☆霞side☆
タイヤのついた小さな箱に、俺を毛嫌いしている幼なじみと二人きり。
あっ、運転手さんも入れたら三人か。
先にバスに乗り込んだ輝星は、俺から逃げるように前方の一人席に腰を下ろした。
俺が一番後ろの席に座ったのは、バスの重量バランスを考えてというわけではない。
今は特に輝星の顔を見たくない。
きっとニマニマ微笑んでいるに違いないんだ。
調理室で親友の流瑠さんとキスをしてから、そんなに時間がたっていないんだから。
進みだしたバスが、俺の記憶脳を揺らしたせいだろう。
二度と思い返したくないほどの衝撃映像が、脳内で再生されてしまった。
わかっている。
輝星の特別はもう俺じゃない。
同じクラスの鈴木流瑠さん。
中学に上がる前、輝星を拒絶したのはこの俺だ。
今も他人のふりを続け、目を合わせないようにしている。
全部自分の蒔いた種。
自業自得。
輝星は何も悪くない。
出会った時からずっと俺だけが悪い。
そのことはちゃんとわかってはいるはずなのに。
ふつふつと怒りが湧き、血が頭にのぼっていく。
二人のキスシーンを頭から追い出したいと髪をかきむしっても、よけいに色濃く脳に刻まれるだけ。
心を救う方法なんて、一つも見当たらなくて。
俺だけの輝星だったのに……中学に入る前までは……間違いなく……
荒れる心拍を落ちつけたくて、バスの背もたれに左腕と左頬を押し当てた。
あごの角度を上げ、涙の雫のようにはかなげに浮かぶ細い月をぼんやりと見つめる。
部活中、調理室でアクションを起こしたのは、輝星ではなく流瑠さんの方だった。
ポニーテールを大振りさせながら、流瑠さんは勢いよく上半身を傾け輝星にキス。
遠かったし角度的にも唇同士が触れ合うところまでは見えなかった。
でもキスをしたのは間違いない。
だって二人の体が離れた直後、おでこに手を当てた輝星が嬉しそうに微笑んでいたんだから。
何をするのと流瑠さんをとがめるわけでもなく、他の部員に見られて恥ずかしいと、その場から逃げ去るわけでもなし。
唇を重ね合う行為が二人にとって当たり前であるかのように、微笑みながら愛おしそうに流瑠さんを見つめていて。
二人が付き合っているというウワサは、本当だったんだ……
隕石が脳天を直撃したような衝撃と絶望に、俺は手に持っていたボールを落としてしまった。
『どうした霞、ラケットの振りすぎで握力消えたんじゃねーの?』
奏多がイヒヒと笑いながら拾い上げたボールを俺の背中に投げつけてきたけれど、いつものよそいき笑顔が作れなかった。
余裕のない引きつり笑いしか返せなくて。
隣のコートで練習をしていた女子テニス部員も、輝星たちのキスを見てしまったようだ。
はしゃぎ具合は、まるで芸能人カップルのイチャつきを目の当たりにした時のよう。
「ねぇ見た? 輝星先輩と流瑠先輩がキスしてたとこ」
「見た見た、流れ星カプがついに誕生ってことでいいんだよね」
「このカプ押してる子たち、学年関係なく結構いるって聞いたよ」
「わかる~、二人とも後輩のうちらにまで優しいしさ」
「付き合ってるか聞かれて否定してたらしいから、くっついたのは最近かな」
「どっちから告白したんだろう。テラセ先輩? ルル先輩?」
「姉御肌っぽいし流瑠先輩からじゃない?」
「ウルウルお目目の上目遣いで、甘えるように輝星先輩から告白されたら、嬉しくて流瑠先輩が泣いちゃいそう」
「でもさでもさ、どっちからの告白の妄想もおいしいよね!」
キャーキャー声をあげる女子たちが、僕のすぐ近くで飛び跳ねていたから
――誰から見ても、輝星と流瑠さんはお似合いなんだな……
心が悲しみ色に侵食されてしまった俺は、ラケットを握る手に力が入らなくなってしまったんだ。