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「紅花嬢ちゃん、人使い荒いんじゃねーか!?」

 夜。外の幽鬼を倒しながら、魑魅斬が叫ぶ。
 魑魅斬にも作戦に付き合ってもらうことにした。魑魅斬が宮殿内に送り込んだ幽鬼と戦っているうちに、紅花が宮殿内の花を探すという算段だ。

(やっぱり、幽鬼にも個体差がある。大抵は話が通じないけれど、こちらの言葉にやや反応を示す幽鬼もいる)

 幽鬼は夜に最も数が多くなる。紅花は、色んな幽鬼と接してみて、その中でもこちらの呼びかけに応じそうな者を捜していた。
 そこでちょうど、大きな白い靄が見えた。昼間はいなかった幽鬼だ。

『ア ア 王様 憎い ニクイニクイニクイ――……』

 意思がある。
 紅花は靄に向かって呼びかけた。

「あっちよ! あっちに宋帝王がいるわ」
『宋帝王 ソウだ 其の名前 アタシを地獄ニ オとした男』
「付いてきて! 案内してあげる」

 幽鬼は紅花の言葉に反応し、走り出す紅花の後を付いてくる。
 行き先は、天愛皇后の宮殿だ。「ほんとにいいのかよ~……」と乗り気ではない魑魅斬も付いてきた。

「こっちだ、こっち!」

 あらかじめ宮殿の壁に貼り付いて待っていてくれたのは、掃除鬼である。鬼は空を飛んだり壁をよじ登ったり、人にはない力を持っていることが多い。宮殿の高い位置にある窓の傍から幽鬼を呼べるのは、今紅花が持つ手駒の中では掃除鬼だけだ。

『そこかァ゛ぁぁぁぁ』

 幽鬼が不気味な声を上げながら、一直線に窓から宮殿内へと突っ込んでいく。丈夫なはずの窓が勢いよく割れ、強い風が吹く。その風に驚いて壁に張り付いていた手を外してしまったらしく、掃除鬼が真下に落下してくる。
 下にいた紅花は、走って掃除鬼の体を受け止めた。ひゅう、と魑魅斬が口笛を吹く。

(この窓、どうしようかしら……)

 割れて落ちてきた窓の柵を眺めて気持ちが落ち込んだ。
 一体修理費はいくらかかるのか。紅花はただ働きの無一文なので、請求は魑魅斬の方に行くかもしれない。

 そんな余計なことを心配していると、目の前の宮殿から女性の甲高い悲鳴が聞こえてきた。
 その声に反応した魑魅斬が焦ったように紅花の肩に手を置く。

「中で幽鬼が暴れてるみてーだな。今すぐ行こう」
「駄目よ」
「はあ!? 人が襲われてんだぞ」
「結局勝手に入るならここまで準備した意味がない。天愛皇后の御身は飛龍様が守ってくださっているわ。向こうから呼ばれるまで待つべきよ」
「それまでに、宮殿内にいる侍女たちが怪我したらどうすんだ!」
「怪我?」

 紅花は眉を寄せた。何を甘いことを言っているのか。

「怪我如きなんだっていうの?」

 地獄には、どんな怪我もたちまち治すことのできる治療専門の鬼たちがいる。この鬼たちによって地獄にいる人間はどれだけ傷付いても治され、また傷付けられるのだ。
 同じように後宮の人間も、怪我をしたっていくらでも治してもらえる。何が問題なのか理解できなかった。

「これだから、地獄上がりの獄卒は……どいつもこいつも感覚が麻痺してやがる」

 魑魅斬がやれやれと頭を抱えた。

「いいか? 怪我ってのは、しない方がいいんだ。当たり前だけどな」
「何故?」
「怪我したら痛いだろ」
「…………」
「未然に防ぐのが一番いいんだよ」

 そんな感覚は、とうに忘れていた。

 魑魅斬は紅花の返事を待たずに宮殿の重い扉まで走っていく。
 紅花はその後ろ姿を慌てて追った。

「貴方はもう帰っていいわ」
「え、ええ!? 俺、窓に幽鬼を誘導しただけだけど!?」
「貴方にしかできないことだった、ありがとう!」

 戸惑う掃除鬼に感謝を述べると、掃除鬼はちょっと驚いたような顔をした後、嬉しそうににやにや笑っていた。


 宮殿内部は、豪華絢爛という言葉がぴったりな、立派な造りをしていた。灯りがないため薄暗いが、床や天井は見惚れる程作り込まれていた。

(これが皇后様の宮殿……さすが、張り切ってるわね)

