おにぎりロボットの歴史は古い。
 大手電機メーカーをはじめベンチャー企業まで山ほどある。
 工場用だけでなく、カフェなどの店先用のおにぎり製造機も登場している。おにぎりの価格が高い海外での進出もはじまっているという。

 ──だけどさ、それって面白くないだろう?

 そう大学院の研究室で大先輩がいい出した。

 ──日本の文化であるおにぎり。それはまず、日本人をうならせてこそだろう? 違うか?

「いままでのおにぎりロボットにはない深層学習を組み込んだプログラムで握れば、日本人にも喜んでもらえるおにぎりを作れるんじゃないかと」

 それも、と阿寒は意気込んで続ける。

「従来のようなボックスの中で握ったおにぎりではなく、人の手のかたちのマシンでおにぎりを握る。『目指せヒューマンスタイル』が僕たちのプロジェクトのキャッチコピーです」
「そこであんたの出番ってわけか。専門分野だもんな」
「調べてくださったのですか?」
「娘をわけのわからん男に会わせられるか」

 阿寒は小さく頭をさげた。「だが」と巌は顎を撫でる。

「あんた、研究者としてあれだげ業績があったんだ。あんたを会社に誘ったのは、よっぽど断れねえ相手だったのか?」
「機械学習のイロハを教えてくださった方です。僕は研究者ではありましたが商用開発にはまったくの素人で。試行錯誤に明け暮れる毎日です」

 ふうん、と巌は低く鼻を鳴らす。よくわからないけれど、そっか、と柚月はあらためて阿寒のおにぎりを見た。

「先週のおにぎりはもっと固かったんですか?」
「え? ああはい。今回のおにぎりは前回の半分程度のキログラム重で握りました」

 キログラム重。握力の単位だ。

「そっか。ロボットが握るために数値の入力が必要だったんですね。それに前のは転がっても崩れないくらいに硬かったんですね」

 柚月が感心していると、「よし、わかった」と巌が両手で自分の膝を叩いた。

「柚月、お前、しっかり手伝ってやれ」
「へ? いいの?」
「ありがとうございますっ」
「ただし柚月に妙な真似をするなよ。二人で会うのは公共の場だ。線引きはきっちりしろ。いいな」
「もちろんです」
「それから相談会があったあと、必ず俺へレポートを出せ。メールでいい。企業機密もあるだろうから、そのへんは濁していい。だけど手は抜くな」
「はい」
「ついでに柚月の様子も加えろ。元気があるとかないとか、顔色がいつもとどう違うかとか」
「お父さん、それレポートじゃないから。父愛が暴走しているから」
「いいじゃねえかよ。毎回ボイスレコーダー使ってほしいくらいだわー」と巌は甘えた声を出す。
「大丈夫です。お嬢様には僕が責任をもって対応させていただきます。なんらかの事情で遅くなることがあったとしても、ちゃんとご自宅までお送りします。お嬢様は、僕が守ります」
「──最後のくだり、なんか気に食わねえ」

 それから、と阿寒はかしこまる。

「お嬢様にお願いがあります」
「この上まだなんかあんのかよ」
「お父さん」と柚月は巌の膝を叩く。
「大変申し訳ないのですが、僕のことを下の名前で呼んではいただけませんか?」

 はあ? と柚月より早く巌が顔をしかめる。

「ふざけるな。会ったばかりの男の下の名前なんて呼ばせられるか」
「おっしゃるとおりなんですが、そこをどうか。苗字を連呼されると駄目出しをされているようで。社内でも苗字ではなく名前を呼んでもらっています。メンタルが弱くて申し訳ありません」

 阿寒──あかん。いわずとしれた関西では否定語である。

「そんな提案をしてくるやつの、どのメンタルが弱いんだよ」

 こらえきれず柚月はクスクスと笑い声をあげた。そっか。こんなにすごい人でも気弱になるんだ。安心する。

「いいですよ。えっと、『公武さん』でいいですか?」

「おい」とあわてる巌に「お父さんはちょっと黙っていて。話が進まないでしょう」と低い声を出す。しゅんとする巌を気づかいつつ公武は「助かります」と頭をさげた。

「でしたらわたしも下の名前で呼んでください。苗字だと父かわたしか、わかりにくいですし」

「確かに」とうなずく公武の隣で「なにいってんだ」と巌が声を裏返す。

「それは馴れ馴れしいだろう。わかりにくいっつうなら乙部(むすめ)でいいじゃねえか」
「変だから」

「だけどよ」と食いさがる巌をジロリと睨む。「ああもうくそ」と巌は悔しそうに顔をそむけた。公武は笑いをこらえるように咳払いをして柚月へ姿勢を正した。

「早速ですが来週の日曜もお付き合いいただけますか? 今日のおにぎりを参考に調整したおにぎりを持参します。時間と場所は今日と同じでどうでしょう」
「大丈夫です」

「よかったー」と公武の表情がようやく緩む。そんな公武に「もっとお弁当を食べてください」と弁当箱を差し出した。

 よっぽどホッとしたのだろう。
 公武は磯辺とり天に甘い玉子焼きをもりもり口へ運んでいく。
 最後のひとつだった柚月のおにぎりを手に取って、巌が「あ」と声をだしたところで我に返ったらしい。
「すみません」とおにぎりを戻そうとする公武へ巌は「いい、いい」と声を出す。

「もう手に取っちまったんだからさ。食え」
「すみません。──今日のことが心配で昨日からろくに食べていなかったもので。自分でも妙なお願いをするとわかっていましたし、理解していただけるかどうかと不安でして」

「まあなあ」、「そうねえ」と巌と柚月はそろって苦笑する。こういう事情があったとは思ってもみなかった。公武は姿勢を正すと、真剣な面持ちになって丁寧に頭をさげた。

「どうぞ今後ともよろしくお願いいたします」
「お、おお」

 公武の折り目正しさに巌が怯む。そんな父を見るのは久々だ。なんていうか、と柚月の頬に笑みが浮かぶ。
 公武さんって武士みたいな人だなあ。