かつて北海道の胆振東部でマグニチュード6.7の地震があり、北海道全域で停電になったときだ。
道民が愛するコンビニエンスストア・ダイセイコウマート。略してダイセイコマ。
そこが各店舗のガス窯で米を炊いてその場でおにぎりを作り、被災者へ振舞った出来事があった。
大振りのおにぎりは来道して被災した観光客へもいき渡り、人々は感動のあまり「北海道にダイセイコマあり」と拳を突きあげたという。
まだ存命だった祖母も「ダイセイコマは偉いねえ。北海道の誇りだねえ」と嬉しそうにしていたのをいまでも柚月は思い出す。
それはつまり、と公武へ首をかしげた。
「ダイセイコマと同じことをしようと? あ、そっか、公武さんは本州の方でしたね。わたしがいいたかったのは──」
「わかります。北海道が全域で停電、ブラックアウトになったことはニュースで見て覚えています。とんでもないことになったなと思いました。そんなときになんて臨機応変な対応ができるコンビニなんだろうとも強く思いました」
「そうなんです。すごいんです」と柚月までなんだか誇らしい。
「ダイセイコマのことです。今回もがんばってくれると思います。それはダイセイコマのスタッフへお願いするとして、僕がやりたいのはちょっと違います。僕たちには『おにぎりん』があります」
「『おにぎりん』?」
「柚月さんにたっぷりと改良アイデアをいただいていたおにぎりロボットです」
ああ、と柚月は声をあげる。『おにぎりん』っていう名前なんだ。かわゆい。
「ロボットですから疲労することはありませんし、おにぎりの量産もできます。ご承知のとおり味はまだ開発段階です。けれど販売目的でなければ問題にはならないクオリティです」
えっと、あの、と柚月は視線を泳がせる。盛りあがっている公武に水を差すのは気がとがめた。そっと遠慮がちに声を出す。
「……ロボットなら、電気が必要ですよね。たくさんおにぎりを作るのなら、なおさらたくさん。この避難所でそこまでの電気を融通してもらえるかどうか」
発電所の稼働再開の見通しは立っていない。避難所の電力は自家発電でなんとかしのいでいた。
巌がおいていったソーラー充電器もあったが、自分のスマートフォンの充電に使うくらいでまだ使いこなせていない。
ところがだ。
公武は「それです」と目を輝かせた。
「うちの災害用チームが開発したばかりのパワフルな蓄電池があります。先日、僕も三日くらいほぼ徹夜で制御プログラムを作らされて、柚月さんとのおにぎり会ができなかった、そのときの蓄電池です。その試作品と合わせて別チームが開発中のソーラーシステムを使えば、『おにぎりん』を問題なく稼働させられるはずです」
しかも、と公武は口角をあげる。
「『おにぎりん』は小規模店の店頭に設置することも想定していまして、小型なんです。屋外でのデモンストレーションも想定していました。僕のプログラムが仕上がるのを待っている状態でした」
ああそうだ、と思い出す。
天陣山で公武さんから物理を教わったあのとき、そういう話を聞いたっけ。確かおにぎりをふんわりと握るのに再生可能エネルギーを使うっていっていた。もとから再生可能エネルギーで動くロボットなら使用電力の問題はないだろう。
アイデアをまくしたてる公武を見ていると、なんだか柚月までワクワクしてきた。
その公武が「ですが」と不意に言葉を切って気弱な顔になった。
「どれもこれも開発中の商品です。持ち出しの許可がおりなければはじまりません。まずは会社へいってみるしかありませんし──」
「どうしました?」
公武は答えず、小さくうめく。苦しそうな顔つきだ。「公武さん?」とうながすと、ようやく公武は低い声を出した。
「あなたを、ひとりにしてしまいます」
へ? と目を丸くする。公武は真剣な面持ちだ。あ、と柚月はあわてて笑顔を作った。
「大丈夫です。小清水さんたちもいます。することは山ほどあるのは公武さんもご存知でしょう? 父からもときどき連絡がありますし、うん……大丈夫。なんとかやっていけます」
「ですが心配です」
重ねていわれて言葉に詰まる。
……そんなふうにいわれると、甘えてしまいそうになる。ひとりになったら淋しい。そう口にしてしまいそうだ。でも──。拳を握って顔をあげた。
「わたしも『おにぎりん』を見てみたいです。公武さんが寝ても覚めても考えているロボットなんですよね。すごい情熱だなあって、いつも思っていました」
「──柚月さん」
「わたしだってこの一か月ちょっと、関わらせていただいていました。『おにぎりん』が動くところを見たいです。それに公武さん、やってみたいんですよね? 公武さんの『おにぎりん』はこの避難所で救世主になるかもしれません」
