──本州以南においてマグニチュード9.1等の地震が発生。
このニュースは巌の予想どおり、昼過ぎに道庁から避難所へ連絡が入った。
掲示板へ貼り出された地震情報を前にして、ざわめきや悲鳴が避難所へ広がった。
噂ではない公的な情報だ。これからの生活をあきらめる声や現状をヒステリックに叫ぶ声が飛び交う。
その中、柚月は公武にうながされてグランドへ出た。
「柚月さん。僕たちの立場を再認識しませんか? これは僕自身が揺らがないためでもあるんですが。僕たちはただの協力者です」
ハッとする。
「市の職員や町内会役員の人たちのように、感情的になった避難者からの問い合わせに対応したら、さらに期待されるし、なんの権限もないくせにと反感も買います」
ですから、と公武は続ける。
「僕たちは作業を進めるだけに徹しましょう。本州がどうなっているにしろ、多くの人が生活するこの避難所の機能を停止させるわけにはいきません」
力強くいいきる公武に息をのむ。公武さんこそご実家の様子が気になるはずなのに。公武の気持ちを思って柚月は「はい」と神妙にうなずく。
そして次から次へと道庁と市役所から避難所運営について連絡が入った。
避難所が短期間で閉所する見込みがなくなって、まさにサスティナブル、持続可能な避難所生活仕様へ変更だ。
運営チームも再編だ。
復興支援作業のため役場へ戻る区役所職員に替わって、避難者が避難所の運営をすることになった。
受け身だった避難者の表情が少しずつ変わっていく。他人事ではなくなったからか、柚月へ舌打ちする避難者はいなくなった。
それはありがたいのだが、道庁や市役所がより災害復興対策へ集中するようになったので、巌も道庁へ詰めっきりだ。電話でやり取りをするくらいで、父の顔を見ない日々が続いていく。
仁奈と亜里沙からの連絡が届いたのは、そんなときだった。
昼ご飯の準備のためにグランドと体育館を往復していると、サコッシュの中のスマートフォンが振動した。
あわてて取り出すと、SNSの受信表示があった。仁奈と亜里沙からの数日前の通信がようやく届いたようだった。飛びつくように画面を開く。
『柚月、無事? ウチの部屋はもうぐしゃぐしゃだよ。本棚がひっくりかえっちゃった。避難所生活してるわ。暑くてやってらんないよね』
『あたしんとこも。窓が割れちゃったから悲惨。でも夏でよかったよねー。真冬だったら雪とかマイナス気温とかでゾッとするよ。怪我もないから心配しないで』
そして二人ともに『柚月んちを見習ってヘルメットとか買っておけばよかったよー』と続いていた。
よかったー、とスマートフォンを胸に当てる。
二人には地震直後に連絡を入れた。けれども返信がなくて心配していたのだ。通信障害があると知り、作業の合間になんども二人の無事を願っていた。
目尻に浮いた涙をぬぐって二人へ返信する。二人とのグループアカウントを閉じると、高校のアカウントからも連絡が届いているのに気づいた。『終業式中止の案内』とあった。
「そっか、終業式。忘れていたわ。えっと、本来なら昨日かな?」
校舎は避難所として活用中につき、学校活動は中止、終業式は開かずこのまま夏休みへ突入との連絡であった。安否確認フォームが続いていて、現在地の項目から避難所を選んで送信する。
その間もメッセージ受信サインが次々にあがる。今度はなにかと画面をタップして大きく目を開いた。
陽翔からだった。
『柚月、地震、大丈夫か?』とはじまり、『おれんちはもうめちゃくちゃさ。食器棚からグラスやら皿やらが飛び出して足の踏み場もない』とあった。
幸い怪我はなかったけれど、家族そろって避難所生活を送っているとあった。『それがかえって助かった』と続いている。
『人目がある中でおれへネチネチやるわけにはいかないでしょ。親もおとなしくなってさ。時間稼ぎになった。いい機会だから、避難所でこれからどう親と接していくか、ちゃんと考えてみる』
ホッとする。あのあと、陽翔が両親から暴力行為を受けているのではとヒヤヒヤしていた。
