◆◆◆
 桜吹雪が薄青の空に舞い上がる。桜の香りなんてあるんだろうか、桜餅みたいな匂いがするのか……なんて考えながら、橘は新しい教室へ登校した。
 3年生のクラス替えでも、花岡とは同じクラスにならなかった。なんとなく、そんな気がしていた。
 細川は最後の大会に向け猛練習に励み、丸山は彼女と同じ大学に行くべく予備校に通い出した。
 橘はとりあえず、志望を都内の私大文学部で提出していた。偏差値的には少し頑張れば入れるレベル。……とはいえ、特別文学に興味がある訳ではない。
 教室の窓から見える第2科学室は、今日も静かだ。
 

 「旧校舎、取り壊すらしいじゃん」
 細川が何気なくそう言い出したのは、新学期が始まってすぐの昼休みだった。
 「まじ?まああそこだいぶ古そうだもんな」
 パンを食べる手を止めた橘に気づかず、丸山が納得したように返す。
 「……いつ?」
 「来年って言ってたから俺らが卒業する頃じゃない?」
 ――周りの景色は、自分だけを置いてどんどん変わっていく。
 「ん?橘どこ行くん」
 「ちょっと用事思い出したから先食べてて」 
 2人に断って席を立つと、橘は旧校舎へ向かった。渡り廊下を渡ってすぐ、もうほとんど使われていなかった掲示板に真新しい紙が貼られている。
 ――取り壊しのお知らせ。
 外から吹き込む南風が、紙をハタハタと揺らした。昼休みの喧騒も、ここからは遠い。
 花岡は、このことを知ってるんだろうか。
 連絡先を交換しないままなんとなくここまで来てしまい、そのことを気軽に聞くことも出来ない。
 ――いや、クラスに直接行けばいいのか。
 橘はひとつ息を吐くと、元来た道を走り抜けた。


 橘が少し遠慮がちに隣のクラスの教室を覗き込むと、花岡は窓際の席でイヤホンをし、何かを聞いているようだった。……少しだけ緊張するのは何故だろうか。
 「ごめん、はな……」
 「花岡ー、この問題ってさー」
 橘が近くの生徒に声を掛けるより一瞬早く、クラスメイトが花岡に何かを質問した。花岡は少し困った顔をしながらも、丁寧に答えている。
 ――ああ、格好悪いな。何もかも。
 もうすぐ予鈴が鳴る。話しかけた生徒に謝り、橘は踵を返した。
 もう、何の香りもしない。