「いえ、そこまでは」
「自信がないんですか?」
わざといたずらっぽい声を出してみせた。そこでようやく公武は笑顔になる。
「あります」
「ほら」と柚月も笑顔になる。
「わたしもおにぎりを握って、ここで共演できたら素敵ですよね」
みるみる公武の顔が緩み「──それ、最高ですね」と柚月の手を取った。
「それって『おにぎりん』にとって、これまでの試行錯誤の集大成みたいなもんですよ。うわ、どうしよう。めちゃくちゃドキドキしてきましたよ」
見ると本当に公武の腕に鳥肌が立っている。「ああもう、柚月さん、あなたって人は、けしかけるのまでお上手です」と顔をくしゃくしゃにした。
それから柚月へ小さくうなずくとスマートフォンを手に取る。
「実はこれ、会社から支給されている非常時に直接通信衛星へつなげられる機種なんです。上司とうまくつながるといいんですが」
いいつつ操作をしていた公武が「うわ、はい」と声をあげた。予想外にすぐにつながったらしい。
震災状況連絡をして「『おにぎりん』を」といったあとが早かった。
「本当ですか?」、「へ? ですけど」、「ああはい、もちろんです、やります」と短いやり取りになる。通話を終えた公武が面食らったような顔を柚月へ向けた。
「いますぐ出社することになりました」
「え? 話が早いですね」
「実はもう、結構な数の社員が出社しているとのことで。僕は出遅れたくらいでした。電話口で災害用チームの社員の掛け声が響いていました」
「すごい。それで会社へはどうやって?」
「一度自宅へ戻って自転車で。会社は中央区なんですが地下鉄は止まっていますし道路状況もわかりません。小回りの利く自転車を使うほうが車より都合がよさそうです」
小さくうなずいていると「柚月さん」と強く呼びかけられた。
「かならず一日で戻ります。それまでお願いですから無理をしないでください。あなたはすぐに無茶をするから」
「そんなにわたしは無茶をしていましたか?」
「自覚がなかったんですか? あなたは本当に──いつもがんばりすぎです」
切実な声だった。胸の奥がびりっと震える。まずい。また泣きそう。それをこらえて顔をあげる。
「公武さんもです。無茶をして怪我をしたら嫌です」
公武が柚月の目をしっかりと見る。そして唇をむすんで公武は二度、三度と大きくうなずいた。
道民が愛するコンビニエンスストア・ダイセイコウマート。略してダイセイコマ。
そこが各店舗のガス窯で米を炊いてその場でおにぎりを作り、被災者へ振舞った出来事があった。
大振りのおにぎりは来道して被災した観光客へもいき渡り、人々は感動のあまり「北海道にダイセイコマあり」と拳を突きあげたという。
まだ存命だった祖母も「ダイセイコマは偉いねえ。北海道の誇りだねえ」と嬉しそうにしていたのをいまでも柚月は思い出す。
それはつまり、と公武へ首をかしげた。
「ダイセイコマと同じことをしようと? あ、そっか、公武さんは本州の方でしたね。わたしがいいたかったのは──」
「わかります。北海道が全域で停電、ブラックアウトになったことはニュースで見て覚えています。とんでもないことになったなと思いました。そんなときになんて臨機応変な対応ができるコンビニなんだろうとも強く思いました」
「そうなんです。すごいんです」と柚月までなんだか誇らしい。
「ダイセイコマのことです。今回もがんばってくれると思います。それはダイセイコマのスタッフへお願いするとして、僕がやりたいのはちょっと違います。僕たちには『おにぎりん』があります」
「『おにぎりん』?」
「柚月さんにたっぷりと改良アイデアをいただいていたおにぎりロボットです」
ああ、と柚月は声をあげる。『おにぎりん』っていう名前なんだ。かわゆい。
「ロボットですから疲労することはありませんし、おにぎりの量産もできます。ご承知のとおり味はまだ開発段階です。けれど販売目的でなければ問題にはならないクオリティです」
えっと、あの、と柚月は視線を泳がせる。盛りあがっている公武に水を差すのは気がとがめた。そっと遠慮がちに声を出す。
「……ロボットなら、電気が必要ですよね。たくさんおにぎりを作るのなら、なおさらたくさん。この避難所でそこまでの電気を融通してもらえるかどうか」
発電所の稼働再開の見通しは立っていない。避難所の電力は自家発電でなんとかしのいでいた。
巌がおいていったソーラー充電器もあったが、自分のスマートフォンの充電に使うくらいでまだ使いこなせていない。
ところがだ。
公武は「それです」と目を輝かせた。
