受験生の冬が終わり、季節は流れ――春。
今日は卒業式。
「春からS台か……」
前の席のオーガイが、机に突っ伏し、予備校の名前をつぶやく。
「ヤだなぁ、あと一年勉強すんの……」
「一年とは限らないぞ?」
オーガイの隣に座ったクラスメートが茶々を入れる。
「二浪、三浪、四浪……予備校は何年でも通えるからなぁ」
「やっ、やめろっ、おまっ……! 不吉なこというなぁッ――!」
隣の席のやつをボコボコにしたオーガイが後ろを向き、
「花菱は、首席だったんだろ?」
と聞く。
――花菱は、第一志望の大学に、学類最高得点で合格した。
一方、おれは――――
「よかったな、奈良崎」
体育館につながった外廊下を歩いているとき、学年主任の先生に声をかけられる。
「最後よくあそこまで追い上げたな。――おめでとう」
――おれは、北大にすべりこみ合格した。
入試までの3か月。
寝ているとき以外、ずっと勉強して――過去問もボロボロになるまでやりこんだ。
わからないところはすぐ花菱に教えてもらえたのも大きかったかもしれない。
……けっきょく最後まで甘えちゃったよな――
隣にいる花菱をじっと見つめる。
「ん? なに?」
きれいなヘーゼルの瞳が、おれを見る。
「……ピン。ちょっと曲がってる」
花菱の学ランの胸についた青い花のコサージュを縦にする。
「サンキュー」
まぶしい、笑顔。
学ランの笑顔を見るのもこれが最後なんだな……
□□□
式が終わり、昇降口に続く階段の下、卒業式恒例の「学生注目」――通称「学注」がはじまる。
文化祭の後夜祭でもやった、「未成年の主張」みたいなやつだ。
浪人が決まった卒業生のたましいの叫びに、笑いや共感のエールがあがる。
はじける男子校ノリ。
花菱も、めっちゃ楽しそうに笑っている。
(……おれたちが付きあうきっかけも、ガクチューなんだよな)
『好きな子が――できた……!』
後夜祭で泥水をかぶった花菱の姿を昨日のことのように思い出す。
あのとき、花菱が勇気を出してくれたから――いま、こうしていられる。
そっと、花菱の手を握る。
花菱は、その手を優しく握り返してくれる。
――戻ってきた教室。
最後、クラス全員で卒業証書の筒を天井に向かい、放り上げる。
「元気でな!」
「一年後、待ってるぞ!」
思い思いのことばと笑顔が教室にあふれる。
床に落ちた自分の筒を拾った花菱が、
「ちょっと来てくれる? 会わせたい人がいるんだ」
おれを校舎の外に誘う。
校舎の外には、立ち話をしている保護者がたくさんいた。
そのなかのひとりに、
「あ、いたいた、母さん!」
と手を振る花菱。
黒のスーツに身を包んだスレンダーな女性が、こっちを振り返る。
胸の前でクルッとカールして揺れる黒髪。
女優みたいに華やかな美貌に映える赤い口紅。
「――爽一朗」
穏やかな笑みをたたえ、ツカツカと近づいてくる。
「あら、そうちゃんっ!」
「そうちゃんじゃなーい!」
近くにいたお母さんたちが、甲高い声を上げる。
「相変わらずかっこいい~♡」
「また背伸びたんじゃない?」
「ウチのコに見せたいから写真とっていい?」
「こっち向いて、そうちゃん!」
パシャッ、パシャッ、と、記念撮影がはじまる。
「同じ中学のお母さんたちだよ」
おれの耳に口を寄せ、小声で説明する。
「あ……そ――そうなんだ……」
ところで――おれはなんでここにいるんだ?
おれの疑問をくみ取ったかのように、
「母さん」
一歩前に進み出た花菱は、
「昨日の夜に話した奈良崎――奈良崎 夏音だよ」
とおれを紹介する。
「昨日話したとおり、奈良崎はおれの恋人なんだ」
えっ……?
「おれこいつと結婚するつもりだから」
………………ええええええええ―――――っ……!?
おれが叫ぶより早く、
「えぇぇぇぇ――――――――ッッッ!」
「ビッ、ビッグニュース!!!」
「ほんとうなの、そうちゃぁっんっ!?」
「ウチのコ泣いちゃうわよぉ~!」
お友だちの悲鳴がこだまする。
「――はい。ほんとうです」
花菱は余裕の笑みを見せる。
「ウソォ、驚き桃の木山椒の木だわ……」
「中3のときクラスの女子全員そうちゃんに告白して全員フラれたのにね……」
「おっ……おめでとうっ!」
「おめでとうっ、そうちゃん!」
「素敵なお相手ねぇ……しあわせになってね!」
ハンカチを握りしめ、花菱を取り囲んで涙を流すお母さんたち。
(な、なんだ……? このやさしいせかいは?)
「奈良崎くん」
胸に白いバラのコサージュをつけた花菱のお母さんが笑顔で話しかけてくる。
「ごめんなさいね、爽一朗、一本気というか――こうと決めたら突き進んじゃうところあるから。正直ちょっと重いでしょ?」
「い、いえ……重いだなんてそんなっ――花菱――いや、爽一朗くんはいつもすごく優しくて、勉強も教えてくれて――それ以外にもずっとぼくを支えてくれた――かけがえのない、大切な存在です」
せいいっぱい、気持ちを伝える。
「そう……」
花菱のお母さんは、
「あのコは昔からあまり感情を表に出さなくて。何か主張することがほとんどなかったの。唯一主張したのは、小学生のとき、マカロンを飼いたいとせがんだときだけ。……だからこのコは誰かを好きになったりできるのかしらってすこし心配してたんだけど――あなたを好きになることができたのね。――ありがとう」
そう穏やかな表情でいってくれる。
ありがとう――
その優しいことばに、目の奥がツンと熱くなる。
腕時計を見た花菱が、
「そろそろかな。行こう」
おれの手をとる。
「えっ……ど――どこに……?」
「――結婚。するっていったろ?」
花菱に連れてこられたのは、芸術棟の3階にある音楽室。
前のドアがガラッと開き、
「おっ、来たぞっ!」
ひょこっと頭だけ出したオーガイがふたたび音楽室に入る。
な……なに……?
わけがわからずきょとんとするおれの両手を握りしめた花菱は、
「夏音。卒業してもおれたちはずっと、ずっとつながってるから。もしもどうしてもさみしくなったら、今日のことを思い出して。ここであったことをずっと覚えていて」
という。
「う……うん」
その真摯さにおれはわけがわからないまま、うなずく。
「よかった。さ、入ろう」
ほほえんだ花菱が、音楽室の後ろのドアを開ける。
なかに入った瞬間、わぁっ! という歓声とともに、白い紙吹雪がふりそそいできた。