――クルマをスタートさせる前に、わたしと母は貢からネックストラップ付きのIDカードを手渡された。
 これは彼も持っている社員証とほぼ同じもので、それぞれ違う十二ケタのナンバーとカタカナ表記の名前が刻字されている。彼のものと違う点は、顔写真と部署名が入っていないことくらいだろうか。

「これからお二人は、このIDを入構ゲートに認証して頂くことになります。紛失されると再発行の手続きが面倒なので、くれぐれも失くされないようにお願いします」

「分かりました。失くさないように気をつけるね」

 手続きが面倒、という部分に彼の本音が滲んでいる気がして、わたしは苦笑いしながら答えた。

「――ところで絢乃会長。そのお召し物は……、通われている学校の制服……ですよね」

「ん? そうだよ」

 視線を落としてスカートの裾に入った赤い一本のラインを見つめていると、彼にそんなことを訊ねられた。彼はそれまでにも何度かわたしの制服姿を見ていたはずだけれど、この日は状況が違うので、彼が疑問に思ったのは無理もなかっただろう。

「……それが、あなたの並々ならぬ覚悟の表れということですね。どんな批判も甘んじて受け止める、と」

「うん。理解してもらえて嬉しいよ。もしかしたら、貴方には反対されるんじゃないかって心配だったから。でもこれがわたしの信念なの」

「まぁ、いくら反対したところで無駄なんだけどね。この子、あの人に似て頑固だから」

 母は半分諦めたように肩をすくめた。「頑固」という言い方はちょっと不本意だったけれど、一本筋がとおっているという意味ではまぁ違わないかな。

「僕も正直、心配ではあるんですが……。ボスがお決めになったことに、秘書が異議を唱えることはできませんから。できる限り応援はしたいと思っています」

「ありがとう、桐島さん!」

「では、そろそろ参りましょうね」

 ――そうして、シルバーのセダンは丸ノ内へ向けて走り出した。


   * * * *


「――とりあえず、今日の会見用に簡単なスピーチ原稿を用意しておきました。会社へ着きましたら、会見の前に確認しておいて頂けますか?」

 彼は秘書らしい口調で(「秘書らしい口調」ってどんなものなのか、わたしにもよく分かっていないのだけど)、わたしに言った。

「分かった。ホントに作っといてくれたの? ありがとう! でも最初からそんなにマメすぎると後からストレスで胃がおかしくなっちゃわない?」

「大丈夫ですよ。僕はこう見えて、けっこうメンタル強いんで。そうでもなければ、僕はとっくに会社を辞めてます」

「……はぁ、そうなんだ。桐島さん、前の部署で相当ひどい目に遭ってたんだね」

「なになに、何の話?」