「おにぎり型とかの道具で作ったんですか? 素手で握ったんですか? ラップ越しですか? 強さは? 8キログラム重くらいですか? 塩の量は? 精製塩ですか? 天然塩? あ、ひょっとして再製加工塩?」
青年の剣幕に驚いて、柚月は座ったまま後ずさる。
「あ、す、すみません」
身を縮めた青年の腹がまた、きゅるる、と鳴った。青年はさらに背中を丸めて、すみません、と繰り返す。柚月は頬を緩めた。
「もっといかがですか? ご覧のとおりたくさんありますし」
「いえあの、どなたかの分では?」
「そうだったんですけど。キャンセルされちゃったのでお気遣いなく」
青年は「ですが、その」としばらく遠慮していたものの、よほど空腹だったのだろう、おずおずとおにぎりへ手を伸ばした。タラコのおにぎりだ。白ゴマを混ぜたご飯の中に焼いタラコをゴロゴロ入れたものだ。
これまた青年はひと口頬張ると口をへの字にして身もだえた。
「──うまいです」
「よかった。しょっぱかったかと思いました」
「絶妙な塩加減です。ゴマの風味も焼きタラコとよく合っている。そしてなによりご飯のふんわり加減が最高です」
それから、と続けようとして語りすぎと気づいたのか、青年は「あ、えっと、とにかく、めちゃくちゃうまいです」と言葉を閉じた。
「そんなにお腹が空いてらっしゃったんですか? それともなにか、おにぎりに大切な思い出とか?」
え、と青年はタラコおにぎりから口を離す。
「特に強い思い出はありません。うーん、そういえば、おにぎりを作ってもらった記憶がないですねえ」
「え? お母様にも?」
声に出して、しまった、と口を閉じる。
ウチみたいにひょっとしてお母さんがいないご家庭かも。いらしてもなにか事情があるとか。
けれど青年はあっけらかんと「買う派だったんです」と続けた。
「幼稚園のときも小学校の遠足も市販品でした。コンビニで手軽に買えますから。両親は仕事で忙しくしていまして」
そういうことか。ホッとする。
それにしてもおにぎりの反応が大げさだ。青年は神妙な顔つきでタラコおにぎりを頬張っていく。最後に指についた米粒も大切そうに舐めとった。さらには余韻を味わうように目を閉じている。
やがて目を開けた青年は、大真面目な顔で柚月に告げた。
「いきなりこんなことをお聞きするのは不躾だと承知していますが」
え? ……なんだろう。身構える。
「おにぎりのレシピを教えていただけないでしょうか」
「は? レシピもなにも、ただ握っただけです」
「ラップ越しですか? 素手ですか」
「えっと、あの」
「塩の分量はどれくらいですか。どれくらいの力加減で、何回握って仕上げますか」
さきほどの質問項目、最初から開始だ。
今度は青年も引くつもりはなさそうで、柚月が答えるのをじっと待っていた。
仕方なく「素手です」とか、「三回握ってカタチを決めようとしていますけど、五回くらいになるかも」とか、「お米は道産米の『ふっくりんこ』です」と、ざっくばらんに伝えていく。
青年は満足そうにうなずきつつスマートフォンへそれを入力していく。
「大変参考になりました。ありがとうございます」とホクホク顔で柚月へ頭をさげる。「よかったです」と返しながら悶々とした気持になる。
……どうしてこんなにおにぎりにこだわるの? わたしのコメントを聞いてどうするの? なにに使うつもりなの?
けれど結局どれも言葉にすることはできず、「もっとお弁当をいかがですか?」と声を出していた。
「おにぎりだけじゃなくて、ポテトサラダやザンギもよかったら」
「いいんですか?」と青年は目を輝かせる。
ホッとする。どうやらおにぎり以外にも興味がある一般的な青年のようだ。
「この玉子焼き、甘くておいしいですね」
「中途半端に甘いよりガツンと甘い玉子焼きが好きで。祖母がよく作ってくれたんです」
「素敵なおばあ様ですね。淡い味付けもいいですが、弁当にはめりはりのある味付けのほうが僕も好きです」
そこまでいって青年はハッと顔をあげる。
「ひょっとして、これはお付き合いされている方と召しあがるご予定だったのでは?」
はいっ? と声が裏返る。
「ち、違います。父です。父と食べる予定で。あ、うちは父と二人暮らしで。お付き合いしている方なんていませんし」
わたし、なにをいっているのかな。かあっと顔が熱くなる。
青年も余計なことを口走ったと思ったのか、「あの、その、僕もいませんし」と聞かれもしないことを口にしていた。
互いに目を泳がせて、その視線がぶつかり合う。
あまりの気まずさに思わず笑いが込みあげた。あはは、と二人して声をあげて笑った。なんだかすうっと肩の力が抜けた。
青年が柔らかい笑みを向けた。
「いい場所ですね。近所に住んでいるのに、こんな場所があるなんてぜんぜん知りませんでした」
「はじめて天陣山へいらしたんですか?」
「春先にこちらへ越してきたんですけど、仕事が忙しくてなかなか機会に恵まれなくて」
笑っていた青年が不意に「あ」とジーンズに手をやった。ポケットからスマートフォンを取り出す。着信があったらしい。
それを取り出し液晶画面へ目をやると、青年はみるみる元気がなくなっていく。
「……仕事が入りました」
「お忙しいんですね」
はあ、と小さく返事をして軽く息を吸うと、青年は柚月へ笑みを向けた。
「久々に充実した休みになりました。これほど心底おにぎりがおいしいと思ったことはなかった。貴重なお話もうかがえました。ありがとうございました」
「そんな。褒めすぎです」
「なにかお礼をしたいのですがあいにく手ぶらでして」
「気になさらないでください。わたしもお弁当を食べきれないところでした」
「そういっていただけるとありがたいのですが」と青年は申し訳なさそうな顔になる。
そうこうするうちにも青年のスマートフォンがまた鳴りはじめた。青年は眉をさげてそれを操作し、柚月へ再度頭をさげる。
「本当にありがとうございました。とてもおいしかったです」
立ちあがって、ごちそうさまでした、と腰を折る。青年は荷物を取りに坂をのぼっていく途中も何度か振り返り、律儀に頭をさげていく。
それに会釈を返しつつ笑みがこぼれる。
「変わった人だったなあ」
それに、と胸で続ける。わたし、こんなふうに見ず知らずの大人の人を呼び止めてご飯を勧めるだなんて。自分の大胆さにびっくりした。まだ胸がバクバクする。
「……ひとりピクニックをしたおかげかな?」
胸の奥から『──ワクワクした?』と祖母の声が聞こえた気がした。
うん、とほほ笑む。
楽しかった。おにぎりもあんなに褒めてくれたし、がんばって作った甲斐があった。
そういえば名前も聞かなかったな。近所に住んでいるっていっていたけど、また会えるかな? ……会えたらいいな。
ふんわりとそう思いながら柚月は残りのおにぎりへ手を伸ばした。