「うちの災害用チームが開発したばかりのパワフルな蓄電池があります。先日、僕も三日くらいほぼ徹夜で制御プログラムを作らされて、柚月さんとのおにぎり会ができなかった、そのときの蓄電池です。その試作品と合わせて別チームが開発中のソーラーシステムを使えば、『おにぎりん』を問題なく稼働させられるはずです」
しかも、と公武は口角をあげる。
「『おにぎりん』は小規模店の店頭に設置することも想定していまして、小型なんです。屋外でのデモンストレーションも想定していました。僕のプログラムが仕上がるのを待っている状態でした」
ああそうだ、と思い出す。
天陣山で公武さんから物理を教わったあのとき、そういう話を聞いたっけ。確かおにぎりをふんわりと握るのに再生可能エネルギーを使うっていっていた。もとから再生可能エネルギーで動くロボットなら使用電力の問題はないだろう。
アイデアをまくしたてる公武を見ていると、なんだか柚月までワクワクしてきた。
その公武が「ですが」と不意に言葉を切って気弱な顔になった。
「どれもこれも開発中の商品です。持ち出しの許可がおりなければはじまりません。まずは会社へいってみるしかありませんし──」
「どうしました?」
公武は答えず、小さくうめく。苦しそうな顔つきだ。「公武さん?」とうながすと、ようやく公武は低い声を出した。
「あなたを、ひとりにしてしまいます」
へ? と目を丸くする。公武は真剣な面持ちだ。あ、と柚月はあわてて笑顔を作った。
「大丈夫です。小清水さんたちもいます。することは山ほどあるのは公武さんもご存知でしょう? 父からもときどき連絡がありますし、うん……大丈夫。なんとかやっていけます」
「ですが心配です」
重ねていわれて言葉に詰まる。
……そんなふうにいわれると、甘えてしまいそうになる。ひとりになったら淋しい。そう口にしてしまいそうだ。でも──。拳を握って顔をあげた。
「わたしも『おにぎりん』を見てみたいです。公武さんが寝ても覚めても考えているロボットなんですよね。すごい情熱だなあって、いつも思っていました」
「──柚月さん」
「わたしだってこの一か月ちょっと、関わらせていただいていました。『おにぎりん』が動くところを見たいです。それに公武さん、やってみたいんですよね? 公武さんの『おにぎりん』はこの避難所で救世主になるかもしれません」
「いえ、そこまでは」
「自信がないんですか?」
わざといたずらっぽい声を出してみせた。そこでようやく公武は笑顔になる。
「あります」
「ほら」と柚月も笑顔になる。
「わたしもおにぎりを握って、ここで共演できたら素敵ですよね」
みるみる公武の顔が緩み「──それ、最高ですね」と柚月の手を取った。
「それって『おにぎりん』にとって、これまでの試行錯誤の集大成みたいなもんですよ。うわ、どうしよう。めちゃくちゃドキドキしてきましたよ」
見ると本当に公武の腕に鳥肌が立っている。「ああもう、柚月さん、あなたって人は、けしかけるのまでお上手です」と顔をくしゃくしゃにした。
それから柚月へ小さくうなずくとスマートフォンを手に取る。
「実はこれ、会社から支給されている非常時に直接通信衛星へつなげられる機種なんです。上司とうまくつながるといいんですが」
いいつつ操作をしていた公武が「うわ、はい」と声をあげた。予想外にすぐにつながったらしい。
震災状況連絡をして「『おにぎりん』を」といったあとが早かった。
「本当ですか?」、「へ? ですけど」、「ああはい、もちろんです、やります」と短いやり取りになる。通話を終えた公武が面食らったような顔を柚月へ向けた。
「いますぐ出社することになりました」
「え? 話が早いですね」
「実はもう、結構な数の社員が出社しているとのことで。僕は出遅れたくらいでした。電話口で災害用チームの社員の掛け声が響いていました」
「すごい。それで会社へはどうやって?」
「一度自宅へ戻って自転車で。会社は中央区なんですが地下鉄は止まっていますし道路状況もわかりません。小回りの利く自転車を使うほうが車より都合がよさそうです」
小さくうなずいていると「柚月さん」と強く呼びかけられた。
「かならず一日で戻ります。それまでお願いですから無理をしないでください。あなたはすぐに無茶をするから」
「そんなにわたしは無茶をしていましたか?」
「自覚がなかったんですか? あなたは本当に──いつもがんばりすぎです」
切実な声だった。胸の奥がびりっと震える。まずい。また泣きそう。それをこらえて顔をあげる。
「公武さんもです。無茶をして怪我をしたら嫌です」
公武が柚月の目をしっかりと見る。そして唇をむすんで公武は二度、三度と大きくうなずいた。