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 「あ、雪」
 校舎の外に出ると、真っ暗な空からは白い欠片がちらほらと降ってきていた。
 お互いほんのり薔薇の香りを纏いながら、橘と花岡は歩き出した。
 「……年明けたらいよいよ受験生か」
 そんなことを話したい訳ではないのに、橘はついそう言ってしまう。
 「来年は塾に通うから、第2科学室にあんまり行けなくなるかも」
 花岡が白い息と共に小さく言葉を吐いた。雪が舞い落ちる花岡のつむじを、橘は静かに見つめる。
 「偉いな。応援してる」
 花岡が小さく頷く。――もっと言いたいことがあるはずなのに、掴めない言葉はひとひらの雪のように一瞬で消えてしまう。
 今がお別れじゃないし、まだ1年あるし。それでも、こんなに焦ってしまうのは何故だろう?
 「卒業してもさ、たまに店行っていい?」
 なるべく軽く明るく見えるように、細心の注意を払って橘は笑った。
 「も、もちろん!……もしかしたら、僕はいないかも知れないけど」
 花岡が足を止め、橘もつられて立ち止まる。俯いてマフラーを巻いたその表情は伺えない。
 「――第一志望、地方の大学なんです」
 まるでドラマの映像のように、北風が花岡の髪を揺らした。舞い落ちる雪が、橘の視界を一瞬かすめる。
 花岡が挙げたのは、ここから新幹線の距離の国公立大学だった。
 「まだ、第2志望の東京の大学と迷ってはいるんだけど」
 ――園芸委員にローズマリーを貰いに行った日。好きなものがあって熱中する花岡をすごいと思って、橘はそのまま口に出した。
 あの頃よりずっと、距離は縮まったはずなのに。今はうまく返すことができない。
 今の思い出に縋っている自分が情けないから?
 一番仲が良いとうぬぼれてたのに、遠くに行くことを知らなかったから?
 未来をしっかり見ている花岡に嫉妬しているから?
 全部が図星なようで、でも少しずつ違う気がする。
 自分と同じ香りがするはずの花岡が、遠く見えた。
 そこから別れ道まで、どうやって会話したかの記憶がない。

 「……良いお年を」
 きちんと笑えてただろうか。
 薔薇の香りを色濃く残して、2人は別れた。