まさかもう一人鬼殺しが紛れ込んでいるとは予想していなかったのか、侍女たちがはっと紅花の方を向いて青ざめる。侍女たちにとって、鬼殺しは遠い世界の汚い人々だ。そんな人間が二人も宮殿内に侵入しているという事実は恐ろしいだろう。

「いやっ……いやぁぁぁぁぁ!」
「そんな嫌がらなくても……」

 それにしても、この反応は酷いのではないか。鬼殺しの仕事を始めてから、嫌がられたり臭がられたりすることには慣れている。が、叫ばれるとさすがに傷付く。

「確認してほしいことって?」

 天愛皇后が妖艶に笑った。
 ゆらゆらと揺れる炎に照らされる様は何とも美しい。特に今夜は王が通うということもあり、身なりを整えている。ぞっとする程の美貌だ。

「天愛様が育てていたと思われる花が、侍女たちの部屋から見つかりました」

 侍女たちが息を呑む気配がした。先程まであれだけうるさかったのに、急に黙り込むのだから分かりやすい。

「口頭で伝えるだけでは信じがたいと思いますので、天愛様ご自身の目で確認していただきたい」

 はっきりとした口調でそう告げた。
 今、この場には、天愛皇后を溺愛している王までいる。これが事実だと発覚すればただでは済まない――馬鹿でも分かることだ。
 侍女の一人が慌てたように言い返してきた。

「何です、この鬼殺しは! 失礼にも程がありますわ! 嘘に決まっております!」
「そっ……そうよ! 例え私たちの部屋から見つかったとしても、犯人は私たちじゃない! そ、そうだわ! もしかして、あの掃除鬼の仕業ではないでしょうか!? 自分が疑われた腹いせに、私たちを犯人に仕立て上げようと……!」

「――私には花の声が聞こえます」

 侍女たちの言葉を遮るように、静かに言い放った。

「彼女たちは、掃除鬼がやったのではないと言っていました」

 はったりだ。枯れた花の心の声を聞くことは紅花にもできない。
 しかし、これ以上掃除鬼が無罪の罪を着せられることだけは避けたかった。

 数秒、重たい沈黙が走る。
 ふ、と口元を隠して柔らかく笑ったのは天愛皇后だった。
 無論、今この場で笑っているのは天愛皇后だけだ。他の者たちの表情には緊張が走っている。

「これは本当のこと?」
「…………」
「わたくしが、嫌いかしら?」

 怒っているようには見えない。むしろ冷静だ。だからこそ得体の知れない怖さがある。
 恐怖を覚えたのは紅花だけではないようで、侍女たちはぶるぶると体を震わせている。

「事実なら、俺も黙ってないけど」

 天愛皇后の隣の飛龍が、追い打ちをかけるように脅す。
 この様子を見ていると、誰か一人の侍女が行ったというわけではなく、侍女たち全員が共犯だろう。紅花の能力を知り反論してこなくなったのがその証拠だ。これ以上の嘘は重ねられない。

「……も……申し訳ございません…………」

 蚊の鳴くような声で、一人の侍女が謝罪した。罪を認めたのと同じだ。

「謝れとは言っていないわ。質問をしているの。わたくしが嫌い?」
「嫌いだなんて、そんな……っ」
「ならどうしてこのようなことを? 誤解しないで、責めているわけではないの。このようなことをさせたわたくしにも責任があるもの」

