとおれは、男の好みが同じ――かもな」
という。
「えっ……!?」
「――花菱爽一朗。おどろいたよ。そっくりなんだもん。優一朗にさ」
な、なんっ……!?
「付きあってんだろ、花菱と」
「……ッ……!」
顔を真っ赤にして後ずさると、
「あー、もー!」
とつぜん叫びだし、
「いいなぁ! めっちゃ! ホント! うらやましい!」
おれの肩をバンバン叩いてくる。
「はっ――はっ……?」
「いいなぁ! おれも高校んとき、優一朗と付きあいたかったぁ……。あ、さっきのずっと片思いしてた相手って、花菱優一朗――あいつのお父さんね。頭もめちゃ良かったけど、顔面偏差値が90くらいで、入学式でひとめぼれしてさ――もう、ビビビッ、ってやつ? 優一朗はおれの青春そのものだった……」
廊下を歩いてくる生徒たちの足音。
「せ、先生……部員がそろそろ来ますけど――」
「あー時間切れかぁ! ざんねん! ま、とにかく! 先生はきみたちの味方だから、なんかあったら相談にのるからねっ♡ 以上!」
「はぁ……」
(もしかして桜木先生って……オネエ?)
□□□
「それはつまり――あの先生はおれの父親が好きだった――ってこと?」
その日の学校帰り。
駅までの道を、花菱は自転車を押して歩く。
花菱は自転車通学だが、電車通学のおれを駅まで送ってから、家に帰っていた。
「うん。優一朗ってお父さんの名前だろ」
「ああ。今度会ったら覚えてるか聞いてみる」
「こんどって……お父さん、家にいないのか?」
「おれの父親、国際線のパイロットだから。月の半分くらいは留守なんだ」
「へぇー……。あ、だから、花菱の部屋に飛行機の模型あったのか」
「ああ。子どものころ、よく父親の飛行機に乗って旅行行ってたからさ」
「……花菱も――パイロットになんの?」
「うーん、どうだろ……まだわかんないな――将来のことは――」
話しているうちあっという間に駅についてしまった。
「じゃあまた明日――」
「うん……」
別れ際はなんだかモゾモゾする。
もっと話したいことはたくさんあるのに、さよならをいわなければならない。
「あ――そうだ。桜木先生――だっけ? ……あんまふたりきりで会うなよ」
「え? なんで?」
「なんでって――ふたりきりのとき、ヘンな雰囲気になったらまずいだろ。――その……おまえかわいいから……」
照れたように頭をかく花菱に、
「ははっ、なにいってんの? そんなわけないじゃん。むしろあの先生が好きになるなら、爽一朗のほうだろ。爽一朗のこと、好みっていってたもん」
おれはケタケタ笑う。
「もっ、おまえはっ――ちょっとは自覚しろっ……!」
自転車を路肩に停め、おれの肩を抱き寄せ、
「またあした――学校で――な」
名残惜しそうにいう。
「――大好きだよ」
前髪をかきあげ、額にそっとキスしてくる花菱。
「じゃあな」
長い脚で自転車にまたがり、車道を走っていくその大きな後ろ姿を見送る。
大好き――――
「おれも――好き……」
4月のしんとした夜風が、恋の熱で火照った頬を撫でていった。