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 桜のつぼみはまだまだ膨らみかけなのに、空の青は春色に染まっている。
 合唱しながら涙ぐむ生徒を尻目に、橘は落ち着かない気持ちのまま卒業式を終えた。
 ――国道沿いのネオンの下、花岡に告白したあの日。
 そこからバイトと新居の内見で気がつけば今日を迎えていた。
 並んでゾロゾロと教室に戻る列の中に、橘はつい花岡を探してしまう。小柄で目立たないはずなのに、いつの間にかどんな大勢の中からでも見つけることができるようになった。
 ふと目が合った……ような気がする。本当に、一瞬。


 卒業後、花岡は地方へ引っ越す。それだけは決まっている。
 だったら……例え気まずくても、最後に会いたい。
 最後のHRが終わり、橘は隣の教室へ向かおうとしたところでクラスメイトに呼び止められた。
 「橘くん。……ちょっといい?」
 数少ない女子の1人。日直やら委員会やらで話す機会は多い方だった。察した周りの数人がニヤニヤと振り返る気配を感じ、橘は慌てて彼女を人気のない階段の方へ誘い出した。
 

 屋上へ繋がる階段の踊り場は、窓から差し込む光で埃がキラキラと輝いている。
 「橘くんのことが好きです」
 彼女は、まっすぐこちらを見てそう言った。体の横で握られた拳は、震えている。
 「……私に興味はないかもしれないけど、もし良かったら……付き合ってください」
 告白することの緊張感。返事を待つまでの辛さ。当たり前だが、全部手に取るようにわかる。どれほどの勇気を出して、告白してくれたんだろうか。
 「……ありがとう。でも、ごめん」
 橘が絞り出すようにそう告げると、彼女はゆっくり首を振った。
 「ううん。こちらこそ聞いてくれてありがとう。元気でね」
 うっすら目を赤くした彼女はぺこりとお辞儀をすると、階段を駆け下りて行った。ほんのり甘い香りを残して。
 ……恋に香りがあるとしたら、こんな感じだろうか。踊り場に座り込み、橘はぼんやり考えた。
 高校の思い出が走馬灯のように浮かぶ。そして、そのほとんどが花岡で構成されていることに改めて気がついた。
 彼女のことを思うと胸が痛い。それなのに、会いたい。
 「橘くん」
 一瞬、幻聴かと思った。橘が階段下を覗き込むと、そこには卒業証書の筒を抱えた花岡が立っていた。
 「……おつかれ」
 橘はいつもの癖でそう返して、それはないかと自分に苦笑した。花岡はそれには答えず、真剣な顔をしている。
 「……あの、良かったら第2科学室、来てくれませんか」