ベンチに座ったままの輝星に手首を掴まれ、足が固まる。
 どういうことだと輝星を見れば、泣きそうな顔の輝星と視線が絡んだ。
 
 「……輝星」

 「嫌いだ! 大っ嫌いだ!」

 俺を嫌いなことはわかっているから、離してくれ。
 手を振り払おうとしても、輝星は絶対に離さないと言わんばかりの力で握りしめてくる。

 「もうほんとヤダ……こんな自分大嫌い……消えていなくなっちゃえばいいのに……」

 うつむいた輝星は急に声を震わせ、泣いているのか鼻をすすりだした。

 「自分のことを大嫌いだなんて思わないで欲しい」

 今のは俺の心からの願いだ。
 輝星は俺が心底愛した、たった一人の人間なんだから。

 諭すようになだめてはみたが、俺の言葉に説得力はない。
 俺だって自分のことが嫌いだ。
 拒絶して傷つけることでしか輝星を守れない無力な自分なんて。
 
 キミが大好きだよという感情を手の平に込め、優しく輝星の頭を撫でる。
 懐かしいぬくもりに、涙腺が緩みそうになってしまった。
 このぬくもりは俺にとって癒しで、輝星の存在は俺にとってかけがえのない宝物だった。
 小学生までの俺は、自分の欲望のままこの宝物を独占していた。

 ほんと贅沢な時間を過ごしていたんだなと過去の自分がうらやましくなり、切なさに負け輝星の後頭部から手を放す。

 「雨に濡れたし、風邪ひかないようにね」

 精一杯の愛情を声に溶かし、輝星に背を向けた時だった。
 さみしさで凍える俺の背中が、大好きなぬくもりで包まれたのは。

 俺のお腹にはジャージの袖で隠れた腕が絡みついている。
 肩甲骨が浮かれはじめたのは、柔らかい頬が押し当てられているから。
 
 輝星が後ろから抱き着いてくれている。
 信じられない現実に体中が硬直するも心臓はうるさいくらいに飛び跳ねていて、何がおきた?と考えれば考えるほど、パニックに陥った脳が余計に俺の心臓に負荷をかけてくるんだ。

 「……てらせ?」

 俺の声に体をびくつかせた輝星は、さらに強く頬を俺の背中に押し当てた。


 「自分のこと……大嫌いなんだ……でもね……」

 「……」

 「霞くんを大好きな自分だけは……大好きになりたい……」

 「え?」

 「やっぱり自分の気持ちに嘘はつけない。つきたくない。だってほんとはイヤだったんだもん。霞くんと奏多くんが笑い合ってるのを見てるのは」

 「……」

 「小6までの霞くんは僕にしか心を開いてくれてなかったのにって、学校に来るたびに嫉妬みたいな敗北感で苦しくなっちゃって……それがしんどくてたまらなくて……この醜い感情を流瑠ちゃんにも話せなくて……」

 「……」

 「霞くんに避けられているのがつらすぎて、霞くんと奏多くんは僕にとっての推しカプだって思い込んでみたけど、そんなんじゃ嫉妬心が消えてくれなかったんだ。ほんと嫌になる。こんな醜い感情捨てたいよ。霞くんのこと嫌いになりたいよ。二度と会いたくないって思うくらい大嫌いになりたい。でも大好きでたまらない。幼稚園で出会ったころよりも、小学校で一緒にテニスをやってた頃よりも、今が一番霞くんのことが大好きなんだ……毎日毎日、好きっていう感情が募っていっちゃうんだ……」


 「助けてよ……霞くん……」と、涙声を震わせた輝星が、俺に絡めていた腕をほどいた。

 「ごめん……今の忘れて……」

 うなだれながら、ベンチに腰を下ろしてうつむいている。

 「霞くんに風邪をひかせたのが自分だと思うと、余計に自分のことを嫌いになっちゃうから……使って、流瑠ちゃんの傘。僕のことは気にしないでいいから……」

 今度はベンチに座る輝星が俺に傘を手渡してきた。
 輝星が視線を絡めようとしてくれない。
 そのことが無性に悲しくて「傘はいらない。輝星に使って欲しい」と静かに断りをこぼす。

 嬉しかったんだ。
 輝星が俺を好きだと言葉にしてくれたこと。
 俺の一方的な片思いだと思っていた。
 輝星と結ばれなくても、死ぬまで輝星を想い続けていればいい。
 意地を張りながらも、なんとか初恋を諦め生きてきた。

 でも両思いだとわかったとたん、再びあの悪夢がよみがえってしまったんだ。
 地獄のような時間が脳内で再生されて、恐怖で足が震えてしまうんだ。

 俺と輝星が付き合ったら、また輝星は自分を犠牲にしようとするだろう。
 自分の命なんてどうでもよくなって、俺を助けるために身を投げ出してしまうだろう。

 輝星が燃えるアパートに飛び込んでいったあの日。
 焼ける家具から俺を助けてくれたあの時。
 火事現場から脱出した直後に、輝星が意識を失ったあの瞬間。

 本当に怖かった。
 二度と輝星に会えなくなったらどうしよう。
 輝星の輝かしい人生を、俺が終わりにしてしまったのかもしれない……と。