クラスも一緒の流瑠ちゃんは僕の親友で、部活中の今は火の番人。
コンロの前に立ちグツグツうなる鍋の中を覗き込みながら不満げに眉を下げているあたり、ハートの中に雨雲がいらっしゃるもよう。
「嫌なことでもあった?」と僕が声をかけた直後に顔を上げ、鋭くギロリ。
あぁ、いつものですか。
今日はこのタイミングできましたか。
「ねぇテラっち、いつになったら私の妄想が現実になってくれると思う?」
ネコ目がふてくされている。
それもいつもの質問ですね。
「待っても待っても推しカプが進展しないの」
はぁぁぁ、親友を心配して損した。
「校内で絡んで欲しいのに。おはようって笑い合って、頭ナデナデからのハグ。誰にも見られない校舎裏でね。それを私だけが見ちゃうとか。うん、おいしい。そのシチュに出くわしたい!」
さっきまでの雨雲はどこへやら。
腐に片足を突っこみ中の流瑠ちゃんの顔が、にやけることにやけること。
誰についての愚痴かは言及していない。
でも僕にはわかる、出会った高1から耳ダコだから。
流瑠ちゃんの前では80のパーセンテージで喜怒哀楽を表現できる僕は、わざとらしいため息をこぼす。
誰にも聞かれたくなくて、流瑠ちゃんの耳元で声量をしぼった。
「僕が霞くんに無視されているところを毎日見てるでしょ」
「霞くんってテラっち以外には、優しい王子様っぽく微笑むのにね」
「僕が嫌われている証拠」
ブルーになるから認めたくないけど。
流瑠ちゃんは僕に、何らかのアクションをさせたいんだろう。
「好きだからこそ近寄れない。嫌われるくらいならいっそ距離を取ろう。そんな話、マンガではザラだよ」
菜箸の先端を僕に向けうなづいているが……
ごめんね、僕は行動なんてできないよ。
見てごらん、テニスコートにいる僕の推しカプ二人を。
笑いながら肩をぶつけあっているあたり、僕が割って入るすきなんてないでしょ。
あごをしゃくって、霞くんと奏多くんの方に流瑠ちゃんの視線を誘導する。
「あぁ、距離感近いよね、あの二人」
地雷カプだからって睨むのはどうかと思うよ。
流瑠ちゃんの注意を僕に戻そう。
あえてオーバーにため息を吐いた。
「僕と霞くんがくっつく妄想はもうやめて」
「凛として優雅に微笑む霞くんと、いっつも笑顔で無邪気で可愛いわんこ系のテラっち。これ以上のカプがどこに存在してるっていうの? いらっしゃったら拝みたいくらいだよ」
「あそこ」と窓の外を指さして、しまったと後悔が追いつく。
霞くんから注意をそらす作戦だったのに、流瑠ちゃんの視線を戻すことになってしまった。
この子をコントロールなんて無理か。
流れに任せようと思い直し、僕あえて窓と対面する。
「今だってテニスコートの周りにたくさんの女子が集まってる。キャーキャー飛び跳ねてるし。あの子たちみんな、霞くんと奏多くんカプを拝みに来てるんだよ。それなのになんで流瑠ちゃんは、僕と霞くんをくっつけようとするかな」
「だって私は小学生の時に……」
僕と霞くんがペアを組んで出たテニスの試合を、たまたま見たんだよね。
前衛の僕が弱すぎるせいで惨敗だった。
それでも霞くんは、この先も僕とペアを組むと譲らなかった。
僕以外と組まされるならテニスをやめるとコーチを困らせていた。
僕だけに笑って、僕だけに心を許して、他の人は拒絶で。
あの頃と今とでは違う。
霞くんからの気に入られ度も、お互いの距離感も、霞くんが僕に向ける視線の温度も、なにもかも。
「僕たちが親友だったのは小学校まで。そのあとは友達ですらなくなっちゃったの。そのこと前に流瑠ちゃんに話したよね?」
「聞いたけど……」
重苦しい空気を一掃したい。
浮かない表情の流瑠ちゃんに向かって「この話は終わりね」と、僕は目じりを下げた。
「具が柔らかくなったんじゃない? いい感じだよ。玉ねぎも透明になったし。味付けして卵を流しいれて、親子丼を完成させちゃおう!」
声を弾ませた僕に対し流瑠ちゃんはムスっ。
負の感情をほっぺに詰め込んでいる。
「最重要案件。味付けは料理上手な流瑠ちゃんに任せた」
醤油の小瓶を手渡したところで、ようやく流瑠ちゃんのほっぺから空気が逃げた。
何かを自分に言い聞かせているのか、高速でうんうんと頷いているのが微笑ましい。
「あぁぁぁ、わかるよわかる。私にとっての推しカプは、テラっちにとっての地雷カプだもんね」
そういうことにしておいて。
霞くんへの恋心を捨て去るためには、霞くんは奏多くんとお似合いだって思い込むしかないから。
「人の好みにとやかく口を挟まないのが腐女子のたしなみだって思ってる。思ってきた。他人を否定したくないし」
「いい心がけだよね」
「だけどだよ。やっぱり私と違うカプを推されちゃうと、説き伏せたくなっちゃうの。いかんいかん、多様性の時代。他人と私は違う。好みも違って当たり前。これ大事!うんうん!」
ポニーテールを大振りさせた流瑠ちゃんの顔は、梅雨をひと蹴りした後のように快晴だ。
「味付けは部長でもなんでもない私に任せなさい」
白い歯をニカッと輝かせ、胸を張って仁王立ちを決め込んでいる。
「平部員なのに頼もしい」といじったせいだろう。
前方から頭突きが飛んできてドン。
ひたいに痛みが走ったけれど、僕の心が穏やかに凪いでいるいるからよしとしよう。