クスクス笑う流瑠ちゃんにハッとして、僕は顔を上げた。

 「相手が大事だからこそ傘をゆずりあっちゃったんだよね。愛だね。一途だね。私はこれが見たかった。だから赤い傘を持ち歩いてた。まぁ今日のお昼休みは私がまいた種が芽吹くかなって期待があって、推しカプ急接近のハプニングが起こりますようにって願ってきたから、腐女子グッズを持ってきてたんだけどね」

 流瑠ちゃんはすっきりした表情を浮かべたと思ったら一転、急に表情を陰らせて、忙しい人だなと感心する。

 「ほんとは相合傘する推しカプをずっと見ていたいの。この日を心待ちにしてきたんだもん、小5からだよ、長すぎだよね。でも二人だけの世界を邪魔するのは絶対に嫌なんだ。でも瞳がもっともっとって欲張っちゃって、目が離せないし……あぁぁぁぁぁぁ、もう! お邪魔しました! お・し・あ・わ・せ・に!!!」

 最後の方はやけくそ気味だった。
 叫んで頭ぺこりで回れ右。
 僕たちに背を向け駆けて行った流瑠ちゃん。

 嵐が去った後のような静けさに、僕も霞くんも放心状態にならずにはいられない。
 しばらくして、ぽかんと口を開けていた僕の頭上から、クスクスと楽しそうな笑い声が降ってきた。

 「鈴木流瑠さんって、あんな面白い子だったんだね」

 脳内にある思い出ボックスのカギが、ガチャりと開く。
 霞くんを見上げたまま、懐かしいと心が震えずにはいられない。

 ずっと見たかった。
 子供のころの至近距離で。
 心が躍っているかのように微笑む、楽しげな霞くんの表情を。

 「なんで大きなバックを下げてるんだろうって思ったけど、まさか折り畳み傘が出てくるなんてね。自分の欲望を詰め込んでるって、他に何が入っているか教えて欲しいよ。アハハダメだ、笑いが止まらない」

 霞くんが体を揺らしながら笑うたび、彼の胸が僕の腕に当たって心地いい。
 雨のシャワーが空から降ってくれているおかげだね。
 霞くんのそばにいて良い理由が僕にはある
 一本の傘の下、雨宿りをしている僕らだけの世界を邪魔する人は誰もいない。

 不思議なのは自分の感情で、嫌われている霞くんの前から消えなきゃなんて今は思えないんだ。
 このままでいたくて。
 もっと霞くんの笑顔を見たくて。
 どうしたら僕のことで満開の笑顔の花を咲かせ続けてくれるかなって、頭の中はそればっかり。

 笑いすぎて、目じりに涙がにじんでいる霞くんと視線が絡んだ。
 ほぼ真上に麗しい王子様フェイスがあるからもちろんドキッとはしたけれど、楽しい雰囲気を崩したくなくて僕は目じりを思いっきり下げた。

 「流瑠ちゃんが腐女子になったのは、僕と霞くんのせいなんだって。小5から僕たちを推しカプだと思い込んでるの。初めてそのことを聞いた時は責任感じて謝っちゃったけど、僕と霞くんをくっつけようとテニスのペアを組むように仕組んだのはやりすぎだったよね。でもでも僕は霞くんのことが今でも大好きだから、一緒にテニスができるなんて嬉しすぎなんだけど。アハハ」

 僕は心から笑った。
 ユルフワ髪が揺れるほど無邪気に笑った。
 僕の親友は変わり者でしょ!ってわかって欲しくて。
 でも僕の喉から漏れる笑いが尽きた直後、後悔と罪悪感がダブルで襲ってきて、僕の首筋に冷や汗が伝う。

 キョトン顔の霞くんから視線を足元に逃がしたと同時、やってしまったの寒気が背筋を駆け上がった。
 奏多くんに好意を持ち、僕を毛嫌いしている霞くんに、僕はとんでもないことを言っちゃったんだ。
 『僕は今でも霞くんのことが大好き』って。

 違うよ、違うんだ!って言いたいけれど、本当は何も違わない。
 【霞くん大好き】は本物の感情で間違いない。
 
 6年間拒絶され続けても、恋心は日々膨れ上がっているのが現実だ。
 暴れ狂うようにうずく恋心が手に負えなくて、それがずっと嫌で。
 イヤって、霞くんのことじゃないよ。
 霞くんのことは大好きでたまらない。

 あれ? 
 今は何を考えるべきなのか、わからなくなってきちゃった。

 大好きと伝えてしまったのは、たった1,2分前のこと。
 僕の気持ちを耳にした瞬間の霞くんの顔が、信じられないと言わんばかりに固まっている。

 霞くんは今は、どんな気持ちで僕の隣に立っているんだろう。
 気まずさに襲われ、下げた視線を上げられない。
 現実を見つめるのが怖い。
 これ以上嫌われたくない。
 
 その時……