アハハと楽しそうな声に重なるのは、自転車を引く音。
地面を擦る足音。しかも足音は二人分。
笑い声で身元がわれた。
ゾッとなった僕は、上半身しか隠すことができないバス停に右腕をくっつけ、一体化を図り息をひそめる。
どうしよう、奏多くんと霞くんがこっちに来るよ。
暗がりだからまだ二人は僕の存在に気づいていないことだけが救いだけど、時間の問題だよね。
「行ってみたい、カスミん家」とぼやいた奏多君に、「今度ね」と霞くんが了承した。
「カスミが飼ってる犬、ポメラニアンだっけ? 白の」
「茶色だよ。毛がふわふわなの」
「俺のひざを寝床がわりに提供したら、茶ポメ喜ぶか?」
「どうだろう。奏多の太もも、筋肉で固そうだし」
「わしゃわしゃ撫でてやったら、俺に懐かせられる自信しかない」
「フフフ、変な日本語。奏多は握力が半端ないんだから優しくね、怖がらせないでよ」
二人の仲良さげな声を聞かされている僕。
聞かされているという言葉は違うか。
隠れている僕の耳が勝手に取得しているだけだし。
冗談を言い合える関係がうらやましいよ。
僕も小学校のころまでは、霞くんの発言におどけていたんだ。
僕が冗談を飛ばしながら笑うたび
「輝星かわいい」「ほんと好き」「ずっと一緒にいて」「俺のそばから離れないで」と、独占欲丸出しの霞くんが、僕の頭を撫でてくれてばかりだったけれど……
はぁぁぁ、幸せな頃を思い出すのはやめなきゃ。
余計にメンタルが闇に落ちちゃう。
二人の楽しげな声を遮断したくて耳をふさいではみたものの、僕の聴覚は心とは裏腹だ。
大好きな人の声を一言ももらさず聞き取ろうと敏感になっているから困りもの。
「カスミはガキの頃から犬好きだったわけ?」
「飼いだしたのは中学に入ってから。ペットショップで一目ぼれをしたんだ」
「親は反対しなかったのか?」
「どうしても飼いたくてね。勉強を頑張るからって言ったらOKが出た」
「だからオマエ、テストで学年1位キープしてんのな。まぁカスミに可愛がられてるなら、その茶ポメはお姫様気分を味わい放題なんだろけど。オマエLOVEの高校の女子たちの耳に入ったら、その茶ポメは嫉妬でいびられるぞ」
「そんな酷いことをする人なんてうちの高校にいないよ。あと名前があるから。かぐや」
「やっぱり姫って」
「別に昔話からとったわけじゃないし」
「光ってた竹を日本刀でスパッと切ったら、赤ちゃんが出てきたてきな?」
「聞いてた? うちのかぐやとはペットショップで出会ったって言ったでしょ」
「月からの使者がカスミの家に来たことないわけ? 今まで姫が世話になった、月に連れ帰る的な」
「かぐやがいない生活なんて考えられないよ。縁起でもないこと言うのやめて」
「お犬様にどんだけ愛情与えてんだよ。それ俺に向けろや、マジで」
豪快な笑い声に、クスクスと上品な笑い声が混ざり合う。
なんて耳に贅沢なハーモニーなんだろう。
雲間から顔を出した月が、高音と低音の美声に酔いしれ聞きほれているよう。
でも僕は違う。
はっきり言って不快だ。
不協和音を聞かされた直後のような痛苦しさで、心臓が締め付けられてしまうんだ。
嫉妬で苦しい今こそ思い込まなきゃ。
僕の中で霞くんと奏多くんが推しカプなんだ。
美形で尊くてお似合いなんだって。
僕がバス停の後ろに隠れているってバレたら、二人だけの世界に水を差してしまうのではと焦りにかられる。
これ以上霞くんに嫌われたくないから、死活問題。
お月さま、今日だけ僕の願いを叶えて。
バスよ早く来て、僕が見つかる前に。
早く早く、秒で到着して!
「あっ、あいつって」
月への必死な願いは届かなかったと、奏多くんの驚き声で知る。
闇に響いていた二人の足音が消えた。
僕は顔を上げられない。
右腕の傷跡を霞くんに見られないようにと、まくっていた袖を手の甲まで急いで伸ばす。
バス停になりきりたくて、透明人間になりたくて、さらに時刻表に体をくっつけるも無意味でしかなくて、空しくて。
「バス停の横に立ってるの、カスミと同じクラスの奴だよな? 調理部の。名前は確か……」
「萌黄くんだよ」
もう名前では呼んでくれないのか……
人物の特定までされてしまい、僕はゆっくりとバス停から顔だけを出した。
もちろん得意の作り笑顔を顔に張りつけて。
離れたところに立つ二人に向かって、ゆるふわ髪が弾むほどオーバーに頭を下げ、すぐさま顔をバス停で隠す。
心臓がドギマギする。
悪いことをして隠れている気分だ。
霞くん、僕が微笑んだことを不快に思ったかな?
教室ではどうしてもってくらい緊急性が高すぎる時しか、彼は話かけてこない。
目が合うと秒でそらされてしまう。
俺には関わらないでと態度で示しているみたいに。
今も笑顔の僕とは対照的に、冷ややかな視線を突き刺されてしまった。
悲しい。心臓が痛い。消えたい。
どうやらこの二人は、僕に絡むつもりはないみたい。
その点は安心したけれど……
「何オマエ、同じバス乗ってくる奴がいたんだな」
「彼は中学が同じだからね」
霞くんの声色は穏やかだが、拒絶されているのがはっきりとわかってしまう。
小学生までは僕だけに懐いてくれていた記憶が残っているだけに、これは拒絶で間違いない。
「同中って言っても、しゃべっったことないやつなんてザラだよな。俺のいた中学なんて10クラスもあったし、顔見ても誰ってやつ多いわ」
「奏多、今日も送ってくれてありがとう。もう帰ったら? バスもうすぐ来るし」
聞き耳を立てながら、霞くんは奏多くんともっと一緒にいたいんじゃないの?と勘ぐってしまう僕。
「いつも俺にバスが見えなくなるまで見送らせといて、今さらなんだよ」
「見送りなんてお願いしたことはないよ」
「オマエの笑顔が無意識に俺の足を固めてんだよ」
「なにそれ、罪のこすりつけにもほどがあるでしょ」
霞くんの笑い声が響いている。
楽しそうで何よりだ。
なんて心の中で強がってはみたものの、敗北感がぬぐえない。
僕の感情は、いつ雨が降ってもおかしくないほど荒れている。
涙腺が刺激され、鼻がしらがツンとうずいて、雫が製造されそうで。
バスが来るまでの間、この場から逃がしてくれるヒーローが現れてくれることを、僕は折れそうなくらいひ弱な月に懇願することしかできなかった。