文化祭の日は、抜けるような晴天だった。
 完成した入場門をバックに記念撮影する女子高生たち。
 メイド姿の男子高校生や、クラスの出し物をサンドイッチマン姿で宣伝する学生。
 文字通りのお祭り騒ぎだ。
 校庭の隅に設置された小さな特設ステージで、漫才や歌自慢コンテストが行われる。
 おれが出るミスコンは、最終日のラストのステージだった。

(き……緊張する……)

 ステージの裏手にある待機テントで衣装に着替え、椅子に座って出番を待っていたとき。
 文実のTシャツを着た花菱が来た。
「……だ、だいじょうぶおれ? どっかおかしくない?」
 すがる思いで花菱を見る。
「――だいじょうぶ。どこもおかしくないよ」
 花菱は、床に膝をつき、
「奈良崎がいちばんかわいい。だから、落ち着いて。――リラックスして歌っておいで」
 おれの手をそっと握る。

「……う、うん――」
 手を握り、見つめあうおれたちを、
「えっ、なっ、なにぃっ? 男子校の春ぅっ……!?」
 セーラームーンの格好をした隣の男がびっくりしたように見る。

(あっ……)
 赤くなり、ぱっと手を離したおれの頭を、ポンポン、と優しく撫で、
「外で見てるから」
 花菱はテントを出ていく。

(……いちばん……かわいい……)
 花菱にいわれたことばを胸のなかで反芻(はんすう)する。
 ほんのりファンデーションをはたいた頬が、赤くなっていくのを感じる。

 やがておれの出番が来た。

 ドキドキしながらステージに上がる。
 水玉模様のワンピースの裾が、ひらり、と揺れる。
 白いレースソックスとリボンのあしらわれた黒のエナメルシューズ。
 毛先がふんわり内側にカールしたボブのウィッグ。
 モフモフしたベビーピンクの毛玉イヤリング――という昭和のアイドルチックないでたち。

「いいぞー!」
「がんばれー、奈良崎ぃ!」
 客席のテントの外で観覧するクラスメートの野太い声が響く。 
『こっち向いて♡』『萌♡』と描かれたキラキラのハート型うちわを持ったやつらが、「かわいー!」「サイコー!」と応援してくれる。
 花菱は、クラスの連中の近くにいた。
 腕を組み、真剣な顔でこっちを見ている。

 ふるえる手でマイクを握り歌い出す。

 ♪
 I will follow you
 翼の生えたブーツで
 I will follow you
 あなたと同じ青春
 走ってゆきたいの……

 そのときのおれは、花菱しか、目に入らなかった。
 まるで背中に翼が生えて、花菱のところにまっすぐ飛んでいっているかのようだった。
 歌い終わると同時に、客席から大きな拍手が起こる。

「すげーよかったぜ奈良崎!」
「めっちゃかわいい。シン男子校の姫!」
 ステージの陰でクラスの連中にもみくちゃにされる。
 そのなかに花菱の姿はなかった。


□□□

 後夜祭。
 校庭でフォークダンスを踊るカップルを、文化祭Tシャツに着替えたおれは、離れた場所から眺める。

「おっ、おまえも「ぼっち」かぁ?」
 と声をかけてきたのは、前の席のオーガイこと、高瀬。
「……うん」
 何人かに逆ナンされたけれど、踊る気にはなれなかった。
 
 今年も花菱は大勢の女子高生に取り囲まれていたけれど、フォークダンスの輪にその姿はなかった。
 夕暮れの校庭に伸びていく、男女の影。

(もしおれと花菱で踊ったら――いったいどうなるんだろう……?)
 現実にはありえない。
 妄想の世界。

 ……花菱への想いは友情ではなく恋だと、さっきのステージではっきり、わかった。

 そしてその想いはたぶん――叶わないことも。
 だってどう考えたって、花菱みたいなイケメンが、おれを好きになるわけない。
 あいつはすごくいいヤツだから、おれによくしてくれるけれどそれはたぶん友だちのそれで――
 
 恋――――なんかじゃない。

 だから、このままでいよう。

 友だちのままで、一緒に弁当を食べたり、勉強をしたり。
 たまに花菱の家に行って、マカロンをかわいがって。
 そんなたわいのない友だちのままで――――
 
「……ん?」
 おれの顔を覗きこんだオーガイが、
「なんでおまえ泣いてんの?」
 と聞く。

 そのとき、体育館の向こうから、水色のTシャツを着た花菱が駆けてきた。
「奈良崎!」
 はじける笑顔で、
「おまえミスコン1位だったぞ!」
 おれの手を握りしめる。
「いま集計が終わったんだ。ぶっちぎりの1位だった。……すごい。よくがんばったな!」

(あっ……)
 もう片方の手であわてて涙をぬぐう。
「……奈良崎……?」
 おれの涙に気づいた花菱が、「……どうした? なんかあったのか?」と眉をくもらせる。
「……なんでも――」
 おれはブンブン首を振る。
「なんでも――ない」
「でも――」

「おーい、はなびしぃ! 打ち上げの準備はじめるぞ!」
 文実Tシャツの同級生が、花菱の腕を強引に引っぱっていく。
「あっ……なっ、奈良崎ッ……! あとで話があるっ……!」

 フォークダンス後の打ち上げは、女子高生たちも帰り、うちの学生だけで盛り上がる。
 キャンプファイヤーの棒を振り回したり、応援団の踊りに合わせて肩を組み校歌を熱唱したり。
 男子校特有の泥臭さが最高潮に達したころ。

 最後の見せ場、「学注」になった。
 「学注」は「学生注目」の略語で、青少年の主張みたいなやつだ。
「学生ちゅーもく!」
 と呼びかけた代表生徒に、
「なーんだ!?」
 と全員で答える。
 「学注」のネタはさまざまで、くだらないものから、衝撃の告白までバラエティに富んでいた。
 さらに後夜祭の「学注」には独特のルールがあり、それは――――

「うわっ、めっちゃ、ドロドロ~」
 学生の輪の中心でバケツの泥水をかぶる、「学注」に参加した生徒。
 文化祭の「学注」は宣誓の最後に泥水をかぶらなければならない。
 いつからともなくはじまった伝統の儀式。
 そして「学注」のラストを飾るのは、文化祭実行委員と決まっていた。

 ラストに登場したのは花菱だった。
 Tシャツとハーフパンツの裾から伸びたすらりとした手足が、キャンプファイヤーの火に照らし出される。

「よっ、色男!」
「そういちろうちゃぁ~ん♡ かっこいい~!」
 ギャラリーの声援に軽く手を挙げてこたえた花菱は、
「がくせー! ちゅーもく!」
 とこぶしを突き上げる。

「おれはー! きょうっ! みんなに打ち明けたいことがあるっ!」
「なーんだ!?」

「じつはっ……好きな子がっ――できたっ……!」

(……えっ……!?)

 その瞬間、目の前が真っ暗になった。