『阿寒さんもそこにいるんだろ? 困ったことがあったらちゃんと頼れよ』と続いていた。
どうして? と文面を読みなおす。
公武さんは陽翔くんのアカウントを知らないはず。だったら陽翔くんから公武さんへメールしてくれたってことよね。
「……よかった」
思わずその場へしゃがみ込む。ホッとして泣きそうだ。陽翔くんが公武さんを頼るって決心するまで、いったいどれだけあれこれ悩んだだろう。
だって──誰かを頼るって、怖い。
頼ってそれで──重いって思われたら? 鬱陶しいって思われたら? いま以上に傷つけられたら? ……そう思ったら怖くてとても簡単には口にできない。
だけど陽翔くんは公武さんを頼ってくれた。頼るって決心してくれたんだ。本当に陽翔くんは──強いなあ。すごいなあ。
「どうしました?」と声がした。公武が心配そうな顔で近づいてくる。柚月はあわてて立ちあがる。
「具合が悪いんですか?」
「ああいえ、陽翔くんから連絡がきたんです」
ああ、と公武が顔を緩めた。
「陽翔くん、公武さんへ連絡をしてくれたんですね。よかったって安心して。……どうぞ、よろしくお願いします」
公武はやや顔をこわばらせて苦しそうな声を出した。
「こんなふうに僕が彼に介入するのを、柚月さんが快く思われないのは承知しています。本当に僕はまったくの他人で、学校関係者ですらありませんから」
ですが、と公武は強い眼差しになる。
「彼から連絡をいただいた以上ほうり出すことはできません。連絡をもらえなくても忘れることはできなかった。あれこれ手を出していたでしょう。中途半端ができるほど器用ではないので」
ですから、となおも続けようとする公武に柚月は大きく首を振る。
「不愉快だなんて思っていません。とっても心強く思っています。さっきだって、陽翔くんが公武さんを頼ってくれたってわかって嬉しくて泣きそうになりました」
「よかった」と公武は笑みになる。その公武へ柚月はもう一度「よろしくお願いします」と頭をさげた。
「はい」とうなずいた公武が「ところで」と口調を変えた。
「このところ避難所の高齢者のみなさん、全員ではなくて一部のかたなんですけど。元気がないと思いませんか? 四日目ですからね。疲れが出てきているのかな?」
え? と背後の体育館を見る。それから空を見あげる。
今日も朝から青空が広がっていた。遠くにうっすら雲がある程度だ。天陣山のほうからはエゾハルゼミの声がシャワワワと聞こえていた。
うーん、と柚月は口元へ手を当てる。
「野菜不足──ではないですよね。昨日も近くの農家さんからトマトやキューリの差し入れがありましたし。農作物は地震に関係なくどんどん実るからって」
「ご自身も罹災されているのに、頭がさがりました」
だとしたらやっぱり、と柚月は空を見る。
「暑いですからねえ。この小学校の教室や体育館にはまだ移動式エアコンくらいしかないですし。それだって電力の問題で動いているかどうか」
「暑い?」と本州出身の公武は首をかしげる。
「日中は汗をかきましたけど、夕方になると涼しい風が吹いていましたが?」
「道民って暑さに弱いんです。二十度を超えると駄目という方も多いんですよ。小清水さんや沼田さんもつらそうにしていました。それにこの生活がしばらく続くとわかったから、余計につらくなったのかも」
明日までの我慢となればがんばれることも、いつまで続くのかわからないとなれば弱気になるものだ。
「食事もどうしてもお腹がいっぱいになればいいって感じのものですし」
「──なるほど」
「やっぱりパンとかじゃなくてご飯のほうのがいいのかなあ。せめて熱中症にならないよう、わたしもより気をつけて飲み物を勧めてみますね」
歩きかけた柚月へ公武が「柚月さん」と呼びかけた。振り返ると公武はさっきの場所に立ったままうつむいている。
どうしたんだろう。柚月が首をかしげたところで、公武が勢いよく顔をあげた。
「やりましょう」
「なにをですか?」
「おにぎりです」
「へ?」
「おにぎり大作戦ですよ」
目を輝かせて公武が力強く続けた。
「できたてのおにぎりを食べれば、元気が出ると思いませんか?」
