とりあえずお礼を言わなきゃ。
 僕たちはには頭一つ分の身長差があって、どうしても霞くんを見上げる形になってしまう。

 「ありがとう……かすみくん……」

 ジャージの長い袖から指先だけを出した状態で口元を覆ったら、霞くんは目を見開いて

 「……ごめんね輝星……抱きしめるような形になっちゃって」

 僕から目をそらしながらたどたどしい謝罪をこぼしたから、絶句。

 恥ずかしそうに耳まで赤く染めた霞くんに『気にしないで』と伝えたくて、僕は思い切り顔を左右に振る。

 「今の危なかったよな」とわりこんだのは奏多くん。

 「カスミが機転を利かせてなきゃ、輝星の顔にボール当たってたし。ちょっと俺、ボールこっちに打った奴らに文句言ってくる」

 ひたいの血管をピクつかせた奏多くんが、僕たちの前から走り去った直後だった。
 スカートとポニーテールを大きくひらめかせながら、流瑠ちゃんが猛ダッシュで僕たちの前にやってきたのは。

 心臓に手を当て息を落ち着かせたのち、流瑠ちゃんは僕ら二人を何度も何度も眺めては「はぁぁぁぁぁ~」
 両手で顔全部を覆い隠したと思ったら「さっきのヤバかったぁぁぁぁぁ」と、僕たちの前にしゃがみ込んでしまいました。

 どうやら彼女のテンションは、ハイの極みに到達してしまったもよう。

 「夢が叶ったよぉ。攻めが騎士顔負けの萌えシチュを再現してくれたよぉ。ほんとヤバい、ほんと無理」と騒いでは、やけに膨らんだ斜めがけバックを膝に乗せ、うずめた顔を横に振っている。

 現実が見えなくなってしまった親友を助けなきゃという使命感が湧き、僕は流瑠ちゃんの耳元に唇を近づけた。

 「流瑠ちゃん、みんなに見られてるよ、腐女子だってバレちゃうよ」

 腕を引っ張り、流瑠ちゃんを立ち上がらせる。

 テニスコートの周りには今もたくさんの女子が群がっていて、僕に刺さる視線が痛いこと痛いこと。
 好意的な目なのか攻撃的な目なのかは、判断が難しいところ。

 腐女子ちゃんは一度興奮しだすと、簡単にはムネキュンが静まらない生き物なのかもしれない。
 そして行動力もとんでもない。
 流瑠ちゃんは霞くんの顔がのけぞるくらい至近距離まで霞くんに詰め寄ると、霞くんの手を両手で包みブンブン振り始めた。

 「私、カステラが最推しなの!」

 目がキラキラな流瑠ちゃんとは対照的

 「……あっ、うん……確かにカステラっておいしいよね……」

 霞くんは引きつり笑顔。

 「なんでお菓子の方に行っちゃうかな。違うでしょ!カステラって言ったら霞くんとテラっちのことでしょ!」

 「俺たちのこと?」

 霞くんが戸惑っているから、流瑠ちゃん黙って、静まって、お願い。
 僕は自分の口の前で指バッテンを作ってはみたが、興奮気味の流瑠ちゃんの瞳には映っていないみたいだ。

 「小5で霞くんとテラっちがテニスの試合に出たのを、たまたま見てたの私。それからずっと私の中でカステラが推しカプで。二人のいろんなことを想像するともうダメで。高校に入って二人が同じ高校だって知った時の私、ヤバかったな。早く二人がくっついて欲しくて。どれだけ二人の妄想に時間を費やしたともう?高1の初テストで成績悪すぎたの、妄想のせいだからね。あっ、ついに言っちゃった。テラっち以外についに暴露しちゃった。霞くんお願い、みんなには黙ってて。私が商業BLよりリアル男子の二次創作を楽しむ腐女子だってこと」

 「よろしくね」と霞くんの手を解放した流瑠ちゃんは、好きを語りつくしたような満足げな表情でニヤついている。
 霞くんは宇宙人に遭遇した時のような固まり方。
 色っぽい目をしばたかせ、理解不可能と言いたげな顔で首をかしげて。
 何か返事をしなきゃと追い詰められたのかな?
 「腐女子? そうなんだね、うんうんいいと思うよ、人間好きに生きれば」
 と、乾いた笑いをこぼしながら頷いている。
 
 僕は流瑠ちゃんの腕を引っ張る。
 霞くんから距離をとることに成功し、流瑠ちゃんだけに聞こえるようにコソコソ声をこぼした。

 「流瑠ちゃん、霞くんに変なこと言わないで」

 「どうしよう、私が推しカプの恋のキューピッドになれちゃったかも。キャー!」

 浮かれてる。
 はしゃいでる。
 僕の声が全然届いていない。
 霞くんに口元を読まれないように背を向け、もう少し声を張る。

 「僕は霞くんに嫌われてるの、霞くんの好きな人は奏多くんなの」

 「そんなことないって。腐女子の色メガネで見ると、霞くんは絶対にテラッちが好きだよ」

 「それは流瑠ちゃんが思い込みたいだけでしょ」
 
 「商業BLだと、あっ売ってるマンガってことね、男っていう生き物は好きな相手ほど冷たい態度をとっちゃって、でも好きで、大好きで、俺だけのものにしたいのにって嫉妬がたまって、最後爆発なんだよ。今度マンガ貸そうか?」

 「流瑠ちゃんはBLマンガの世界の中だけで夢を見ててよ」

 「私の親友なのにテラッチはわかってないな。商業BLマンガの萌えキュン度はコンロの火レベルなの。現実男子たちの二次創作はキャンプファイヤー……じゃ火力弱いか。天まで上る火柱なの!」

 「なんの話してるの?」

 「私たち腐女子はね、妄想に妄想を重ねて『このカプいい』『このシチュおいしい』と発狂する生き物なんだからね!」

 腐女子をひとくくりにしているけれど、みんながみんな現実男子たちがくっつくのを勝手に妄想して発狂しているわけじゃないと思うよ。
 っていっても僕にはよくわからない世界だし、腐女子ちゃんたちが幸せなら自由に楽しんでって思うけど……
 流瑠ちゃんだけは別。
 僕に害ありなんだもん。
 僕で勝手に妄想するのはやめて欲しいんだもん。

 プクっとほっぺを膨らましてみたけれど
 「テラっちのいじけた顔、可愛い。私なんかに見せるなんてもったいない。霞くんに見せなきゃ。そして霞くんに頭ナデナデしてもらって。きゃっ、最高!」
 と、瞳キラキラな流瑠ちゃんに腕を引っ張られ、もつれながらも足が勝手に前に進んで……

 うっ、霞くんの前に連れてこられちゃった。
 流瑠ちゃんが僕たちを推しカプ認定した後だし、霞くんと目を合わせるのは気まずすぎなんですが。
 とりあえずうつむいていようと、視線を自分の靴に逃がす。