 天愛皇后の言葉は、紅花にとっても予想外だった。
 侍女たちがおそるおそるといった感じで顔を上げる。

「……見てて、嫌、だったのです。嫉妬してしまいました」
「わたくしに?」
「っちょっと、やめなさい! 失礼よ」
「いいわ。続けなさい」

 侍女の発言を別の侍女が咎めるが、天愛皇后は続けることを促した。

「お言葉ですが……奴隷が皇后になるなど前代未聞のことなのです。私が知る時代にもこのようなことはありませんでした。他の区域の皇后たちは皆高貴な生まれのお方です。それ故、我々侍女が馬鹿にされることも多く……」
「最初は、私達も精一杯天愛様にお仕えしようと思っていました。皇后様の侍女になれるのは名誉なことだから。けれど、他区域の侍女に色々と言われ続けるうちに、確かにどうして私達が奴隷出身者の言いなりにならねばならないのだろうと思い始めて……」
「その疑念が、恐れながら、天愛様への嫉妬という形で現れてしまいました。天愛様は私達よりもずっと良い物を食べて、良い暮らしをして、宋帝王様にもご寵愛を受けて……元奴隷でもこのような人生を歩めるのでしたら、自分たちにもこのような人生があったのではないかと思ってしまって……醜くも嫉妬してしまいました」

 次々と侍女たちが本音を吐き出していく。天愛皇后はそれを黙って聞いていた。

 侍女たちが一通り気持ちを吐き出した後、しんとまた沈黙が走った。
 そして、天愛皇后がゆっくりと口を開く。

「――なぁんだ、そんなこと。不満があるのなら、言ってくれたらよかったのに」

 その声は、罪人に向けるにしては驚くほどに優しかった。

「…………ぇ……?」

 戸惑ったのは紅花だけではない。侍女たちが一番目を見開いている。

「飛龍、この侍女たちに良い物を食べさせるよう手配してくれない? あと、前々から気になっていたのだけれど、この子たちの住む場所も修繕する必要があるわ。あそこ、雨風の音がうるさくてよく眠れないでしょう」

 どうやら天愛皇后は、侍女たちのことをよく見ていたらしい。

「それから、馬鹿にしてきた侍女達というのはどこの区域の者かしら?」
「閻魔王の区域の……皇后様の侍女たちです」
「そう。わたくしの出身のせいで、貴女たちを辱めてごめんなさい」

 侍女たちは、皇后に謝罪させてしまったことをさすがに心苦しく感じたのか、「いや、そんな……謝らなくても……」とたじたじとなる。
 天愛皇后は覚悟を決めたように、そんな彼女たちを見据えて言った。

「わたくしは、他の区域の者を黙らせる程、立派な皇后になってみせる。貴女たちを嫌な気持ちにさせた責任は必ず取ります。貴女たちには、それを支えてほしい。聡明な貴女たちにこそ頼めることよ」
「…………」
「今回はこれで終わりにしましょう。もう夜も遅いわ。お部屋にお戻りになって」

 お咎めなし、ということだ。本来であれば有り得ない。侍女たちは呆気に取られたような顔をしながら、拱手して立ち去っていった。
 身を低くしていた魑魅斬も酷く驚いたような顔をしている。

 紅花は――なるほど、と納得した。
 天愛皇后は、おそらく最初から、侍女の仕業だと分かっていたのだろう。
 日頃から自分に嫌がらせをしているのが侍女たちであることも、きっと知っていた。その上で、一度見せしめのために事を大きくし、嫌がらせを止めようとした。

 それを紅花が止めてしまった。
 当たり前だが、皇后の侍女になれる者は優秀だ。天愛皇后は彼女たちの才能を買っていたのだろう。彼女たちを殺すのではなく、それ以外の方法で嫌がらせを止めたかった。

 侍女たちは真犯人捜しが始まってから、気が気ではなかったはずだ。精神的な重圧も大きい日々を過ごしていた。
 侍女たちを精神的に追い詰め、紅花に真犯人を見破らせ、彼女たちが本当に焦ったところで本音を吐かせ、優しく声をかけ、手を差し伸べる。確かに、この方法であれば天愛皇后への感謝、その懐の深さへの尊敬の念を抱かせることができる。
 何とも――人心掌握に長けた皇后だ。

 無礼を働いたものを殺すのは簡単。それこそ皇后ともなれば命令一つで人の命を終わらせることができる。しかし、天愛皇后はその方法を選ばなかった。人材を育て、活かすことを選択した。

「……私を舞台装置として利用しましたね?」

 苦笑いしながらそう言うと、天愛皇后は満足気にふふっと口角を上げた。

「あら、何のことかしら?」

 この皇后、奴隷から王の正妻に成り上がったというだけあって、なかなかに計算高い。