このニュースは巌の予想どおり、昼過ぎに道庁から避難所へ連絡が入った。
掲示板へ貼り出された地震情報を前にして、ざわめきや悲鳴が避難所へ広がった。
噂ではない公的な情報だ。これからの生活をあきらめる声や現状をヒステリックに叫ぶ声が飛び交う。
その中、柚月は公武にうながされてグランドへ出た。
「柚月さん。僕たちの立場を再認識しませんか? これは僕自身が揺らがないためでもあるんですが。僕たちはただの協力者です」
ハッとする。
「市の職員や町内会役員の人たちのように、感情的になった避難者からの問い合わせに対応したら、さらに期待されるし、なんの権限もないくせにと反感も買います」
ですから、と公武は続ける。
「僕たちは作業を進めるだけに徹しましょう。本州がどうなっているにしろ、多くの人が生活するこの避難所の機能を停止させるわけにはいきません」
力強くいいきる公武に息をのむ。公武さんこそご実家の様子が気になるはずなのに。公武の気持ちを思って柚月は「はい」と神妙にうなずく。
そして次から次へと道庁と市役所から避難所運営について連絡が入った。
避難所が短期間で閉所する見込みがなくなって、まさにサスティナブル、持続可能な避難所生活仕様へ変更だ。
運営チームも再編だ。
復興支援作業のため役場へ戻る区役所職員に替わって、避難者が避難所の運営をすることになった。
受け身だった避難者の表情が少しずつ変わっていく。他人事ではなくなったからか、柚月へ舌打ちする避難者はいなくなった。
それはありがたいのだが、道庁や市役所がより災害復興対策へ集中するようになったので、巌も道庁へ詰めっきりだ。電話でやり取りをするくらいで、父の顔を見ない日々が続いていく。
仁奈と亜里沙からの連絡が届いたのは、そんなときだった。
昼ご飯の準備のためにグランドと体育館を往復していると、サコッシュの中のスマートフォンが振動した。
あわてて取り出すと、SNSの受信表示があった。仁奈と亜里沙からの数日前の通信がようやく届いたようだった。飛びつくように画面を開く。
『柚月、無事? ウチの部屋はもうぐしゃぐしゃだよ。本棚がひっくりかえっちゃった。避難所生活してるわ。暑くてやってらんないよね』
『あたしんとこも。窓が割れちゃったから悲惨。でも夏でよかったよねー。真冬だったら雪とかマイナス気温とかでゾッとするよ。怪我もないから心配しないで』
そして二人ともに『柚月んちを見習ってヘルメットとか買っておけばよかったよー』と続いていた。
よかったー、とスマートフォンを胸に当てる。
二人には地震直後に連絡を入れた。けれども返信がなくて心配していたのだ。通信障害があると知り、作業の合間になんども二人の無事を願っていた。
目尻に浮いた涙をぬぐって二人へ返信する。二人とのグループアカウントを閉じると、高校のアカウントからも連絡が届いているのに気づいた。『終業式中止の案内』とあった。
「そっか、終業式。忘れていたわ。えっと、本来なら昨日かな?」
校舎は避難所として活用中につき、学校活動は中止、終業式は開かずこのまま夏休みへ突入との連絡であった。安否確認フォームが続いていて、現在地の項目から避難所を選んで送信する。
その間もメッセージ受信サインが次々にあがる。今度はなにかと画面をタップして大きく目を開いた。
陽翔からだった。
『柚月、地震、大丈夫か?』とはじまり、『おれんちはもうめちゃくちゃさ。食器棚からグラスやら皿やらが飛び出して足の踏み場もない』とあった。
幸い怪我はなかったけれど、家族そろって避難所生活を送っているとあった。『それがかえって助かった』と続いている。
『人目がある中でおれへネチネチやるわけにはいかないでしょ。親もおとなしくなってさ。時間稼ぎになった。いい機会だから、避難所でこれからどう親と接していくか、ちゃんと考えてみる』
ホッとする。あのあと、陽翔が両親から暴力行為を受けているのではとヒヤヒヤしていた。
『阿寒さんもそこにいるんだろ? 困ったことがあったらちゃんと頼れよ』と続いていた。
