「あれ、雨?」

 流瑠ちゃんの視線につられ、僕も空を仰ぐ。

 小さい雫が顔の上で跳ねた。 
 ポツポツと小さめな水滴が空から落ちてくる。
 空を覆っているのは黒くて厚みのある雨雲で、霞くんと奏多くん見たさにテニスコートを囲んでいた女子たちが「ヤバそうだよね」と校舎に向かって走り出す。

 僕たちも屋根のあるところにかけ込んだ方がいい。
 今は傘がなくて平気だけど、雨あしが強まる可能性は否めない。
 そう思った矢先、流瑠ちゃんがニヤリと目じりを光らせた。

 「こんなこともあろうかと」

 パンパンに膨らむななめがけバックから取り出したのは、折り畳み傘? しかも2本も。
 柄を伸ばし布地を広げた流瑠ちゃんは、一本は自分の肩に、もう一本を僕の手に握らせてきた。

 「なんで流瑠ちゃん、傘なんて持ってるの?」

 「フフフ。このバックの中にはね、腐女子の妄想を現実にするためのアイテムが詰め込まれているんだよ」

 ……そうですか。
 親友歴2年以上なのに、まったく気がつきませんでした。

 「テラっち、霞くんが濡れてるよ。もっとくっつかないと」

 それって相合傘をしろってこと?
 目を見開いた僕の言いたいことを察知して、流瑠ちゃんが勝ち誇った顔で頷いた。
 無理だよ、霞くんに近づくなんて……
 でもでも、僕がちゃんと傘をささなければ霞くんが濡れちゃうよね?
 
 真っ赤な折り畳み傘は、布の面積が小さめだ。
 お互いの肩が触れ合うぐらいくっつかないとだけど、恥ずかしすぎて霞くんとの距離が詰められない。
 たったリンゴ3個分くらいの空間なのに、ドキドキに襲われ埋められない。
 でも霞くんが雨に濡れるのは許せなくて……
 僕は短めな腕を精一杯伸ばし、前に立つ霞くんの真上にくるように真っ赤な傘をずらす。

 「萌黄(もえぎ)くんが濡れてる、傘は俺が持つ」

 男気のある声に、傘をさらわれてしまった。

 「僕のことは気にしないで」と慌てて訴えてみるも、
 「気にするよ、萌黄くんに風邪をひいたられたら俺が困る」と、霞くんの綺麗な眉が吊り上がって。

 「僕は平気だよ!」

 今度は僕が傘を奪い、背が高い霞くんの上に布地を広げることに成功したのである。

 「やっぱり萌黄くん、俺が濡れないように傘をさしてくれてる」と、霞くんは重いため息を一つ。

 僕まで口調が荒くなってしまうのは、霞くんに普段のおっとりが消えてしまったから。

 「霞くんが風邪をひいたら困るでしょ!」

 「キミが体調を崩す方が許せない!」

 なんで怒ってるの?

 「テニスの全国大会だって控えてるのに、霞くんにとって今は大事な時期なんだから、体大事にして!」

 「まだ一か月以上も先だから問題ない! 雨が強くなってきた。いいから俺に傘を渡して!」

 「霞くんは優しいから、僕が濡れないように気をつかうもん! 霞くんがずぶぬれになるに決まってるもん!」

 「それは萌黄くんも同じでしょ!」

 「僕は風邪をひいてもすぐに直ります! 風邪をこじらせてたのは、小さい時から霞くんでした!」

 「いつの話をしているの? 中学に入ってから、俺は風邪なんてひかなくなったんだよ!」

 「ううん、そんなことない、ひいてました! 霞くんは一週間中学をお休みしたことがありました!」

 「いつ?」

「中2の梅雨時期。霞くんは雨に濡れながら必死にテニスボールを追いかけてたから、高熱が出ちゃったんだよ、絶対に!」

 相手の体のこととなると頑固になってしまうのは、僕も霞くんも小さいころから変わらない。
 風邪をひいて欲しくないからこそ、ついむきになってしまう。

 「なんで萌黄くんは、俺が高熱を出したことまで知ってるの? 中学はクラスが違ったのに」

 「霞くんの情報は筒抜けだからね。中学の時も霞くん好きの女の子たちが、校内のいたるところで霞くんの一挙手一投足にキャーキャー言って盛り上がってたんだから。そりゃ僕の耳にも入ってくるよ!」

 「萌黄くんだって中学の修学旅行の直前に風邪をひいて、就学旅行に行けるかどうかクラスメイトにすっごく心配されていたでしょ!」

 「でもすぐに治った! クラスのみんなとシカにせんべいをあげれたもん!」

 お互い顔に笑みがない。
 まるで子供の口ケンカだ。
 むきになって言葉をぶつけてしまう。

 小学校の頃もこういうことがよくあった。
 王子様みたいにおっとりと微笑む霞くんなのに、僕の体調についてはお母さんよりも心配して口出ししてくるの。
 それを僕が反発して。
 でも霞くんもひかなくて。
 あの頃はどうやって、些細ないざこざからベタベタに仲がいい親友に戻っていたんだっけ?
 思い出せないな、もう6年も前のことだ。
 あの頃はよかったな。
 どれだけケンカをしても【霞くんの隣】という特等席が、僕のためだけに用意されていたんだから。