 鬼殺しを住ませている冷宮とは大違いだ。元々あの冷宮は、罪を犯した王の妃を閉じ込めるために造られたものと聞く。造りの丁寧さに差があって当然かもしれない。

 じろじろと宮殿の様子を見ていたその時、奥から何かが割れる音と悲鳴が聞こえた。魑魅斬が「大丈夫か!!」と叫んで悲鳴の聞こえた方向に走っていく。
 この隙に、と紅花は掃除鬼に描いてもらった宮殿内の間取りを思い出しながら、侍女たちが普段使っている部屋へ向かった。

 花がまだ生きていれば、声が聞こえるかもしれない。しかしそれ以上に悲鳴や何かが割れる音の方が大きく、花たちの微かな声など届きそうになかった。
 騒ぎを聞きつけて慌てて逃げ出したであろう侍女たちの寝室は、同じ宮殿内とは思えぬ程に質素だ。侍女たちが眠る寝台である(ショウ)がぼろぼろの状態でいくつか並んでおり、冷たい風が吹き抜けているだけでなく虫も湧いていた。これでは紅花の住んでいる冷宮の部屋と変わらない。
 皇后の部屋はこれよりもっと豪華なものだろう。こんなところで生活をしていれば、自分たちより下の奴隷という身分であったにも拘わらず自分たちよりも立派な暮らしをしている天愛皇后に嫉妬しても無理はないのかもしれない。

 奥まで進んでいくと、花弁が落ちていた。しおれた花弁だ。
 紅花はその花弁を辿り、侍女の寝室に直結した物置きに足を踏み入れた。一見特に何も変わったところはない物置きだ。しかし入ってすぐ、紅花はそれを発見してしまった。

 ――――何度も踏み躙られたであろう、茎の部分から手折られ、ばらばらになった枯れた花。
 その花々から声は聞こえない。もう、死んでいる。

「……花だって生きてるのにな」

 紅花はぽつりと呟いた。



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「この下劣な鬼殺しは、あろうことか後宮の掟を無視し、無断で宮殿に侵入しましたわ!」

 侍女たちの怒鳴り声が聞こえてきたので、魑魅斬がどこにいるのかはすぐに分かった。その近くには、片付けられた幽鬼の死体の箱がある。
 侍女、特に皇后に仕える侍女というのは、元々は育ちの良い女性が多い。その上皇后に仕えているのだ、それなりに自尊心はあるだろう。自分たちの勤める宮殿に後宮内の〝汚くて臭い仕事〟を全て担っている鬼殺しが入ってくれば、穢されたと感じてしまってもおかしくはない。
 激怒する侍女たちを見て、ここで紅花が出ていけば火に油なのではと考え立ち止まった。

「けれど、この鬼殺しがたまたま入ってこなければ危うかったのでしょう?」

 暗くてよく見えないが、天愛皇后の声もした。ということは、その隣の人影は飛龍だろう。

「しかし、天愛様……! 入り口は施錠されていたはずです。この者は一体どうやって……ああ、汚い! 早くその箱を外へやってください!」
「ああ、錠は俺が来る時にかけ忘れたんだよ。ごめんね?」

 魑魅斬の存在を嫌がる侍女たちに向かって、飛龍があっけらかんと言う。
 確かに、許可なく立ち入ろうとした割には予想していたよりすんなりと侵入することができた。あれは、飛龍が表の入り口の鍵を開けておいてくれたからか。

「この者を罰しないということですか!? この宮を穢したのに!」
「助けてくれた相手にその言い方はないのではなくて?」
「助けてくれなんて頼んでいません!! このような身分の低い者に助けられるくらいなら、死んだ方がましです!!」

 侍女が、天愛皇后の言葉に対し悲鳴のような声を上げる。
 その発言は元々奴隷であった天愛皇后に失礼なのではないだろうか。しかしこれで、侍女たちにはやはり身分差のある者に対する軽蔑があることは確認できた。


「――確認していただきたいことがあります、天愛皇后様」


 ここでようやく、紅花は暗闇から姿を現した。