どうして? と文面を読みなおす。
公武さんは陽翔くんのアカウントを知らないはず。だったら陽翔くんから公武さんへメールしてくれたってことよね。
「……よかった」
思わずその場へしゃがみ込む。ホッとして泣きそうだ。陽翔くんが公武さんを頼るって決心するまで、いったいどれだけあれこれ悩んだだろう。
だって──誰かを頼るって、怖い。
頼ってそれで──重いって思われたら? 鬱陶しいって思われたら? いま以上に傷つけられたら? ……そう思ったら怖くてとても簡単には口にできない。
だけど陽翔くんは公武さんを頼ってくれた。頼るって決心してくれたんだ。本当に陽翔くんは──強いなあ。すごいなあ。
「どうしました?」と声がした。公武が心配そうな顔で近づいてくる。柚月はあわてて立ちあがる。
「具合が悪いんですか?」
「ああいえ、陽翔くんから連絡がきたんです」
ああ、と公武が顔を緩めた。
「陽翔くん、公武さんへ連絡をしてくれたんですね。よかったって安心して。……どうぞ、よろしくお願いします」
公武はやや顔をこわばらせて苦しそうな声を出した。
「こんなふうに僕が彼に介入するのを、柚月さんが快く思われないのは承知しています。本当に僕はまったくの他人で、学校関係者ですらありませんから」
ですが、と公武は強い眼差しになる。
「彼から連絡をいただいた以上ほうり出すことはできません。連絡をもらえなくても忘れることはできなかった。あれこれ手を出していたでしょう。中途半端ができるほど器用ではないので」
ですから、となおも続けようとする公武に柚月は大きく首を振る。
「不愉快だなんて思っていません。とっても心強く思っています。さっきだって、陽翔くんが公武さんを頼ってくれたってわかって嬉しくて泣きそうになりました」
「よかった」と公武は笑みになる。その公武へ柚月はもう一度「よろしくお願いします」と頭をさげた。
「はい」とうなずいた公武が「ところで」と口調を変えた。
「このところ避難所の高齢者のみなさん、全員ではなくて一部のかたなんですけど。元気がないと思いませんか? 四日目ですからね。疲れが出てきているのかな?」
え? と背後の体育館を見る。それから空を見あげる。
今日も朝から青空が広がっていた。遠くにうっすら雲がある程度だ。天陣山のほうからはエゾハルゼミの声がシャワワワと聞こえていた。
うーん、と柚月は口元へ手を当てる。
「野菜不足──ではないですよね。昨日も近くの農家さんからトマトやキューリの差し入れがありましたし。農作物は地震に関係なくどんどん実るからって」
「ご自身も罹災されているのに、頭がさがりました」
だとしたらやっぱり、と柚月は空を見る。
「暑いですからねえ。この小学校の教室や体育館にはまだ移動式エアコンくらいしかないですし。それだって電力の問題で動いているかどうか」
「暑い?」と本州出身の公武は首をかしげる。
「日中は汗をかきましたけど、夕方になると涼しい風が吹いていましたが?」
「道民って暑さに弱いんです。二十度を超えると駄目という方も多いんですよ。小清水さんや沼田さんもつらそうにしていました。それにこの生活がしばらく続くとわかったから、余計につらくなったのかも」
明日までの我慢となればがんばれることも、いつまで続くのかわからないとなれば弱気になるものだ。
「食事もどうしてもお腹がいっぱいになればいいって感じのものですし」
「──なるほど」
「やっぱりパンとかじゃなくてご飯のほうのがいいのかなあ。せめて熱中症にならないよう、わたしもより気をつけて飲み物を勧めてみますね」
歩きかけた柚月へ公武が「柚月さん」と呼びかけた。振り返ると公武はさっきの場所に立ったままうつむいている。
どうしたんだろう。柚月が首をかしげたところで、公武が勢いよく顔をあげた。
「やりましょう」
「なにをですか?」
「おにぎりです」
「へ?」
「おにぎり大作戦ですよ」
目を輝かせて公武が力強く続けた。
「できたてのおにぎりを食べれば、元気が出ると思いませんか?」