◆◆◆
終業式後の浮足立つ校内を、橘は早足で歩いていた。
……いるかどうかなんて確証がない。でも、この機会を逃せば、年内に会うことはないだろう。
『今日は第2科学室いる?』
そんなメッセージを送ろうとして、橘は初めて花岡の連絡先を知らないことに気がついた。行けば、いつもそこにいたから。
いつかの放課後と同じように、でもあの時とは違った切実さで橘は祈る。どうか、いてくれますように。
ドアを開けると、面食らうほど濃厚で甘い香りが廊下に流れ出した。
「――なんだこれ」
「……橘くん!」
花岡がパッと振り返る。……気のせいか、彼の背景に薔薇が見えるような。目がついに少女漫画的なフィルターを身に着けたのか……。
「いや気のせいじゃないな」
「薔薇だよ。すごいよねこれ」
花岡の背景に見えたのは、花瓶に入った大きな薔薇の花束だった。赤、白、ピンクから黄色っぽい物まである。
「園芸委員がビニールハウスの方で育ててたけど、もう休みに入るからって剪定して分けてくれて」
花岡が薔薇の花に触れながら、嬉しそうに微笑む。橘は初夏の頃に話しかけた園芸委員の下級生を思い出していた。
話すなんてとんでもない、と言っていた花岡が、いつの間にかこうやって花をもらうほどになっている。……嬉しいのに、少し寂しいような。なんだか不思議な気持ちだ。
「店は落ち着いた?」
「……なんか、今ってクリスマスイブが本番みたいな感じらしくて。今日はそこまでじゃないから休んでいいって」
コポコポと音を立てて蒸留されていく薔薇の花びらを眺めながら、2人は並んで椅子に腰掛けた。
「薔薇は華やかな匂いがするけど、特にその中でもダマスクローズっていう薔薇のアロマはすごく高級で」
化粧品とかに使われていて、美容に効果的で……といつもの通り饒舌に語る花岡を、橘はじっと見つめていた。
好きなものに一生懸命で、すごく楽しそうで。花岡のこの顔が一番好きだ。
「……あの?」
「あ、ごめん」
少し不安そうな顔でこちらを見返す花岡に、橘は我に返った。――変なタイミングだけど、もういいか。
「えーっと。……誕生日おめでとう」
ちょっとだけ気恥ずかしくて、橘は差し出しながら視線を外してしまった。これじゃあいつかの花岡と同じだ。
「――え」
花岡はそう言った後、固まってしまった。あまりにも受け取られないため、不審に思った橘は意を決して花岡の方を見る。
……顔が真っ赤なのは想像がついたが、まさか泣き出しそうな表情をしているとは。
「……家族以外からプレゼントもらうの、初めてで……」
花岡の受け取る手が震えている。
「こないだ手触った時、ちょっと荒れてて痛そうだったから。で、無香料のがいいかと思って……」
渡しながら、橘は思わずゴニョゴニョと言い訳じみたことを言ってしまう。我ながら格好悪すぎる。
花岡が、そっと袋を開ける。
橘の選んだ物は、水に強く無香料のハンドクリームだった。
おそらく、実験やら香りのブレンドやらで手を洗う機会が多い花岡の手はカサついていた。
相手をよく見て想像する。丸山の言葉を、橘が自分なりにやってみた結果だ。
「……嬉しい。本当ありがとう」
――こんなに喜んでくれるなら、照れ隠しせずもっと良いものをあげれば良かったかもしれない。
泣きそうなくらいに喜んでくれる花岡を見て、橘は丸山が彼女に選んだプレゼントを思い出していた。
もし女子相手だったら、可愛い包装紙に包んでプレゼントを渡していただろうか。もし、恋人相手だったら……。
「……大したことないって」
結局、橘の口をついて出たのは無意味な謙遜だけだった。
「何であっても、自分のことを考えて選んでくれたのが一番嬉しいです」
小さなハンドクリームを大切そうに抱える花岡に、橘は思わず目を細める。何故か、薔薇の香りを一層強く感じた。
