なにごと? と小清水と二人で顔をあげた。
 大型ワンボックスの白い車がグランドへ入ってきていた。声はその車から聞こえてくる。
 騒ぎに気づいたのだろう。沼田が背後で「なんじゃありゃ」と声をあげた。

「屋根にくっついているのは、ありゃソーラーパネルか? ソーラーEVか?」
「電気で走る車ってことかい? やたら静かな車だねえ。人の声のほうが大きいくらいっしょ」

 沼田と小清水がいいあっている間にもワンボックス車は近づいてくる。中から聞こえる声がなにやらもみ合うような口調になった。
 やがて柚月たちから少し離れた場所で停車して、後部座席から長身の男性が転がり出てきた。
 目を見張って柚月は立ちあがる。

「公武さんっ」

 見間違いない。公武だ。

 考えるより早く駆け出した。公武さん、公武さん、公武さん──。
 数時間ぶりに見る公武の頬も服も泥だらけだ。髪も逆立っている。いったいどれだけ大変なことがあったか──。だけど、でも、無事に戻ってきてくれた──。
 胸がいっぱいで、身体中が熱くなって、柚月は公武へ向かって力いっぱい腕を伸ばした。公武も「柚月さんっ」と姿勢を整え駆け出した。

 そのときだ。

「ちょっと待ったーッ」

 大声が聞こえたかと思ったら運転席と助手席、それに後部座席からわらわらと中高年男性が降り立った。そのまま凄まじい勢いで柚月へ向かってくる。

「え? なに?」

 戸惑ううちにも公武を突き飛ばし男性陣は柚月を取り囲む。
 そして「うわ、かわいい」、「ずるいぞ公武」、「ちょい待て、似ているだろう」、「ぐあ、えげつねえな」、「ヤバいぞ公武」とまくし立てた。背後から「止めてくださいー」と公武の声が聞こえる。

「えっと、みなさんは公武さんの会社の?」

 ポロシャツ姿のがっしりとした男性が「サッポロ・サスティナブル・テクニクス専務の松前(まつまえ)です」と手を差し出す。
「災害用チーム主任です」、「メカニカル部門主務です」、「ソーラーシステム開発チームリーダーです」、「蓄電池開発チームリーダーです」、「営業です」と次々に手を差し出してくる。たまらず柚月は身を縮ませる。

 ちょっとっ、と公武が必死で人垣をかきわけて前に出た。

「本当にやめてください。柚月さんが怯えているでしょうっ」
「おお、公武が切れた」と全員が手を引っ込める。

「なるほど本気か」、「めでたいことだ」と声が続き、「いい加減にしてくださいっ」と公武は真っ赤な顔で声を張りあげる。
 場をおさめたのは小清水だった。

「あんたたち、車を置くならもっと隅っこにしておくれよ。物資配送車の邪魔になるっしょ」
「ああすみません」と営業と名乗った人物が小清水の前へ軽やかに進む。

「どこへ停めたら大丈夫ですか?」、「え? いえいえ、怪しい者じゃありません。いわゆる炊き出しボランティアです」、「札幌市の許可はとっています。これ、許可証です」、「食品衛生責任者もいますからご心配なく。なにをするのかは楽しみにしていてくださいね~」と小清水が口を挟む余地がないほどのよどみない口調だ。

 口だけではない。

「はいはいー、ワンボックス車は東側花壇前にお願いしますー」、「手前三メートル確保しましたー。準備を進めてください―」、「はいはいー、専務、邪魔しないでー」と流れるようにほかの五名を指図していく。

「営業がデカい顔すんじゃねえよ」と荒い声をかけていたほかの社員も「足場、ここにするぞ」、「電力スタンバイ。十分待て」、「テント張った。ソーラーセッティング、やっていいぞ」、「パネル設置確認。蓄電池とのアクセス確認」と声をかけ合って手際よく作業を進めていく。

 思わず見とれていると「お騒がせしました」と柚月の隣へ公武が立った。
 我に返って公武を見る。

「ご無事でしたか? 怪我は? どこか痛めていませんか?」
「大丈夫です」と公武は柔らかくほほ笑む。

 ああ、と思う。この笑顔だ。ホッとして「……よかった」と小さい声が出る。

「ですが、その泥は?」

 ああ、と公武は服に付いた泥を払う。

「道路はどこも地震被害がありまして。なんども転んだもので。やはり乙部先生のようなガッシリとした自転車じゃないとこういうときは駄目ですね。最後にはチェーンが切れてしまいまして」
「えっ」
「陽翔くんが海で自転車を引いて歩いていた大変さもわかりました。なかなかの心細さでした。そんなとき、あなたの顔が思い浮かびました。僕もがんばらなくちゃと力が湧きました」

 ありがとうございました、と公武は目を細める。「そんな」と柚月は首を振る。わたしこそ、どれだけ公武さんの笑顔に救われているか。

「やっとの思いで会社までたどり着くと、今回の炊き出しメンバーの中で僕が最後でして。遅いとさんざんなじられて、今すぐ出るぞと。うちの社員は機動力だけはあるので。僕は会社へ到着して五分で後部座席へ乗せられてここへやってきた、というわけです」
「五分っ?」
「行きは一時間半で、帰りは十五分でした」

 顔を見合わせてプッと噴き出す。
「公武―」と声が飛んだ。「いつまでも楽しそうに笑ってんなや、ゴラ。仕事しろっ」と社員全員の声がする。
 公武は首をすくめて「そうだ」と明るい顔を柚月へ向ける。

「米も手に入れたんです。無洗米三十キロ袋が、えっと、何袋だったかな? 五袋以上あったはずです。これでたくさんおにぎりを作れます」

「もっとあるぞ。社へ戻ればまだまだあるぞお」と災害用チーム主任が補足する。聞き耳を立てていたらしい。
「わあ、すごいです」と柚月は両手を合わせる。

 そのとき小清水が「ちょいと待ちなよ」と冷静な声を出した。

「どうやってそんなにたくさんの米を炊くんだい? あんたたち、デカい釜とか持ってきたのかい?」

 柚月は公武へ顔を向ける。
 それはですね、と声が続くのを期待した。だがしかし──。

 え? と公武は目をしばたたいていた。