背が低くて華奢で、昔テニスで俊敏性を鍛えた自分の特性をいかんなく発揮するのは今しかない。
奏多くんに怒鳴られる覚悟を決め、捕まれている腕を振り払いながらしゃがみ込む。
背中を丸めながら地面を蹴り、奏多くんの前から逃げることに成功した。
「オマエな」と僕を睨む奏多くんをなだめるように、霞くんがおっとりと微笑んだ。
奏多くんだけを真ん前から見つめ、半袖から伸びる奏多くんの腕をさすっている。
「奏多、萌黄くんにすごまないの」
「だってテラセって、見るからにテニスヘタそうだし。俺の剛速球を打ち返すどころか、怖いとか言いながらブルブル固まってそうじゃん。だからまずはメンタルを鍛えねーと」
「見た目で勝手に判断したらダメだよ。萌黄くんはテニスが上手なんだよ。小学校の時だって……」
「へぇ」
「奏多、なに?」
「テラセがテニスしてるとこ、カスミは見たことがあるんだ」
「……えっ」
あわわ、霞くんの繊細な眉が下がってる。返答に困ってる。
「いつ見た? どこで見た? 練習、大会? テラセ何位だった?」
まくし立てながら、霞くんの肩を揺らす奏多くん。
「別にどこでもいいでしょ」と、霞くんが奏多くんの手を肩から外しても
「うまいなら、それなりの結果を残してるってことだよな? 知ってること全部言え。俺に教えろ」と、霞くんに額をぶつけそうなほど奏多くんは前のめりになっていて、目がやけにキラキラ輝いていて。
「早く練習しないと、お昼休みが終わっちゃう。はい、奏多の大好きなテニス練習をはじめるよ」
霞くんが奏多くんの背中に手を当て、テニスコートの中央まで押し戻したところで、ようやく奏多くんがうんうんと頷き始めた。
「まぁそうだな。今日は3人で打ち合いするか」
「奏多、萌黄くんに貸すラケットは?」
「あっ忘れた。置きおっぱだ、部室に取りに行かんと。マジめんどい」
ぼやきながらも部室棟に向かって走り出した奏多くん。
小さくなっていく彼の背中を見つめる僕の肩から、たまりにたまっていた緊張感が少しずつずり落ちていく。
はぁぁぁぁ、いったん嵐が去ってくれた。
でもまだ心臓はバクバクとうるさいまま。
テニスコートに霞くんと二人だけになってしまった。
彼の心底を探れていない僕は、視線が交わることすら気まずくて目線が下がってしまう。
嫌いな僕とテニスのペアを組むなんて、霞くんは嫌だよね。
練習すらしたくないと思うんだ。
でも霞くんは優しいから、当分のあいだ学校に来れない小倉くんのために、僕とテニスをしたくないとは絶対に言わなくて。
今もお兄さんみたいな穏やかな笑顔で、僕に微笑みかけてくれている。
「萌黄くんは、テニスをやっていたりするんだよね?」
またしても苗字呼び。
話し方も他人行儀だ。
心無い笑顔の花が咲き誇っていて、壁を作られているのがまるわかり。
「週に2回くらい、父さんと黄色いボールを打ち合ったりしてるよ」
「頼りにしてるね」
「あっ、うん」
髪が躍るほどオーバーに頷いた僕だけど、うまく笑顔が作れない。
霞くんが僕の目の前で咲かせている笑顔の花は、仲が良かった小学生のころとは全く違う色どりだ。
僕が得意としている作り笑いと同じだと、簡単に見破ってしまった。
テニスコートの周りを囲んでいる女子たちの目があるから、とりあえず僕に微笑んでいるだけ。
本当は今すぐ僕の前から消えたくて、僕なんかと関わりたくもないに決まっている。
悲しみが僕の右腕の傷跡をつつく。
痛むのは右腕なのか、ハートなのか、それとも両方なのかわからない。
ジャージの長袖に覆われた腕を体に巻き付け、うつむいた時だった。
「危ない!」
切羽詰まったような声が僕の耳に突き刺さったのは。