(好きな子が……できた……?)

「マジかぁ!?」
「だれだよー!?」
 観客から声が飛ぶ。

「それはっ――まだいえないっ……! ただとてもかわいくて――素直で……とてもいい子だから好きになった。――そしてきょうっ! おれはその子に告白しようと思う……! だからみんなおれにエールを送ってくれ! 以上!」

 バケツの泥水を頭からかぶった花菱は、ずぶ濡れになる。

「よっ! 水もしたたるいいオトコッ!」
「おまえならぜったいいける!」
「いいぞっ! アオハル~!」

 ……いやだ。
 聞きたくない。
 聞きたくない。

 足がガタガタふるえ、地面に深い穴がぽっかり開いたかのように世界が暗転する。
 学生の輪のいちばん前にいたおれは、輪の外に向かって走りだした。

「…………っさきっ……! ……ならさきっ……!?」
 
 ……どこからか、おれを呼ぶ声がする。
 やだ。
 いやだ。
 誰にも会いたくない。
 こんな涙まみれの顔――見られたくない。

 校庭の端にある砂場の手前で、
「――奈良崎っ!」
 腕をつかまれ、振り向かされる。
 そこには、泥まみれの花菱がいた。

「……なんでっ――なんでっ……逃げんの……?」
 軽く息を乱した花菱が、おれを見る。
 褐色の肌にこびりついた泥。

「……逃げてない」
「いや、ぜんぜん止まってくれないし――……ていうか、なんで泣いてるんだ?」
 おれの腕をつかむ手に力が入る。
「さっきも泣いてたよな。――ホントになんかあったのか?」
「…………」
 おまえに失恋したから、とかいえるわけなかった。
 だから、
「泣いてたんじゃない」
 とうそぶく。
「キャンプファイヤーの煙が目に入っただけ」
「……ウソだろ」
「ウソじゃない」
「なんで――」
 困ったように、
「なんでそんなウソつくんだ。おれはただ、奈良崎が心配なんだよ」
 花菱はため息をつく。

「おまえのそんなつらそうな顔――見たくないから」
「べっ、べつにつらくなんか……」
「だって泣いてただじゃないか」
「だ、だからっ……! 泣いてなんてっ――なっ……!」

 ぐいっと手首を高く持ち上げられ、
「――涙」
 目を覗きこまれる。 
「――瞳の奥に残ってる」

 ああ、もう――。
 
 心臓が、痛いくらいにトクトク動く。
 赤くなる頬。
 
 やめろ。やめろ。
 自分の胸にいい聞かせる。
 これ以上、好きになんて――――


「――好きだ」

「…………はっ……!?」

「おれは奈良崎が好きだ」

 ………い、いま――なんて…………?

「おれは、おまえが好きだ」

「……う、う、う、う、う、うそ……」

「なんでウソなんだ」
「だっておまえさっきガクチューで好きな子ができたって――」
「それがおまえだよ」
「だ、だって……かわいくて素直でいい子だって――」
「だからそれがおまえだろ」
「お、おれっ、べつにかわいくなんかっ……あっ、さっきのミスコンは、ほんとうのおれじゃないからな。あれは、ま、まぼろしぃ~? みたいなもんで――」

 IKKOさんのマネをしてあわてるおれに、ふっと笑みを向け、
「幻なんかじゃない。……昭和アイドル風のかわいい奈良崎も、ふだんの男な奈良崎もどっちも――どっちも大好きだよ」
 花菱はまっすぐに思いを投げてくる。

「な、なんでおれなんか……」

「なんで? うーん、そうだな……最初は弁当作ってくれたりいいヤツだな、からはじまって――毎日ちがうおかず入れてくれてるの気づいてから、あ、なんかすごくいいなぁ、と思った。ミスコンの件もちゃんと自分で考えて、人がやらないことをいっしょうけんめいやろうとしてくれて――いちばんの決め手は、マカロンをすげーかわいがってくれたことかな。おれ、子どものころから、マカロンをかわいがってくれる人とぜったい結婚しようって決めてたから」


 ……けっ……けっ……けっ――けっ……結婚っ!?

 ――待て。
 待て。
 待て。待て。

 まるで情緒が追いつかない。

「な、なんで……いきなりけっこん……?」
「え、だって付きあうなら結婚前提だろ。――みんな結婚するつもりもない相手と付きあったりするのか?」
「お、おまえ――いままでそんな感じで付きあって……?」
「え。ないよ。付きあうとか――いままでいちどもしたことない」
「えっ……!? ウッ、ウソだろ?」
「ウソじゃない」
「だ、だ、だって……おまえすげーモテるだろ。めちゃくちゃカッコいいし――彼女とかいただろ?」
「――告白されたことは何回かあるけど――でもぜんぶ断った」
「なっ、なんでっ……?」
「なんでって――その子のことをほんとうに愛せるかどうか、わからなかったし――付きあうなら自分がいいなと思った相手とちゃんと付きあいたかった。それがおまえだったんだよ」

 …………

 ――これは……夢か?

 感情の波の大放出にたえきれなくなったおれは、花菱の手をふりほどいた。
 近くにあった鉄棒を握り、地面を蹴って、ぐるんっ、ぐるんっ、と連続逆上がりする。

「奈良崎っ……!?」
 駆け寄ってきた花菱が、「なにやってんの、おまえ……」と目をぱちくりする。

「……頭を冷やそうと思って――」
 逆さから見る世界の花菱は泥まみれで、でもやっぱりハンパなくかっこよくて――泥のなかの瞳が、宝石みたいにキラキラ輝いていた。

 好き――――

 やっぱりおれ――花菱が好きだ――――

 あふれる思いに、
「あなたと同じ青春――走ってゆきたい……」
 鉄棒に脚をかけ、逆さになったまま、さっき歌った曲のいちばん好きなフレーズを口ずさむ。

 すると、
「あっ、いいよな、そこ。おれ、そこの歌詞がいちばん好きかも」
 花菱がすぐに反応する。

 えっ……?
「あっ……!」
 びっくりして鉄棒から落ちたおれを、花菱が素早い身のこなしで抱きとめる。
「だいじょうぶ?」
「う、うん……」
「あ――ごめん。汚れちゃったな」
 花菱のシャツの泥がついたおれの肩を見て、
「おろすぞ。足――ゆっくりのばして」
 おれから離れようとする。

「いい――」
「……奈良崎?」
「――汚れてもいいから――もうちょっとだけこうしてたい……」
 花菱のシャツの胸をぎゅっとつかんだおれは、
「……おれもおなじ――おまえとおんなじ気持ちだから」
 ありったけの勇気をふりしぼっていう。

「おまえと同じ青春が――したい……」


 校庭に、文化祭のフィナーレを知らせる花火が打ち上がる。

 ドーン! ドーン! という音とともに夜空に満開に咲きほこる、今年最後の花火。

 おれの背中に腕を回した花菱は、
「ありがとう……」
 といいながら、おれを胸のなかにぎゅっと抱きしめる。

 夢みたいな――だけど夢じゃない。
 高校2年の文化祭最終日。


 ――隣の席のイケメンは、おれのカレシになった。