終業式後の浮足立つ校内を、橘は早足で歩いていた。
……いるかどうかなんて確証がない。でも、この機会を逃せば、年内に会うことはないだろう。
『今日は第2科学室いる?』
そんなメッセージを送ろうとして、橘は初めて花岡の連絡先を知らないことに気がついた。行けば、いつもそこにいたから。
いつかの放課後と同じように、でもあの時とは違った切実さで橘は祈る。どうか、いてくれますように。
ドアを開けると、面食らうほど濃厚で甘い香りが廊下に流れ出した。
「――なんだこれ」
「……橘くん!」
花岡がパッと振り返る。……気のせいか、彼の背景に薔薇が見えるような。目がついに少女漫画的なフィルターを身に着けたのか……。
「いや気のせいじゃないな」
「薔薇だよ。すごいよねこれ」
花岡の背景に見えたのは、花瓶に入った大きな薔薇の花束だった。赤、白、ピンクから黄色っぽい物まである。
「園芸委員がビニールハウスの方で育ててたけど、もう休みに入るからって剪定して分けてくれて」
花岡が薔薇の花に触れながら、嬉しそうに微笑む。橘は初夏の頃に話しかけた園芸委員の下級生を思い出していた。
話すなんてとんでもない、と言っていた花岡が、いつの間にかこうやって花をもらうほどになっている。……嬉しいのに、少し寂しいような。なんだか不思議な気持ちだ。
「店は落ち着いた?」
「……なんか、今ってクリスマスイブが本番みたいな感じらしくて。今日はそこまでじゃないから休んでいいって」
コポコポと音を立てて蒸留されていく薔薇の花びらを眺めながら、2人は並んで椅子に腰掛けた。
「薔薇は華やかな匂いがするけど、特にその中でもダマスクローズっていう薔薇のアロマはすごく高級で」
化粧品とかに使われていて、美容に効果的で……といつもの通り饒舌に語る花岡を、橘はじっと見つめていた。
好きなものに一生懸命で、すごく楽しそうで。花岡のこの顔が一番好きだ。
「……あの?」
「あ、ごめん」
少し不安そうな顔でこちらを見返す花岡に、橘は我に返った。――変なタイミングだけど、もういいか。
「えーっと。……誕生日おめでとう」
ちょっとだけ気恥ずかしくて、橘は差し出しながら視線を外してしまった。これじゃあいつかの花岡と同じだ。
「――え」
花岡はそう言った後、固まってしまった。あまりにも受け取られないため、不審に思った橘は意を決して花岡の方を見る。
……顔が真っ赤なのは想像がついたが、まさか泣き出しそうな表情をしているとは。
「……家族以外からプレゼントもらうの、初めてで……」
花岡の受け取る手が震えている。
「こないだ手触った時、ちょっと荒れてて痛そうだったから。で、無香料のがいいかと思って……」
渡しながら、橘は思わずゴニョゴニョと言い訳じみたことを言ってしまう。我ながら格好悪すぎる。
花岡が、そっと袋を開ける。
橘の選んだ物は、水に強く無香料のハンドクリームだった。
おそらく、実験やら香りのブレンドやらで手を洗う機会が多い花岡の手はカサついていた。
相手をよく見て想像する。丸山の言葉を、橘が自分なりにやってみた結果だ。
「……嬉しい。本当ありがとう」
――こんなに喜んでくれるなら、照れ隠しせずもっと良いものをあげれば良かったかもしれない。
泣きそうなくらいに喜んでくれる花岡を見て、橘は丸山が彼女に選んだプレゼントを思い出していた。
もし女子相手だったら、可愛い包装紙に包んでプレゼントを渡していただろうか。もし、恋人相手だったら……。
「……大したことないって」
結局、橘の口をついて出たのは無意味な謙遜だけだった。
「何であっても、自分のことを考えて選んでくれたのが一番嬉しいです」
小さなハンドクリームを大切そうに抱える花岡に、橘は思わず目を細める。何故か、薔薇の香りを一層強く感じた。